第87話『奔れ!推しのために!』
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
俺は走っていた。
今まで運動してこなかったことを今さら後悔する。
街は騒然となっていた。
《どけ! 道を空けろ!》
《お願い通して! 赤ちゃんがいるの!》
《ボクが死んだらどうするんだ!?》
これまでロシアはウクライナへと”侵攻”を行っていた。
そう、『侵攻』であって『戦争』ではない。すくなくとも日本ではそういう扱いだった。
しかし今日この瞬間からはちがう。
なぜなら――。
《”第三次世界大戦”が……”核戦争”がはじまるんだぞ!?》
《早く避難しないと!》
人々がそう叫び、我先にと地下の駅構内などへ移動しようとしている。
街頭モニターではニュースキャスターが青ざめた顔で話していた。
『ま、まだ確認中ですが、先ほど核ミサイルがウクライナ国内に着弾した可能性が高く――』
情報が錯綜していた。
現状はまだ、どこの国がウクライナに核を落としたのかすら判明していないらしい。
しかし、そんなことは言わなくたってみんなわかっている。
――ロシアだ。
ロシアは以前より「核を使うぞ」とNATOを牽制しながらウクライナと戦ってきた。
そしてNATOもまた「核の使用を厭わない」と反発している。
これまでにロシア、NATOの双方が核戦力演習も行ってきた。
核ミサイルを”正常に”発射するための訓練だ。
いつだって核戦争の脅威は、日常から薄皮一枚剥いたところに存在していた。
核戦争の危機だってこれまで幾度となくあったのだ。
たとえば、ソ連の核潜水艦がアメリカ軍に包囲された、キューバ危機や……。
ほかにも、アメリカの核監視システムがハッキングにより誤作動を起こしたこともある。
しかし、今回はそういった
こうして実際に核が落とされたのははじめてのことだった。
……いや、はじめてで当然だ。
最初と最後。歴史上、核攻撃が行われたのは広島と長崎の2発きりなのだから。
後にも
そう、根拠もなく信じていた。
核の傘と相互確証破壊。
ウクライナ自身は核を保有していない。
しかし核の傘が機能すれば、報復がロシアへと飛び、さらにその反撃がロシアから全世界へ飛ぶだろう。
1発が10発、そして10発が1000発や1万発になる。
いわゆるインフレーション。雪だるま以上の倍々ゲーム。
それは国が滅んでも止まらない。
たとえばロシアでは全自動核報復システム”
俺も避難するべきだ。
しかし、それより先にやらねばならぬことがあった。
「くそっ! なんで、俺は今まで忘れていた!?」
息を切らしながら走り続ける。
時間が、ない。
俺はすべてを思い出していた。
ずっと違和感はあった。
最初、俺に”前世の記憶がよみがえった”ときからそうだ。
俺はまっさきにMyTubeの
なぜなら、すでに見た動画ばかりが表示されていたから。
そのときは「アカウントが違うから」だと思って流してしまった。
それは半分は正しい。
そしてチートじみた言語能力を自覚してからは、海外勢VTuberの配信ばかりを見ていた。
必然的に、日本勢の配信を見る頻度は減っていた。いや、減らしていた。
だから余計に気づけなかった。
いつまで経っても既視感が拭えないわけだ。
今は未来ではなく、過去だったのだから。
あとは、その……おもしろい配信って何回見てもおもしろいもんな!
すでに見た気がしても、気にせず楽しんでしまったって仕方ないよね!?
ただ、それでもこれくらいはわかる。
――前世の記憶において”イロハなんてVTuberは存在しなかった”。
つまり、俺の行動により世界が変わった。
「あるいは、すでに変わっていた、か」
俺が死んだ瞬間、すでに変わりはじめていた。
なにせ死後の世界には”時間も空間”の概念もないのだから。
今ならわかる気がする。
ヴォイニッチ手稿の著者がいったいどんな経験をしたのか。
彼もまた異世界に飛んだわけでも、異世界から来たわけでもない。
過去の世界へと飛んだ。
そして、彼自身の行動によって歴史が変わったのだ。
彼が元々使っていた言語が生まれない世界へと分岐した。
”言語とは歴史である”。
だから、ほかの言語との共通点は見えつつも、まるで飛び石のように断絶していた。
解読のできない言語となっていた。
植生についても同様だろう。
あれらは本来であればそう品種改良され、生まれていたはずだったものではないか?
あるいは文化や文明からして違ったのかもしれない。
たとえば植物を主としていた、とか。
ではなぜ、彼は過去ではなく異世界へ飛んだと
それはおそらく”時代と場所”の問題だろう。
彼は今が何年何月か、わからなかったのではなかろうか?
一般市民まで、だれもが年月日がわかるようになったのは、ごく最近の話だ。
あるいは、そもそも覚えていなかったのかも。
彼が俺と同じなら、彼の記憶もまた歯抜け状態だったはず。
俺だって自分が死んだ年度すら、今の今まで忘れていた。
さらにいえば彼の場合、国まで違ったのだろう。
年月を確認する術がなく、言葉もほとんど通じない。そして土地も違えば植生も違う。
彼がそれを”異世界”と誤解したとしてもムリのないことだろう。
現代人ですら海外旅行するだけで、まるで別世界に来たように感じられるのだ。
彼が受けた衝撃は想像もできない。
「もっと早く、気づけていれば……!」
ようやくイベント会場まで戻ってくる。
会場内もまた騒然としていた。
「お願いだ、間に合ってくれ!」
俺は死の瞬間に”ヤツら”の会話を聞いている。
今の俺ならば、思い出したその会話の内容を理解することができた。
当時は早口やスラングだから聞き取れなかったのだと、そう思っていた。
けれど、ちがう。
ヤツらが話していたのは――ロシア語だ。
最初こそ英語で話していたが、途中からロシア語に切り替えて話していた。
そして、ヤツらが言っていた”女を攫う”っていうのは……。
「――おぉーーーーぐぅーーーー!」
俺は叫んだ。
廊下の先を歩いていたあんぐおーぐが《えっ?》と振り返った。
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