第89話『通路での攻防戦』


 あー姉ぇが通路の先で手を振っている。

 あのバカ! 俺は「あー姉ぇも逃げろ」と伝えようとするが……。


「あー、ぜぇっ……にげ、ごほっ……!」


 すでにまともに言葉を紡ぐことすらできなくなっていた。

 そうこうしている間にも、背後からヤツらが迫ってきている。


 クソッ、このままじゃ……。

 しかし、あー姉ぇの表情が一瞬で切り替わった。


 伝わった。なんとなくそう思った。

 そして、ただ一言。


「任せて」


 すれ違いざま、あー姉ぇが小さく、しかし力強い声で言った。

 ダメだ。危険だ。そう俺が制止する間もなかった。


 あー姉ぇはヤツらと対面し……。



「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!! ヘンタイーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」



 そう、思いっきり叫んだ。

 キィ~ン、と耳が麻痺した。


「〜〜〜〜っ!?」


 うっっっるさっ!? いったい、なんちゅー声量してんだ!?

 それこそ鼓膜が破れたのかと錯覚するほど。


 驚きのあまりか、ヤツらも足を止めていた。

 まぁ、当然だろう。なにせ逃げているはずの俺たちまで足を止めてしまったほどだ。


 あちこちの楽屋がガチャリと開く。

 廊下の曲がり角からも人が顔を覗かせてくる。

 そして、ようやく警備員服の男たちが「なにごとだ!?」と現れる。


 やった! これで助かる!

 そう安堵しかけたとき、ヤツらのひとりがイラ立ちをあらわにして懐に手を伸ばした。


 ――マズい!


 前世の記憶がダブって見えた。

 ヤツらは拳銃を持っている……!


 しかし、さすがは銃社会アメリカ。

 警備員もすぐさま気づき、腰の拳銃に手を伸ばしている。


 一触即発。

 緊張に満ちた沈黙を破ったのは、ヤツらのひとりだった。


〖……撤退だ〗


 懐に伸ばされた手を、もうひとりの男が止めていた。

 そういえば前世で俺が殺されかけたときも、彼は逃がそうとしてくれていた。

 死んだあとも、祈りを捧げてくれていた。


〖ふざけるな! ここまで来て引き下がれるか! 使命はどうなる!?〗


〖テメェこそ忘れたか。失敗したら即座に撤退。それが命令のはずだ。テメェこそ祖国を裏切るつもりか!?〗


〖それは、……だが!〗


さっき・・・とは状況がちがうぞ。まさか全員殺して口封じするつもりか? 拳銃だけで?〗


〖……〗


 男が無言になった。

 そして、〖クソっ!〗と言葉を吐いた。


〖クソっ、クソっ、クソがぁあああっ! 勘違いするな! これも祖国のためだ! それとキサマが任務のジャマをしたことはきちんと報告させてもらう!〗


〖……あぁ、好きにしろ〗


 男がゆっくりと懐から手を下ろした。

 もうひとりの男が、ホッと胸を撫でおろしたのがわかった。


 そのままふたりはジリジリと後退して、警備員から距離を取っていく。

 あるときを境に、反転して走り出した。


《待て! こちら不審者と思われる男ふたり組を発見。対象は逃走中。応援求む》


 ヤツらが背を向けて去っていく。

 警備員が無線で叫びながら追いかけたが、とても捕まえられそうには見えなかった。


 そして俺はそんなヤツらの小声・・での、しかもロシア語でのやり取りを読唇で聞いていた。

 どうやら、助かったらしい。


「ハァっ、ハァっ……助かったゾ、アネゴ。っていうか、お前すごいナ!?」


「ん。どーいたしましてっ。これも女子力の為せるワザだよ。ふたりとも、あーゆーときは女の子であることをもっと活用しなきゃ」


「”ウルセー”! あ、これダブルミーニングになるんだっケ?」


 俺も驚きを通り越して、もはや呆れていた。

 は、はは……さすがだな、あー姉ぇは。言葉も通じないのに、見事に危機を退けてしまった。


 けれど、なるほど。

 叫ぶだけじゃなく、悲鳴をあげればよかったのか。


 外国の言葉はわかっても、こういう女子の感覚は一生わかんねぇな。

 女子力かどうかはさておき。


 ただ、あのぉ……それよりも。

 ひとつ、重大な問題が。


「うン? どうしタ? ……オイ、イロハ?」


「ぜぇっ、はぁっ……その、ちょっと、」


 ――酸欠。


 言い切る前に、俺はバタンと倒れた。

 遠くであんぐおーぐとあー姉ぇの、慌てた声が聞こえた気がした。


   *  *  *


「……う、ん。……あれ? ここは」


 俺は気づくと大きなベッドに寝かされていた。

 なんだこれ。天蓋付きのベッドなんてはじめて見たぞ。


「イロハ! よかっタ! 目が覚めたんだナ!?」


「あぁ、おーぐ。……って、おーぐ!? 無事なのか!? みんなは!?」


「大丈夫ダ」


「そう、よかった」


「それデ、この場所なんだけどナ……」


《おはようございます。イロハさん、でよかったかしら》


 室内にもうひとり人がいた。妙齢の女性だ。

 俺はその姿を一度だけ、街頭モニターで見たことがあった。


《はじめまして。そこのバカ娘の――母です》


 次期大統領候補がそこに立っていた。

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