第73話『動物病院にて』
「……う゛ぅ」
のそりとベッドから起き上がる。
窓の外を見ると、もう真っ暗だった。
「うわー、もう深夜じゃん。変な時間に起きちゃったな」
知らぬ間に、制服からパジャマになっている。
母親が寝てる間に着替えさせてくれたらしい。
あのあと俺は登校の途中で引き返した。
母親は今日は遅番とのことでまだ家にいた。
出てすぐ帰ってきた俺を見て「どうしたの?」と驚いていた。
正直に頭痛を訴えると、母親は猫のお腹を吸うのをやめて、中学校に病欠を連絡してくれた。
俺はそのままベッドに直行して眠りにつき……。
今の今までぐっすり、というわけ。
「って、深夜? ぎゃぁあああ!? 配信見逃したぁあああ!?」
俺はショックで崩れ落ちた。
くそうっ、やってしまった。
すべての配信をリアルタイムで見ることなんて不可能だ。
だからこそ断腸の思いで厳選しているというのに!
体調はもうずいぶんと回復している。
今からでもアーカイブを確認して、この悲しみを癒そう。
「の前に……ゴホッ、ゴホッ。ちょっとのど乾いたな」
自室を出てリビングへ。だれもいないので真っ暗だ。
電気をつけるのが面倒で、スマホの明かりを頼りに進んだ。
慣れたもんだ。
冷蔵庫からお茶を取り出して、その場で飲む。
「ふぅ。ええっと、今日配信予定だったのは……ん?」
声が聞こえた気がした。
それも室内から。
「だれかいるのか?」
ドロボウかと警戒しながら移動し、照明のスイッチにまで到達する。
パチッ、と明かりが点いてようやく声の主を知る。
「なんだ、猫か」
このセリフで本当に猫のパターンってあるんだな。
そんな冗談を内心でかましながら「さーて配信、配信」と踵を返した。
”苦しい……にゃ”
「え?」
”助けて、にゃあ”
俺は慌てて猫に駆け寄った。
外見的におかしな様子は見られない。一見は普通に寝転がっているだけに思えた。
”ど、どうしたんだ!?”
”お腹が痛い、にゃあ”
聞き間違いではなかった。
猫が唐突にピクンと身体を起こした。上体を蠕動させ、オエェっと嘔吐した。
「”おっ、おい!?” あーもうっ! こんなときどうしたらいいかなんて聞いてねーぞ! ”ちょっと待ってろ。かならず助けてやる!”」
俺はスマホを操作し、動物病院を調べはじめた。
* * *
俺たちは小さな診療所を訪れていた。
施設内はうす暗かった。
動物病院とはこういうものなのだろうか?
やけに獣臭さと薬品臭が鼻をついた。
「猫ちゃん、大丈夫だよー。怖くないからねー」
今ばかりは母親の赤ちゃん言葉もナリを潜めていた。
あのあと、すぐに母親が帰宅してきてくれたのは僥倖だった。
「あの先生、まだでしょうか?」
「お待ちくださいって言いましたよねー?」
母親が尋ねるが、追い払われてしまう。
すでに問診票を記入してから、しばらく経っていた。
今ここには年配の男性職員ひとりしかいないようだが……。
だとしても、ほかに診察待ちもいないのにこれほど時間がかかるものなのだろうか?
それともなにか、ほかに優先してやらなければならないことがあるのだろうか?
ここに到着したときも、何度も大声で呼ばなければ奥から出てきてくれなかった。
「あの、まだでしょうか? もうかなり待たされているんですが」
「はぁ……あー、じゃあわかりましたー。こちらへどうぞー」
ようやく診察室へと案内される。
母親は「ほっ」と息を吐いた。
このあたりで深夜にやっている動物病院はここしかない。
ここで診てもらえないとなると、行く場所がなくなってしまう。
”怖いにゃ! イヤにゃ! 助けにゃあああ!”
診察台に乗せられた猫が暴れ、逃げ出そうとする。
それを職員が押さえつける。
「それじゃあー、採血するんでー」
職員が猫の足に針を刺した。
猫が”ぎゃー! ぎゃー!”と暴れる。
「あー……ダメだ。この子は、えー、血管が細いですねー。なので、えー、もっかいやりますねー。お母さんが押さえててくださいー」
「えっ、は、はい」
”ぎゃー! ぎゃー!”
2回、3回と針が刺しこまれ、ようやく採血が終わる。
猫の脚は血まみれになっていた。
「はー終わったー。じゃあ、まぁ調べるんで待っててくださいー」
職員がそう言って、奥へと引っ込んでいった。
診察室から逃げ出そうとする猫を、母親が抱きしめている。
「よしよし……ごめんね、ツラかったね。痛かったね」
”離せにゃあ! もうイヤにゃあ!”
猫は腕から逃げ出さんと、ガリガリと爪を立てた。
母親の肩にいく筋も血がにじんだ。それでも離さなかった。
俺はあまりの気分の悪さに吐きそうだった。
頭が熱いを通り越して、もはや痛かった。
「……はぁ、……ぅぐ」
「イロハ、ここはお母さんに任せて、外で待っていなさい。ただでさえ今日は体調が悪いんだから」
血を見たせいで気分が悪くなった、と思ったのかと心配される。
ちがう、そうじゃない。
俺の視線は奥へと続く扉に釘付けとなっていた。
母親に話そうと口を開いたとき、職員が奥から戻ってきた。
「じゃあお薬を注射しますねー」
職員が注射器を取り出す。
母親に抱かれたままの猫の脚を掴み……。
「――待て」
気づくと俺は職員の腕を掴んでいた。
ズキン、ズキンと痛いほどに脳が熱を発していた。
診察室の奥へと続く扉が、閉まり切らず中途半端になっていた。
その奥から、何重にもなって
”敵”
”テキ”
”敵ダ”
”敵”
”てき”
”コイツハ――敵ダ”
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