第9話

 放課後、日誌を書き終え職員室に提出するまで、結局篤は待っていてくれた。


(こういうところは優しいんだよな)

 ついでに一緒に下校しながら、チラリと篤を見ると「なんか顔についてる?」と頬に手を当てて首を傾げる。ほたるは「別に」と慌てて景色に目を向けた。


 あぜ道の両側で、金色の実をつけた稲穂がむんと特有の匂いを放っている。たくさんのアカトンボが止まる場所を探して飛び交っていた。篤はさっきから、人差し指を掲げアカトンボをおびき寄せている。

 篤は時々あぜ道を通って帰る。あぜ道の途中に、人が一人通れるくらいの細く折れ曲がった分かれ道があって、そこを真っ直ぐ進むと篤の家につくらしい。


「こっちの道、遠回りでしょ」

「まあね。でもさ、時々嗅ぎたくなるんだよ。田んぼの匂い。死んだじいちゃん農家だったから」

「ふうん」

 秋らしい気持ちの良い風が吹いた。篤と二人きりの下校。


『か、れ、し』

 ももちゃんのニンマリ顔が浮かび(ちがう)とほたるは一人赤くなる。


 でも。篤、低学年の頃に比べて、すっかり男子って感じ。背も、ほたるよりちょっと高い。それに自分のことを「僕」から「オレ」って言いだして。


 ほたるの呼び方も「深山さん」から「ほたるちゃん」を通り越して「ほたる」になった。篤に呼び捨てにされるのは、ちょっとくすぐったい。

 手洗い場でぴしゃっと水をかけてきたり、音楽の時間に背後からリコーダーでツンとつついてきたりするのも、ちょっと嬉しかったりして。


「やっぱ、顔になんかついてる? あ、日誌の仕返しで、ほたるなんかしただろ?」

「あたしは篤みたいにガキじゃないから、そんなことしないもーん」


「オレの方が年上だぞ」

「たった十日でしょ」


「十日でも年上!」と、篤はほたるの手提げをヒョイと取り上げ「年上だから持ってやる」と笑った。

 そういえば小さい頃は一緒に誕生日会をしたってお母さん言ってたっけ。覚えてないけど。


 幼馴染みと言っても男子と女子。昔は母親にくっついてお互いの家を行き来したけど、今は全然だ。母親同士は、今もよくお茶してるみたいだけど。

 あぜ道に細い分岐点が現れる。ほたるの手提げを「はい」と渡して「じゃっあな~」と篤が変な節をつけて手を振った。一人だと長く退屈なあぜ道も篤と帰ると『秒』すぎる。


「そうだ」

 分かれ道の雑草に足を踏み入れた篤が思い出したように振り返る。


「?」

「ほたるが学校で笑ってるとさ、オレはなんか嬉しい」

 夕焼けに染まった顔をくしゃっとさせて篤が笑った。あ、目の下のえくぼ。


「何それ」

 篤はぽりっと頬を掻いて「バイバイ」と細い田んぼ道を全力疾走していく。篤の真っ黒いランドセルがカタカタ鳴っている。


 とくん。と、胸が、痛いようなくすぐったいような、さわさわする感じがした。でもすぐに「あ!」と、ほたるは声を上げた。


 ももちゃんの家でクッキーを作る約束!

(まだ味見に間に合うぞ)

 ももちゃんの作るサクッ、ほろっ、な、クッキーを想像したら、口の中にジュワッとよだれが溢れた。


(レシピ完コピして、今度篤のバカに作ってあげようかな)と、ほたるは思っていた。

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