第54話『物足りない日常』

 妙に長く感じた中学校の初日を終えて、帰宅する。

 ぼふん、と着替えもせずにベッドに倒れ込んだ。


「……はぁ」


 大きなため息が出た。

 こういうときはVTuberの配信を見るのが一番だ。


 そう。いつもなら絶対にそうしている。

 しかし、なぜか今日は腕が重くて、なかなかスマートフォンを取り出す気にもならなかった。


「どうしたんだろう、俺」


「どうかしたのイロハちゃん?」


「あぁ、うん。なんだか中学校生活が物足りないような、そんな気がし……ぎょぇえええ!? ママママ、マイぃ!? なんでお前がこの部屋にいる!?」


 俺はまるで黒いアイツを発見したかのごとく、飛び退いた。

 ベッドの下から這い出てきたマイに指を突きつける。


 マジでビビったわ!?

 まだ心臓がバクバクいってるし。あ、ちょっと漏れ……い、いやそんなことはない!


「ふっふっふ、驚いたぁ~? じつはイロハちゃんをビックリさせようと思って、待機してたんだよねぇ~!」


「次やったら不法侵入で訴えるからな!? マジで!? 絶対に許さねぇ!」


「えぇ~!? ちゃんとおばさんにも許可もらったのにぃ~。『買いもの行ってくるから、代わりにお留守番お願いねぇ~』って頼まれたのにぃ~」


「それは脅かす許可じゃねーだろ!?」


 あー、ようやく落ち着いてきた。

 けど、なるほど。


 おそらくは入学祝いパーティーに向けた、食材の買い出しだろう。

 入学式のあと、保護者は先に解散していたみたいだし。時間の有効活用というやつ。


「えへへぇ~、でもそっかぁ~」


「なんだよ、その顔」


「ちょっとうれしくってぇ~」


「なにが」


「だってイロハちゃん、マイがいなくて寂しがってくれてたみたいだからぁ~」


「……はぁああああああ!?」


 いやいやいや、いやいやいやいや!

 絶対にない! それだけはない! ありえない!


「お前の勘違いだ!」


「えぇ~? そうかなぁ~? そうじゃないと思うけどなぁ~?」


「次言ったら怒るからな」


「わかったよぉ~。でも安心して。たとえ学校がちがっても、マイはこれからもイロハちゃんのお部屋に遊びに来るし、ずっとお友だちだからねぇ~」


「……うっせ」


 あ~、クソッ! なんでこんなに顔が熱いんだ。

 だいたいマイもマイだ。よくそんな恥ずかしいことを正面から言えるな。


「あっ。ちょっと待って、間違えた! マイとイロハちゃんは友だち以上……親友以上の深ぁ~い関係だった!」


「調子に乗んな」


 ポコンっ、と俺はマイの頭を小突いた。


「イロハちゃん、中学校の制服似合ってるよ」


「マイもまぁ……馬子にも衣裳だな」


「そこは素直に褒めてくれてもいいでしょぉ~!?」


 俺たちは顔を見合わせ、堪えきれなくなったように「プっ」と噴き出した。

 さっきまで感じていた憂鬱さは、気づけば消えていた。


   *  *  *


 そうそう。それともうひとつ、報告がある。

 じつは最近、ひとりお気に入りのVTuberが増えたのだ。


 彼女の名前は”イリェーナ”。

 ウクライナで『平和』を意味するそうだ。


 銀髪の美少女VTuberなのだが、正直言ってまだデビューしたてでいろいろと拙い。

 既存のパーツを組み合わせただけの3Dモデル、フリー配布されている画面素材、音質の良くないマイク。


 それでも不思議と目を惹かれる。

 大好きなものがあって、それに一直線! 彼女の配信を見ていると、そんな思いが伝わってくる。


 しかも、なんと! ウクライナ語と日本語のバイリンガル(ウワサによるとロシア語もちょっとだが話せるらしい?)かつ、女子中学生……という設定なのだとか。

 なんとも親近感の覚える話だ。


 マルチリンガルでリアル中学生だなんて、まるで俺みたいだな!

 といっても向こうが本当にリアル中学生かどうかは不明だが。


 そういうロールプレイである可能性も捨てきれない。

 世の中には17歳を自称しながらも「30歳には需要がある!」という名言……迷言? を発するようなVTuberまでいるからなぁ。いやー、世界は広い。


 まぁ、”3次元”がどうだとかはどうでもいい。

 バーチャル世界において中学生であることは、紛れもない事実なのだから。


<――で、そのVTuberを見てたら、不思議と小学校のころを思い出して電話しちゃった>


『ぴっ……ピェっ!?』


<ん? どうしたの? 変な鳴き声なんか出して>


『なななナンデモ、ないデスヨ!?』


<あぁ、そう? で、その子がまー、可愛いのなんのって! 余裕でわたしの推しランキング入りだったよ! もうマジで推せるの! しかもタメにもなるから、あれはぜひ見るべきだね! あとはあんなところが可愛くて、こんなところが賢くて、そんなところが”良き”で~>


『アゥっ!? ウグゥっ!? ひ、ヒィっ……!? も、もう許してクダサイ。こ、これ以上はワタシの心が持ちマセン! は、恥ずかシクテ耐えられマセン!?』


<あぁん? 恥ずかしいぃいいい!? わたしの推しをバカにするつもりかぁあああ!>


『ちがうんデスー!? ソウじゃナクッテー!?』


<じゃあ、もうちょっと語ってやるしかあるまい。このイリェーナちゃんはなー>


『アウアウアウ~~~~!?』


 そうして俺は、ばっちりと新人VTuberイリェーナちゃんの良さを語ってやった。

 いや~、布教いいことをすると気持ちがいいなー!


 これであのイリェーナちゃんにも視聴者がひとり増えたし、あの転校生にとっても日本語の勉強における一助となってくれること間違いなし。

 まさしくウィンウィンだろう。


 俺はそんな新年度を「悪くない」と思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る