第88話『逃走劇は通路にて』

《イロハ! 戻ってきたのか! よかった本当に、無事で!》


 あんぐおーぐが青ざめた表情から一転、すこしだけホッとした顔になる。

 そんな彼女の両脇は、大柄な男性によって固められていた。


 はは……見間違えるはずもない。

 こいつらだ。前世の俺を殺しやがったのは。


 身体が恐怖で震える。

 しかしそれを必死に押し殺して、平静を装う。


「おーぐ、どこへ行くの?」


《”スタッフ”が避難所まで誘導してくれるって。イロハも聞いただろ? もうすぐ核戦争がはじまるかもしれない。……きっとこのライブも、もう》


「大丈夫、きっと大丈夫だよ」


 俺は話しながらあんぐおーぐへと歩み寄った。

 彼女を抱きしめるフリをして盗み見る。


 たしかにその大柄な男性たちは、首から『関係者』を示すカードホルダーを下げていた。

 が、本物のスタッフであるはずがない。


 核が落とされることを事前に知っており、さらに混乱に乗じて攫うと言っていた。

 あきらかに”関係者”だ。


 というか、今さら気づく。

 こいつら……どこからどう見てもロシア系じゃねーか!


 今、この場にロシア人のスタッフがいること自体はなにもおかしくない。

 それに「ロシア人だから悪」なんて理屈もありえない。


 そもそも国際イベントだ。

 世界各国からVTuberも、そしてスタッフも集まるのは必然。


 だが、だとしても当時の俺は本当にバカなのか!?

 なぜ気づかなかったのか!


 いや、死の恐怖に晒されていたあの状況で冷静に観察しろ、というほうがムチャなのかもしれないが。

 あるいは、日本人があまりにも外国人を見分けられなさすぎるのか。


「にしてもイロハ、どうしタ? ナンデさっきからずっと日本語なんダ?」


「わたしに話を合わせて。大丈夫だよ。おーぐは――わたしが必ず守る」


 今まで俺は言語の壁を破ってきた。

 ならば、できるはずだ。


 今度は逆に、その言語の壁を利用する……!

 心臓が緊張と恐怖で、痛いほどに早鐘を打っていた。


 挙動不審になるな。ヤツらに悟らせるな。

 そう、自分に言い聞かせる。


 大丈夫。俺が今まで、いったいどれだけ聞いて・・・きたと思ってやがる!

 そして俺の能力において、聞こえることは話せることと同義。


 ジェスチャーは仕草という名のボディランゲージ・・・・・だ。

 あるいは、それを理解できるようになっていたのはこのときのためだったのかもしれない。


「おーぐ、ついてきて!」


「エッ? でも、避難しなきゃ危ないだロ?」


「わかってる。けれど、おーぐじゃなきゃダメなんだ。5分だけだから。お願い!」


「……わかっタ」


「よし行こう!」


 俺は渋るあんぐおーぐを急かして歩き出す。

 すぐさまスタッフに扮するヤツらのひとりが声をあげた。


《ちょっと待て、お嬢ちゃん。どこへ行くつもりだ? 今は避難しなければならないんだ。……”あーゆーすぴーくいんぐりっしゅ”? ”えすけーぷ” ”おーけー”?》


「”あいあむびじー”! ほらっ、おーぐ! 早くっ!」


《ご、ゴメン! ちょっと呼ばれてるみたいだかラ、5分だケ!》


《オイ、ワガママを言うな! さっさと来い!》


 大丈夫だ、ちゃんと見えて・・・いる。

 もうひとりの男から伸ばされた手を、俺はするりと躱した。


 反応は? 《チッ》という舌打ちだけ。

 よかった、バレていない。


 このまま悟らせるな。

 なりきれ。今の俺は状況も理解していない、英語も話せない、ただのバカな子どもだ。


「急いでっ!」


 わずかだがヤツらと距離が空く。

 そして曲がり角を曲がった瞬間、あんぐおーぐの背中を押して、走り出した。


「全力で走れ!」


《えっ!?》


「アイツらは偽者だ!」


 まだ頭が追い付いていないようで、あんぐおーぐは困惑の表情を作る。

 しかし俺の気迫に押されたのか、弾かれたかのように走り出してくれた。


《なっ!? あのガキども!》


 数拍遅れて曲がり角からヤツらが顔を覗かせ、その表情を驚愕へと変えた。

 慌てた様子でこちらを追いかけてくる。


 人の合間を俺たちは駆け抜ける。

 俺は叫んだ。


《助けてください! あの人たち不審者です! スタッフじゃありません!》


 周囲の目が俺たちへと向いた。視線から逃れるかのように、ヤツらの足がわずかに緩まった。

 が、止まってくれない。


 それにだれも助けてくれなかった。

 みんな、まだ核の衝撃が頭から抜けていないらしい。


 くそっ、せめて警備員がいれば!

 なんでこんなときにかぎって見つからないんだ!?


《オイ、イロハ。本当にあの人たちはスタッフじゃ……って、遅ぉっ!?》


 困惑しながら振り返ったあんぐおーぐが、こちらを見て足を緩める。

 バカ、そのまま走り続けろよ!


《ぜぇっ、はぁっ! ち、ちがっ。体力ないからっ……ぜぇっ、じゃなくって、さっきまで、……はぁっ、すでにっ、散々走ったからでっ……げほっ、ごほっ》


 安心させようとしたがダメだった。

 言っていることも支離滅裂で、もはや演技する体力も残っていない。


《なんでこんなときにまで言い訳してんだ!? 行くぞ!》


《そういうっ、ごほっ、わけじゃっ……うぉっ!?》


 逆に手を引っ張られて走る。

 それでも限度があった。ヤツらはもう、すぐそこまで迫っていた。


 このままじゃ追いつかれる。

 そう、諦めかけたそのとき。


「じゃじゃ~ん! お姉ちゃんだよ~! って、どしたのふたりとも~?」


 進行方向からあー姉ぇが現れ、手を振ってきていた。

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