第74話『セカンドオピニオン』

「なっ、なんですかー!?」


 腕を掴まれた動物病院の職員が驚きの声を上げる。

 俺は熱でもうろうとする意識の中で、必死に演技した。


「ねぇ、センセイ・・・・。この子ってそんなに悪いの!? この注射を今すぐ打たないと死んじゃうくらい、悪いの!?」


「えっ……あー、いやー、それはー、そこまでではないというかー」


 職員があいまいな言葉を述べた。

 母親が職員と俺の間で視線を行き来させる。


「イロハ、たしかにかわいそうよ。お母さんだってこの子に痛い思いなんてさせたくない。けれど、ここで治療せずもっと悪化することになったら、それこそこの子のためにならないのよ」


「あー、それ。そうですよー娘さんー。その子のためには必要なことなんですよー」


 普通なら医師の意見が正しい。それに同調する母親の意見も正しい。

 だが、は普通じゃない。


「お母さん、やっぱりやめてあげてよぉ~! かわいそうだよぉ~! うぇ~~ん!」


「イっ、イロハ?」


 母親は困惑した様子でこちらを見ていた。

 そりゃそうだろう。いつもとキャラがちがいすぎる。


 背に腹は代えられない。今はほかに手を考えられるほどの余裕がなかった。

 恥だが、子どものワガママでゴリ押す。


 にしても……あぁクソ、うるせぇ!

 俺の声に反応して、さっきよりも聞こえるが大きくなっていた。


「あの、先生。ちょっと奥のほうが騒がしくありませんか?」


「あー、たしかに。扉がちゃんと閉まってなかったみたいですー。すいませんねー、入院中の動物たちなんですが夜鳴きが酷くてねー。えーっと、手を離して欲しいんですけど、お母さんからも言ってくれますー?」


 俺は母親に促されて、職員を解放した。

 職員が扉を閉めるため、この場を離れた。


 すぐさま母親が「いったいどうしたの!?」と小声で尋ねてきた。

 なんのこと? と誤魔化そうとするが……。


「あんたのそれ、ウソ泣きでしょ」


 バレテーラ。さすが母親だ。

 時間もないので端的に答える。


「この人、信用できない」


「それは……」


 母親も薄々は感じていたのだろう。

 ほかに選択肢がないから目を瞑っていただけで。


「お待たせしましたー。あー、じゃあ改めてー。注射打ちますねー」


 戻ってきた職員が、注射器を片手に猫へと迫る。

 母親は迷っている様子だった。職員の言うことか、自分たちの直感か――。


「……あの、すいません。やっぱり注射はお断りしてもいいでしょうか?」


「はい?」


「その、ウチの娘もこのとおりですし」


「うえーん! うえーん!」


 瞬間、職員の態度が急変した。


「え? ……え? いやいやいや。はぁあああ!? なんですかー!? 私が信用できないって言うんですかー!? 治療法が間違っているって言うんですかー!? なんて失礼な人たちなんだあんたらはー!?」


「いえ、そんなことはだれも言ってませんが?」


 職員の顔が真っ赤に染まっていた。

 声を荒らげて、俺や母親を罵倒しはじめる。


「あんたは専門家の言うことより、子どもの言うことを優先するのか! だいたい、どんな教育してんですかー!? 治療中にいきなり腕を掴んでくるだなんて失礼ですよー、その子ども! あんたみたいに親がバカだから、子どももバカ・・になるんですよー!」


 瞬間、母親の目からスゥーっと感情が消えたのがわかった。

 あっ……これは、ヤバい。


 母親が俺への視線を遮るように、一歩前に出た。

 俺にはわかる。今、間違いなく母親は笑顔を浮かべている。

 笑顔の起源が威嚇だなんてのは、だれが言い出したんだっけ?


「先生。たしかに私はバカかもしれませんが、この子はとても賢いです。ほら、先生だってさっきおっしゃってたじゃないですか。『今すぐ注射を打たないと死ぬわけじゃない』って」


「そ、それは」


 毅然とした母親の態度に、職員が怯んだ。

 母親は畳みかけるように言う。


「まさか先生がウソをおっしゃられたわけじゃないですよね? それに、なにも治療を受けないとは言ってません。娘が落ち着いてから、改めて診てもらいたいと言っているだけです」


「で、でもー」


「それとも先生には相手が拒否していても、ムリヤリ治療する権利があるのですか?」


「……」


 それ以上、職員から反論の言葉は出なかった。


   *  *  *


 そのあと俺たちは朝が来るのを待って、大きな動物病院へと向かった。

 診察の結果は「ただの風邪ですね」だった。


 結局、数日もすると猫は元気になってまた走り回っていた。

 あの心配はなんだったのか……。


 それと報告がもうひとつ。

 母親が「ねぇねぇ、聞いた?」と尋ねてくる。


「あの診療所、閉鎖されたらしいわよ」


「らしいね」


「もしかしたら、あんたが必死に訴えかけたおかげかもね」


「やめてよ」


 俺は大きな動物病院で診察を受けた際、一連のできごとを伝えていた。

 話を聞いた獣医師さんは険しい表情となり、力強く「わかりました」と頷いてくれた。


「わたしがきっかけともかぎらないでしょ? すでに動いていたのかもよ。あの様子だと過去にも、同じような問題を起こしてそうだし」


「たしかに、あっという間だったものねぇ。けれど、本当にびっくりだわ。まさか、治療を担当していたあの人が――獣医ですらなかったなんて!」


「本当に、そうだよね」


 ここから先は、今思い出してもゾッとする話だ――。

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