02話

「濡れてしまいましたね」

「はい」


 別に約束をしていたとかではなくて外でたまたま遭遇しただけだった、だけどゆっくりとお喋りをしていたあたし達に雨が降り注ぎ屋根の下まで逃げてきた形となる。

 いま先生が言ったように濡れているから六月前なのに少し寒い、だから挨拶をして家まで走ろうとしたら腕を掴まれて止まることになった。


「私の家はここから近いので来ませんか?」

「え、いいんですか? それなら……」

「はい、行きましょう」


 近いならよかった、お仕事の関係上遅い時間に帰ることが多いだろうから危ないことに巻き込まれる可能性も低くなる。


「ここです、いま鍵を開けますね」

「はい」


 アパートだったらしい、一軒家でも変わらないがそれ以上に気にしなければならないというのは疲れそう。

 どこでもいいということだったものの、濡れているのもあって入り口付近に座らせてもらうことにした。


「お風呂に入りたいですか? それともタオルで拭くだけにします?」

「着替えがないのでそれならタオルでお願いします」

「分かりました」

「鯉田先生は入ってきてください」

「え、あ、分かりました」


 こちらが風邪を引いて休んだ場合と先生が風邪を引いて休んだ場合だと影響力が違うからこうするのが一番だ。

 奇麗でふわふわなタオルで拭かせてもらって、でも部屋をじろじろと見るのは違うから玄関の扉を見て過ごしていた。

 これはいつまでいていいのだろうか、そもそもタオルで拭いたところでまた濡れることになるのだから断って帰っておいた方がよかった気がする。

 せっかくの休日なのに生徒がいたら休めないだろう。


「お、お待たせしました」

「あ、そろそろ帰ります」

「え、まだ大丈夫ですよ」

「でも、休んでほしいですから」

「ま、まだいてください」


 せっかく立ち上がったのにまた座ることになった。

 こうして結局言うことを聞くぐらいなら最初から余計なことを考えるべきではなかった、先生のことを考えているふりなんていらないんだ。


「どうぞ」

「ありがとうございます」

「もっとこっちに来てください、そっちも掃除をしていますがこっちの方が特に意識をしてしているので奇麗ですよ」

「はい」


 先生の部屋に初めて入った生徒……となるのかな、それとも今日みたいに誘ったりしているのかな。

 先生が恋人というわけではないから別に嫌だとかそういうのはないが気になる、小説を読んでいるときよりもだ。

 でも、友達というわけではないから結局勢いに任せて口にすることはしなかった、そういうのはあの子とかがすればいい。


「本でも読みますか?」

「いえ、鯉田先生が読みたいならどうぞ」


 って、よく見たら漫画なんかもあるのか。

 こうして仲良くしていけば共通の話題で盛り上がるなんてこともできるかもしれない、先生次第だが友達とまではいかなくてもそれと同じぐらいまでできるかな、と。

 作られた甘い世界にばかり浸っているからかもしれない、可能性が低いことでも心が期待してしまうのだ。


「こうして残ってもらっておいて言うのはなんですがつまらない場所ですよね、だから本でもどうかと言わせてもらったんですけど……」

「気にしないでください。それにつまらないなんてことはないですよ、鯉田先生の家を知ることができて嬉しいです」


 少し矛盾しているがあたしはこういう人間だ、つまり自分に甘いとも言える。

 チャンスを自らの手で壊したりはしない、挑戦した結果でのそれではないとメンタルがやられる。


「そ、そうなんですか?」

「はい、だって入学してからずっと鯉田先生ともっと一緒にいたいと思っていましたからね」


 約二ヶ月なのにずっとはおかしいが。


「鯉田先生は格好いいです、いつも柔らかな表情を浮かべて接することができるのもすごいところだと思います。あたしだったら疲れていたり他にやらなければならないことがあったりすると結構表に出してしまいますから」


 先生が私服なのも影響していてどんどんと重ねてしまっている。

 ここはぴしゃりと止めてほしいところだ、そうしないと止まらない。

 いや遠慮なんかはしない自分だが、その時間が長くなるほどに気になることが増えていくから駄目なんだ。


「それはなるべく頑張っているだけで実際は大したことないですよ」

「あたしだったらそうやってずっと頑張ったりできません」

「ご、ご自分のことを悪く言っては駄目ですよ」

「別にそういうわけでは、卑下したりはしませんよ」


 よし、少し間ができたから一つ深呼吸をして落ち着かせよう。

 あの子の距離感に困ることがあるとか言っていたくせに自分がこれだから呆れる、それでも後悔はしていない。


「これ美味しかったです、それとタオルもありがとうございました」

「あ、はい」

「流石にこれ以上はあたしが気になるのでこれで失礼します、また明日からよろしくお願いします」

「分かりました、余裕があるので傘を使ってくださいね」

「ありがとうございます、それでは」


 やばい、落ち着かせたはずなのに離れてからわくわくというかうーんなんだろ。

 とにかく走ることでしかいまのあたしは止められなかった。




「あれ、帰らないの?」

「ん? ああ、別にそんなつもりはないよ」


 放課後になったのをいいことに少しのんびりとしていただけだ、授業休み時間授業休み時間という繰り返しが終わるときだからというのもある。


「鯉田先生今日も小さいのにしっかりしていたわね」

「そういう人だから教師になれたんだと思う」


 弱いところは見られない方がいい、そういうのは信用している相手にだけ見せるべきだった。

 世の中には色々な人間がいるから弱みを握って自由に~なんて下衆な考えで行動をする人間もいるだろう、あたしはそんなことをしないが本当に興味を抱いている人間の前で隙を見せるべきではないと思う。

 だって昨日は当たり前のように甘えてしまったわけで、あたしよりも積極的に行動をする人間だったら多分夜まで休むことができていなかった。


「はあ~私には無理だ」

「そんなことはないと思うけど、ちゃんと意識を切り替えてできているよ」

「それだけならあんただって同じじゃない」

「いや、一応真面目にやらなければならないときはやっているけどすぐに考え事をしたりしているからね」


 絵を描いて遊んだりもする、だからあたしは違う。

 ただ、言葉だけでは届かなかったのか「そういうのいいから、無理やり褒められても嬉しくないわ」と受け入れてもらえなかった。

 難しいな、人によっては全く違う捉え方をするかもしれないから発言をする際には気を付けなければならない。


「帰りましょ、それで今日は私の家に来なさいよ」

「うん」


 彼女の家には数回上がらせてもらったことがあるから特に緊張したりはしない。

 自宅のやつより柔らかいソファに座らせてもらって足を伸ばす、するとつま先辺りまで彼女の家族の猫ちゃんが歩いてきた。


「にゃ~」

「おいで~」


 うーん、近くまでは来てくれるがまだ触ることはできないか。

 彼女に甘えているところを見ると少し寂しい、だけど当たり前のことだから引きずるようなことでもない。


「はあ~最高の枕ね~」

「硬いでしょ?」

「そんなことない、うん、本当に最高の枕よ」


 お腹の上にはもふもふな存在、それであたしの足もって贅沢だ、なんてね。

 太らないように走ったり物凄く軽い筋トレなんかもしているから間違いなく柔らかくない、つまり枕には適さない。

 そもそも骨がある時点でという話だ、休みたいならちゃんと枕を持ってくるべきだと言える。


「桒原、私はやるわ、出会って前までは一ヶ月目だったから我慢していたけどこれ以上はできないの」

「それならお休みの日に会うしかないね」


 友達とか親戚というわけではないからそれが一番難しい、昨日のあれだって奇跡みたいなものだった。

 こちらが外にいても先生が外にいなければその日は絶対に出会えない、偶然な遭遇を狙うのは無理だ。


「そうね、でも自然に遭遇するというのは無理だから家の場所を聞くしかないわ」

「体重のこと以外ならいいということだったから教えてくれるといいね」


 自分のことだけを考えるならこれは間違いなくいいことだった、余計な感情が出てこないようにも必要なことだ。

 恋は早いもの勝ちということで奇麗に諦められる、なんにも努力をしていなかったのだから当たり前だと片づけらていい。


「そのときはあんたも手伝ってちょうだい、あんただって仲間みたいなもんでしょ」

「またなの……?」

「仕方がないでしょ、ということでいまから行くわよ」

「えっ!?」


 彼女の家とはいえこうして帰ってきたばかりなのに学校にまた戻るのか。

 腕を掴まれて強制的に学校に向かっている最中、だから家に着いてもすぐに制服から着替えなかったのかと今更気づいた。

 乙女の行動力はすごいな、あたしでは絶対にできないことだ。


「ふむ、忙しそうね、少し教室で待ちましょ」

「うん」


 ある程度時間が経っていたのもあって教室には誰もいなかった、彼女はまた前の席に座って「大変そうねー」なんて呟いている。


「普段お世話になっているから飲み物なんかを買って渡すのもありよね、大人とはいっても女の子だから甘いお菓子でも喜んでくれそうだわ」

「書類が汚れないように手を汚さないで食べられる物がいいかも」

「手を汚さずにか、まあ色々あるわよね」

「うん、あとは買うとしても安くやるとかかな、高いと気になっちゃうから」

「よしっ、じゃあいまから買ってくる!」


 はははと笑って突っ伏す……前に母に連絡をしておいた。

 多分遅くなるだろうからまた暗闇に恐れながら歩かなければならない、空気を読んで離れる必要があるから意外と明るい時間に帰れたりするかもしれないけどね。


「上手くいきますように」


 こちらはこちらにとっての最悪な展開になった場合に備えて寝ておくことにした。




「起きて、もう真っ暗だよ」


 気づいたら前の席で寝ていて完全下校時刻ではないからとこちらもゆっくりしていたわけだが失敗だった、早く起こして帰っておけばよかった。

 ただ、積極的に動いた後にこうしていたというのもあって声をかけずらかったのもあってこうなっている。

 それでも完全下校時刻になってしまうから頑張っている状態だった。


「……桒原、悪いけど家まで運んでくれない?」

「いいよ、帰ろう」

「うん、お願いね」


 横ではなくても彼女がいてくれるということで怖さは半減した、走っていても疲れたりはしなかった。

 家の前で下して風邪を引かないでねと言って走り出す、後半は全く別物だったがいつもとは違って安心できた。


「ただいま」

「おかえり!」

「お父さんもおかえり、もうご飯は食べた?」

「いや、かなを待っていたぞ、だから食べよう!」

「あ、ごめん、食べよう」


 ご飯を食べている間はとにかく賑やかで先程までの差が凄かった。


「さてと、それじゃあもう戻るよ」

「明日早いんだよね? 行くときは気を付けてね」

「ああ、俺はまだまだ母さん達といたいから気を付けるよ」


 普段であれば二十一時頃までは母と楽しそうに会話をしているがお仕事で早く起きなければならないなら仕方がないか。

 なんか気にしていそうな顔をしていたから洗い物を代わりにやって洗面所へ、こちらも早くお風呂に入って本を読みたい。

 読書好きのくせに学校で読んでいないのはにやにやしてしまわないか不安だからだった、そういうのを気にしなくていい場所なら間違いなく持って行って読んでいる。


「ふぅ」

「私も入るね」

「うん」


 髪を洗ったり体を洗ったりしている母をじっと見ていたら「そんなに見ないの」と言われてやめた。

 身長なんかは父からというのは分かるがその他の部分はちゃんと遺伝していない。

 母は結構なんでもできるのにあたしはできないし、胸だって……うん。


「お父さんとゆっくり話せないと少し寂しい、それにあんたに洗い物もさせてしまうし今日の私には五十点もあげられないよ」

「反省することは必要だけど必要以上に自分を悪く言うのは駄目だよ」


 何歳になろうと恋する乙女をやっているわけか、先生とのことを聞いてみたらどう答えてくれるだろうか?


「だからこれは必要な範囲で言っているの。ま、私のことはいいとして今日も遅かったけどまた出かけてきたの?」

「いや、学校でゆっくりしていたら完全下校時刻間際でね」

「帰ってゆっくりすればいいでしょ、そんなに家は休まらない場所なの?」

「違うよ」


 違う、家は大好きだ、部屋なんか特にそうだ。

 でも、付き合えと言われてしまっていたからああするしかなかった、あの子だってこっちのことを考えて声をかけなかったんだと思う。


「ふぅ、温かいね」

「うん」

「なにか困ったこととかない? あんた学校でのことを全く教えてくれないからお母さんとしては気になるんだ」

「困るようなことはないよ」


 班活動なんかをしなければならないときでも普段と同じようにできている、協調性がないわけではないのだ。


「それならいいけど、じゃあ私はお父さんといたいから出るね」

「分かった、おやすみ」

「おやすみ」


 これだけラブラブなのに子どもがあたしだけというのは何故だろう。

 お金がないわけではない、そういうことで困ったことはないから間違いなくそう。

 まあ、産めばそれで終わりというわけではないから……。


「あっ、電話……」


 もう少しぐらいはゆっくりする予定だったがこうなってしまっては仕方がない、すぐに出て応答ボタンを押す。


「もしもし?」

「あ、いま大丈夫だった? さっきはありがとってお礼を言いたくてかけたのよ」

「大丈夫、それとお礼なんか言わなくていいよ」


 だって彼女の家に着いたときだって言ってくれたのにこれでは過剰になる、運んだときはともかく寝ていただけなのに言ってもらえるような資格はない。


「そういうわけにもいかないでしょ、ああしていたのだって付き合おうとしてくれていたんでしょ?」

「そりゃあまあ……付き合えって言われていたし」


 嫌だよとか無理だと断らずにいたわけだから普通はああする。


「だからありがと、それとちゃんと家の場所を聞くことができたわ」

「お、よかったね」

「うん、ちなみにあんたにも教えていいってことだから教えてあげるわ」

「へ、へえ」

「ん? あ、もうご飯だから切るね、また明日ね」


 もう知っているからその必要はありません、なんて先生が言えるわけないしな、それと頑張っているときに事実でもそう教えられたら微妙な気分になりそうだ。

 とりあえず電話も終わったから拭いて着てジュースを持って部屋へ移動。


「ちゃんと言っておいた方がいい気がする」


 後からばれて喧嘩~なんてことになっても嫌だ、ただ怖いからアプリを使って正直に吐いておいた。

 家を知っていることやこの前上がらせてもらったこと、仲良くしたいと考えていることなどを全部、かなりの長文になって申し訳なかった。


「はは、あんたやっぱり仲間じゃない」

「う、うん」


 暗闇と同じぐらい怖い、声だけで電話の向こうの彼女は真顔ではないだろうか。


「教師と生徒ということでないと思うけど仮に鯉田先生が桒原を選んでも自分勝手に恨んだりなんかはしないわよ」

「あたしもっ、あなたを選んでも不満を吐いたりしないよ」

「ははは、だけどどうしようもなくなったらちゃんと吐きなさい、抱え込んだままだと爆発してしまうわ」

「そっちもね」


 さて、今日も大好きな世界に浸ることにしよう。

 この前は部屋の電気を点けて読んでいたが勉強机についていた照明だけを点けて読むのが好きだった。

 余計な情報が入ってこなくて集中できる、気持ち悪い動きをしてもばれないというのが大きい。

 まあ、この部屋には他の誰もいないわけだから気にしなくてもいいんだけどね、なんかそういう自分を直視するのもあれだから隠すんだ。


「そっか、告白をするところだったか」


 無理やりやめたわけではなく眠たすぎて休むしかなかった結果がこれだ、いきなり大事なところ過ぎてそれはそれで気になるというやつだった。

 自分のことでもないのにドキドキする、でも、まだまだ巻数があるわけだから上手くいかないよねと諦めている自分もいた。

 結局、ちゃんと聞こえていなかったとか漫画特有のそれでなしになった、上手くいかなくてへこんでいる主人公を親友ポジションの男の子が慰めている。


「付き合っちゃったら終わりだもんなぁ」


 付き合った後をメインに書くのだとしてもいちゃいちゃするしかない、あとは嫉妬して喧嘩……というところだろうか。


「なんか……頑張ろ」


 そういう気持ちが強くなったのだった。

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