第60話『世界5分前仮説』

 自室の扉を開けると、そこにはアメリカにいるはずのあんぐおーぐが立っていた。


「えっ……えぇっ!? なんでここにおーぐが!?」


 思わぬ事態に混乱し、俺は思考が止まっていた。

 その隙に、あー姉ぇが「かかれー!」と号令をかけた。


「ごめんねっ! イロハちゃん!」


「おわっ、マイ!? お前、やめっ……!?」


 マイに押し倒される。

 そのまま雪崩のごとく3人に、部屋へと押し入られてしまう。


「ちょ、ちょっと待って! 説明してくれ。どういうこと? マイ、あー姉ぇ、おーぐ? ごめん、状況に頭が追いついてなくて。ていうかおーぐ、配信はどうしたの!? アメリカにいなくていいの!?」


「あぁ、休んできたゾ」


「なんで!? そんなことをしたら視聴者が!」


「ミンナ、大切な人イロハを助けるためだって言ったラ、応援してくれタ」


「どうして、そこまで……」


 これは俺の問題だ。俺だけの問題だ。

 みんなには関係ない。そのはずなのに。


「えへへぇ~。そんなのマイ自身が、イロハちゃんを助けたいからに決まってるよぉ~」


「どんなイロハちゃんだって、あたしの大事な妹分だからねー」


「助けるっテ、言っただロ?」


 俺は抵抗するのをやめた。

 もともと貧弱な身体だ。今はさらに衰弱している。


 マイひとりを振り払う力すらない。

 だから、そう……ムダな抵抗だと、合理的に判断しただけ。


 そのときフッと緊張の糸が切れた。


「……ぁ」


 一粒、感情が涙の粒となって零れた。

 そこからはあっという間だった。


 堰を切ったように感情があふれはじめた。

 ボロボロとそれらが頬を伝い、落ちていく。


 嗚咽の合間に、声が漏れた。

 本当は……ずっと、ずっと助けを求めていた。


「怖い、よぉ」


「うんっ!」


「ツラい、よぉ」


「うん」


「イヤだ、よぉ」


「オウ」


「――わたしを、助けてよぉ!」


「任せて!」「任せてっ」「任せロ」


 3人の声が重なった。

 そして俺はすべてを打ち明けた。



「推しが……わたしが推していたVTuberたちがみんな、じつは別人だったかもしれないんだよぉ~~~~!!!! びえぇ~~~~ん!!!!」



「「「……んんん!?!?!?」」」


 ぐすん……あ、あれ?

 話せって言うから話したんだけど、なんかリアクションちがくない?


「イロハちゃん……」


「あ~、おーぐ。あとは任せた」


「……イロハ、お前ェ」


「ちょ、ちょっとどうしたのみんな? ていうか、おーぐ。顔がすっごく怖いんだけど!?」


 3人は呆れたような、怒っているような雰囲気で俺を見ていた。

 まさか、ことの重大さがわかっていないのだろうか?


「み、みんなは昨日の世界と今日の世界が同じだと信じられる? それとも今日と明日はべつの世界だと思う?」


「いきなりなんの話ダ?」


「たとえばの話、だよ」


「日本語では……えーっと、どう言ったらいいんダ? 《5分前仮説》みたいナ?」


「ちがうちがう、そうじゃなくて。突然、世界が別物になってるの。その世界は自分の知ってるものにそっくりだけれど、本物じゃない。すべてが偽物になってるの」


「ン~~?」


 うまく伝わらないか。ならば、やむを得まい。

 俺はもう一歩踏み込んだ。できれば明かしたくなかったのだが……。


「じつはヴォイニッチ手稿を解読できちゃったんだけど」


「!?!?!?」


「ほぇ~」


「ヴォイ……なにそれー? それってすごいの?」


 あんぐおーぐが驚きの表情で固まる。

 マイとあー姉ぇはよくわかっていないようで、首を傾げていた。


「イイイ、イロハ。さすがにそんな冗談にワタシは騙されないゾ」


「ちなみに内容は――」


「アー、アー! ワタシ、日本語ワカリマセン!」


 あんぐおーぐがガクガクと震え、耳を塞いで座り込む。

 英語でなにかをぶつぶつと呟いていた。


《さすがに冗談だろ? けどあの・・イロハだし。まさか歴史的な快挙がこんなところで? ていうか、みんなわかってない? ……よし、ワタシはなにも聞かなかった!》


「まぁ、それ自体はぶっちゃけどうでもよくて」


「どう考えても大ごとだロォオオオ!?」


 あんぐおーぐがすごい勢いでツッコんでくる。

 それから《ぬぐぅおおお、認めてしまった》と悶絶していた。


 ひとりで百面相して、せわしないなー。

 まだ本題にも入っていないというのに。


「まぁ、詳細は省くけど、ざっくりいえば著者はある日、目が覚めると異なる世界にいたんだって。そこでは植生や文化、星の位置、言語までちがっていた。それらを忘れないうちに記したのがこの本らしい」


 俺は「あくまでこの本に書かれていることが事実だとすれば、だけど」と補足しておく。

 だが、俺には真実だという直感があった。


「で、ここからが本題。――わたしもそこまでではないけど近い経験をしたことがあるの」


「……っ!」


 まっさきに反応したのはマイだった。

 声にならない驚きを示す。きっと、心当たりがあったのだろう。


 俺もそうだろうと思っていた。

 もしも、だれかが俺の転生に気づくとすれば、それはマイだろう、と。


 いよいよ、向き合うときが来たのかもしれない。

 いったい俺がだれ・・なのか。


 俺はゆっくりと口を開き――。

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