第85話『リハーサル!』
「イロハ! アネゴ! よく来たナ!」
空港で俺たちを出迎えてくれたのはあんぐおーぐだった。
現地である会場集合でいい、と伝えていたのだが待ちきれなかったそうだ。
タクシーに乗り込み、会場へと向かう道すがら雑談に興じる。
《イロハははじめての海外だろ? どうだった、空の旅は?》
《めちゃくちゃ疲れた。あとは爆睡? 正直もう一生分の空を見た気がする》
《ぎゃははは!》
なにせ、朝4時起きの5時集合だったのだ。
しかも12時間もの旅路。空の景色もさすがに見飽きる。
とはいえ、べつに暇でもなかった。
機内では台本やイベント進行確認をしていたし、Wi-Fiが繋がるのでVTuberの配信を見て息抜きもできた。
しかし違和感がすごいな。
時差があるため、あれだけ時間が経ったのにまだ昼だ。
《とりあえず無事に到着できてよかったよ。「マネちゃんもありがとうね」》
「いえいえ、こちらこそお仕事を依頼した立場ですから」
マネちゃんは今日のために本当に尽力してくれた。
当日のスケジュール調整をしてくれたり、前撮りを駆使してまだ未成年である俺の負担を減らしてくれたり。
「イロハちゃん! あたしは? あたしは? 今は名実ともにイロハちゃんの保護者なんだけど!」
「どの口が言うか!」
未成年は保護者同伴じゃないと渡航できない。
そのため海外に渡ろうとすると”渡航同意書”が必要となる。
顔なじみのほうが母親も安心だろう、というわけであー姉ぇが俺の保護者となっている。
のだが、実際のところは……。
《手続きしてくれたのは全部マネちゃんだし、あー姉ぇはカバン置き忘れかけるし、寝坊しかけるし、勝手に売店を見に行ってはぐれかけるし》
《日本じゃ”保護者”の意味が逆なのか?》
《んなわけあるか!》
あんぐおーぐが呆れたようすであー姉ぇを見ていた。
俺も嘆息して視線を窓の外へと向ける。ふと、気になった。
《そういえばアメリカって警察多いんだね。あちこちで見かけるし》
《あー、今は選挙の真っ最中だから余計に、かも》
《選挙?》
《ほら、あれ》
街頭モニターを指差される。
女性の候補者がひとり、男性の候補者がひとり映し出されている。
《女性のほうが人気で、初の女性大統領になるんじゃないかって話題になってる最有力候補。男性のほうはワタシはよくわからない。けど、ロシアのウクライナ侵攻に対するスタンスがちがうらしい》
《へぇ~》
ウクライナ侵攻か。
俺がアメリカに渡ってくる前、配信でこれにまつわるコメントがあった。
近々ロシアが、国際決済ネットワークから切り離されるかもしれない。
だから、もしかしたらこれが最後のスーパーチャットになるかもしれない。
そう言って、ルーブルを投げてくれたロシア在住の視聴者がいた。
《でも意外だなー。おーぐってそういうの詳しかったんだ》
《ぅっ、え、あ……そのー》
《えっ、わたしなんか変なこと言った? VTuberってそっち方面に疎いもんだと思ってただけなんだけど。それとも日本人が政治に関心なさすぎるだけ?》
《そ、そうだな! アメリカじゃVTuberでも常識だぞ、うん! ……いや》
あんぐおーぐが観念したように身体から力を抜いた。
そして《ナイショだぞ。絶対にだれにも言うなよ》と言って耳元に顔を寄せてくる。
《アレ母親、ワタシ娘》
《……えぇえええ!?》
《しぃ~っ、バカ! 声が大きい!》
「ふたりともどうかした? それよりこれ! さっき”ベンダー”? ってとこで買ったホットドッグなんだけど、超おいしいの!」
「いつの間に!? あー姉ぇ、機内食もがっつり食べてなかったっけ?」
「別腹、別腹」
聞こえてなかったようだ。
しっかし、あんぐおーぐがねぇ……。
いや、そういえばたしかに言っていた。
日本に来てあー姉ぇの部屋で『お泊り会』をしたときに、良い家の生まれ、親がお固い職業だって。
それに「日本に来れない事情がある」とも。
なるほどなぁ、そりゃ来れないわけだ。
ということは、アレが例の仲直りできていないっていう教育ママか。
たしかに厳しそう。
《世の中って案外、狭いのかもな》
遠い場所の話だと思っていたことが、じつは身近の話だった。
そういうことってわりと、ありふれているのかもしれないな。
ただ、みんなが気づいていないだけで――。
* * *
《きゃぁ~~~~! イロハ! 本当にイロハなの!? ずっと会いたかったわ! ん~、ちゅっ! 本当にスモールガールだったのね! 実際にこうして会うまで、ずっと疑っちゃってたわ!》
《わ~~~~! マネ! わたしもずっと会いたかったよ~! いつも事務方面で相談に乗ってくれてありがとね!》
《ううん、こっちのほうこそ! 通訳や翻訳方面でいろいろ助けてもらっちゃって!》
《……オイ》
ふたりで手を絡め、きゃっきゃと飛び跳ねる。
ここはイベント会場の楽屋だ。俺はあんぐおーぐのマネージャーとはじめて顔を合わせていた。
《そんなそんな! わたしって国を跨いだコラボが多いから、いろいろと複雑な手続きが多くって》
《けどけど! それを言うなら書類の文面なんかに使う細かなニュアンスのほうが》
《いやいや》
《いやいやいや》
《――オォオオオイ!》
ぐいっとあんぐおーぐに引っ張られ、ぎゅぅ~っと腕に抱きつかれる。
手を取り合っていた彼女のマネージャーから引き剥がされてしまった。
《オマエはワタシのマネージャーだろ! ワタシからイロハを奪うんじゃない! だいたい、オマエら仲良すぎるぞ! おかしいだろ! 初対面なのに距離感が近すぎるだろ!》
あんぐおーぐがむっすぅ~と、ふくれっ面で俺たちを交互に睨む。
あっ、ヤバ。半泣きだ。今にも泣きだしそう。
《……ワタシのときは、こんなにもよろこんでくれなかったのに》
《あ~、いやゴメン! 普段から仕事でやり取りしてたのに、会うのははじめてだったから。なんだか戦地で旧友と再会した、みたいなテンションになっちゃって》
《ビジネスフレンドなので気にしないでください、おーぐ》
「あははははは!」
そんなやり取りを見て、あー姉ぇは爆笑していた。
ほかのスタッフと肩を叩き合いながら。
いやいや、そっちのほうが仲良すぎるだろ!?
初対面だよな!? しかも全然、英語通じてないよな!? コミュ強おそるべし。
そんな弛緩した空気を引き締めるように、パンと手拍子がひとつ響いた。
あー姉ぇのマネージャーが仕切って言う。
《よし! じゃあ、そろそろ時間だしはじめましょうか。――リハーサルです!》
* * *
「ぎゃぁあああ! 下着までビショビショなんだけど!?」
……数時間後。
俺は素っ裸で濡れたパンツと向き合っていた。
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