第3話 さあ食材選び
「私ね、克己のお母さんに約束したの」
「お袋と? 何を?」
「立派な杜氏になって欲しいから、変なもの食べさせませんって。克己が食べ物に気を使ってるの、知ってるから」
出掛けに明日香が言ってた『がんばる』って、僕の事を考えてくれたからなのか。 なんだか、明日香が眩しく見えた。
「このお店、ほとんどの野菜が地場産の物だから助かるわ」
そう言いながら乳製品のコーナーに歩みを進める彼女の横顔は、並々ならぬ覚悟が見てとれた。まるで戦場に向かう女武者のよう。
牛乳はざっと見ただけでも十種類以上ある。彼女はそこで、迷うことなく特定銘柄の牛乳を手にした。牛乳は銘柄によって値段の幅が大きいけど、明日香は安いやつを選んだわけでも、高いやつを選んだわけでもなかった。
「それを選んだのも何か理由が?」
「このお店では、ちゃんと泡立つのこれだけなの。克己カプチーノ好きじゃん」
牛乳は不思議なことに、泡立てると甘みが出る。落としたてのコーヒーに、泡立てた牛乳を浮かべるカプチーノが僕は好きだ。
「他の牛乳は、泡立たないんだ」
「泡立たなかったり、泡立ってもきめが粗くてすぐ戻ったり」
泡が立たなきゃ、単なるコーヒー牛乳になっちまうじゃないか!
「何でそんなことが」
「お母さんが言うには、昔は綺麗に泡立ったらしいんだけどね。多分、製造工程が以前と違うんじゃないかな。日持ちさせるためにそうなったんだろうね」
「それって日持ちはするけど、牛乳としての性質を変えたってことだよね」
「うん、そうなるわね」
パッケージを見ると、東北の内陸にある聞いたこともない生産業者だった。あんたは偉い。頼むから未来永劫その製法を変えないでくれ、でないと明日香が煎れてくれるカプチーノが飲めなくなっちまう。
と言うか、泡立たない牛乳には表示義務を負わせるべきだろう。『あ・わ・だ・ち・ま・せ・ん』ってさ。
「克己、おっかない顔してるー」
明日香が笑いながら、人差し指で僕のおでこを突いた。くっ、僕は今どんな顔してたんだろう。
「いやなんか、無性に腹が立ってさ」
「わかるわかる、これも売り手側の都合よね。ところで夜はカレーにするけど、昼はお魚でいい?」
お、カレーの予想はぴんぽんでしたか。ルウから作る明日香のカレーは美味いんだよな。ならば昼はお魚がいいです、大歓迎。
「アジかホッケの、干物がいいなあ」
「あはは。ほんと克己って、高校生らしからぬ味覚の持ち主よね」
「ぶっ、オヤジ臭いってか。天日に干すとアミノ酸が増加して旨味が凝縮されるんだよ美味いんだよっ」
なに熱くなってるんだ自分……。
「我が未来の夫は、食になかなかの一家言をお持ちのようで。ならば私も、未来の妻として最大限の努力をいたしましょう」
明日香が満面の笑みで鮮魚コーナーに行き、アジの干物をカゴにいれた。干物も品揃えが豊富だ。迷わず選んだという事は、やはり理由があるんだろうな。
「天日で干した干物なんて、もう貴重品なんだから」
「へ? そうなのか」
「お天気頼みで安定生産できないからね、今は温風乾燥の時代よ」
「それじゃアミノ酸が増えないじゃん、干物にする意味がない」
「その通り!」
明日香が満面の笑みで人差し指を立てた。
「今カゴに入れたやつは、太陽光に近い光を当てながら温風乾燥させたものよ。つまり、日焼けサロンに入れたアジ」
日焼け、サロンだと? 僕の脳裏にアジがサングラスかけて、横たわる姿が映し出された。シュールな絵面だけど、それはそれで美味しそう。
「日焼けサロンでアミノ酸増加か……なんか笑えるね」
「お天気や季節に左右されず、日本古来の味を安定供給できる。こういう技術革新なら、消費者として大歓迎よね」
明日香の頭上に、音符がいくつも弾けて見えたのは気のせいだろうか。そんな彼女が、ねえねえと僕に肩を寄せてきた。こんど旅行に行こうよと。
「北海道は石狩鍋とルイベと鉄砲汁とイカ飯。八戸のいちご煮、秋田のきりたんぽ鍋、盛岡のわんこそば、北上の天然うなぎ、仙台の牛タン、山形の玉こん、会津のわっぱめし、喜多方ラーメン、山梨のほうとう、茨城のアンコウ鍋、群馬のおきりこみ、房総のさんが焼き、松本の馬刺し」
「ちょっ……」
明日香の目が爛々と輝いている。
「うふ、西日本バージョンも聞きたい?」
婚前旅行という名の野望、なんという食い意地。だが……だがしかしだ、いいなそれ。こうして郷土料理を並べてみると、日本て意外と広いもんだ。
「お互い両親を説得しないとな。でも、行きたいね」
「絶対だぞー、約束だからね」
明日香が人差し指で、僕の胸をぐりぐりしてきた。僕それ弱いんです、てか明日香め、それ分かった上でわざとやってるな。
「ちょっ、やめっ、くすぐったい」
そんなじゃれ合いをしていた時、すぐ脇にあった従業員出入り口の扉が開いて、カートにこつんと当たった。
「あ、ごめんなさい。ちょっと通してくださいね」
白い作業服をまとった中年男性が、値札を巻き付けた道具を片手に出てきた。 ふと見れば、明日香がその従業員を凝視している。
「明日香、どした?」
「まさか……まさか……」
明日香の表情が険しくなった。従業員が精肉コーナーで何やら作業を始めると、彼女の表情が更に険しくなった。
え? 何? 明日香、あのおじさんと知り合いなの? どんな関係? おーいっ。
そんな僕の心配をよそに、明日香が精肉コーナーへとずんずん向かって行った。
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