第53話『卒業と入学』

「「あおーげばー、とおーとしー」」


 みんなで声を合わせて歌う。

 体育館のあちこちから嗚咽が聞こえてくる。


 今日は卒業式。

 小学生、最後の日だった。


 歌っていると、ふと服の裾が引っ張られた。

 マイの指先がきゅっとそこを握りしめていた。


 もしかしたら無意識なのかもしれない。

 マイはこちらを一瞥もせずまっすぐ前だけ見ていた。その双眸からボロボロと涙を流しながら。


 彼女の歌声はひどく震えていた。

 けれど、なぜかとても美しく聴こえた。


 周囲を見渡せばほかにも、まるで目に焼き付けようとでもするかのようにジッとこちらを見ている転校生や、保護者席で静かに涙を流す母親の姿が見えた。


 ……そうか、俺は本当に卒業するのか。

 このときはじめて実感が湧いた。


   *  *  *


「イロハぢゃんぅ~!」「イロハサマ~!」


「ええいっ! いつまで引っついてるんだ! っていうか鼻水! 鼻水ついてるから!」


 卒業式のあと教室は大騒ぎだった。

 スマートフォンの使用も解禁されて、あちこちで撮影会が行われている。


 俺の時代には、男子がお互いのランドセルに寄せ書きしたり、女子がプロフィール帳を交換したりしていたのだが、そんな風景はまったくない。

 時代が変わったんだなぁ、とすこしノスタルジーを感じた。


「イロハさん」


「あっ、先生」


「これから、みんなとはべつの中学に進むとのことで、いろいろと不安もあるかもしれません。けれどあなたならきっと大丈夫。先生はいつでもあなたの将来を応援していますからね」


「ありがとうございます」


先生ぜんぜいぃ~! 一緒いっじょ写真じゃじんりまじょう~!」「センセイ~! 写真撮りマショウ~!」


「はいはい、いいですよ」


 この人数で自撮り……はちょっと厳しいな。

 と思っていたら、ちょうど男の子が近くを通りかかる。転校生が彼に駆け寄った。


「アノ、写真を撮りタクテ。……イイ、デスカ?」


「!?!?!? お、俺か!? ももも、もちろんよろこんで! ……っしゃぁあああ!」


「……? ありがとうゴザイマス? じゃあコレ、ワタシのスマートフォン」


 転校生は自分のスマートフォンを男の子に渡し、走って戻ってくる。

 残された男の子はポカンと立ち呆けていた。


「早クーっ! ワタシたちを撮ってクダサイ!」


「えっ? ……えっ? 俺たちで写真撮るんじゃ……あれ?」


「ナニを言ってるんデスカ?」


 男の子は悲壮感たっぷりの顔で「はいチーズ」と声をかけた。

 が、がんばれ男の子……いや、スマンもうダメだ。


 きっと次の恋があるさ!

 応援している! 男は失恋して強くなるんだ! 俺も何度、推しができては失ってを繰り返してきたことか。


「先生~! こっちも写真いいですか~?」


「はーい! いいですよ~。ごめんなさいね、呼ばれちゃったから」


「いえ、ありがとうございました」


 転校生は撮ってもらった写真を確認し、満足気に頷いていた。

 それから意を決したように「イロハサマ!」と一歩詰め寄ってきた。


「えーっと、なに?」


「ソノ、イロハサマ。ダ、ダメだったら断ってもらって全然、大丈夫なのデスガ、デスカラ、アノ……連絡先! 写真、ダカラ! 送るのに必要デ、ソレデ!」


「ん? あー、いいよ?」


 なんだ、そんなことか。

 たしかに写真を共有するのにIDを知らないのは不便だもんなー。

 なにせ戦争にすらSNSが利用される時代だ。


「~~~~っ! アッ、アリガトウゴザイマス!」


「LIME? Dithcord? それともFakebook? ウクライナだとテルグラムが流行ってるんだっけ? ごめん、テルグラムはやってなくて」


「LIMEで大丈夫デス! ……ヤッタ! ヤッタ~!」


 ID交換ぐらいで大げさな。

 そう言おうとしたとき、教室の窓から強い風が吹き込んだ。


「わっぷっ!?」


 思わず腕を風よけにする。

 指の隙間から、揺れる銀色の髪が見えた。


 俺はその景色に思わず見惚れた。

 桜の花びらとともに涙の雫が宙を舞い、キラキラと光っていた。


「イロハサマ……ワタシ、がんばります・・・・・・カラ!」


 ピコン、と通知音が響いた。

 スマートフォンに視線を向けると、友だちリストに新たな名前が追加されていた。


「……そっか、こんな名前だったんだ」


 突然、目の前の彼女が現実感を伴ったような気がした。

 その様子をいつもとは異なり、マイは静かに眺めていた。


   *  *  *


 そして、3月が終わり――4月がはじまる。

 俺は中学生になっていた。


 あくびを噛み殺しながら、机に頬杖をつく。

 ちょうどさっき入学式が終わったばかりだ。


 教室の中はみんな、ソワソワと落ち着かない様子だった。

 そこだけは公立中学も私立中学も変わらないらしい。


 しかし、数分もすればあちこちで似た者同士が集まりはじめる。

 男子だけのグループ、女子だけのグループ、リア充グループ、ヲタクのグループ……私立中学ならではなのは、帰国子女のグループだろうか。


 ……え? 俺はどうなのかって?

 俺もテキトーなグループに所属している。


 小学校までは独学でも問題なかったが、中学の進学校となると話が変わる。

 勉強とは情報戦だ。すなわち集団戦でもある。効率よくやるには、そこそこに友だち付き合いするのが吉。


 俺だってそういうのができないわけじゃない。

 名前を覚えられないくらい、他人に興味がないだけで。


 これまで小学校でマイたちに絡まれていたときと、大きく変わらない。

 ……そのはずなのに、なぜだろう?


 俺は中学での生活に退屈を感じていた。

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