第2話 お買い物へ
石畳の歩道を肩を並べて歩く。明日香の身長は、僕より拳二つ分低い。出掛けに結んだ、彼女のポニーテールがゆらゆら揺れている。
普段は看護師らしく颯爽と歩くからポニテが跳ねるんだけど、どうしたことか彼女の歩みが遅かった。
「どっか、具合でも悪いのか?」
心配になって尋ねてみたら、明日香は顔を赤らめて口篭った。
彼女の口許に耳を近付けて見ると。
「歩き……にくいの」
蚊の鳴くような声だった。しかし全てを察知、アイアンダスタンド。僕の顔も、今赤いんだろうな。
盆正月になると、親戚が集まり大宴会となる。台所で腕を振るう叔母さま達が片手間に、処女を失うと翌日は歩きにくい、そんな話しをしていたような気が。
手の甲がふれ合い、自然と手を繋ぎ指を絡め合う。
両親の思惑はこのさい関係ない。少なくとも僕は、彼女が床に『の』の字を書きながら切ない思いをする、そんな真似だけはしたくないと思った。
カゴを載せたワゴンを僕が押し、明日香の後に付いて行く。付き合いは長いが、彼女とスーパーで買い物するのは初めてだ。これも初体験、何だかわくわくしてくる。
「ねえ克己、日本の食糧事情って豊かだと思う?」
入って正面の通路、果物と野菜のコーナーで明日香が妙な問いかけをして来た。言われて店内を見渡すが、彼女がどんな意図で聞いたのかよく分からない。
引っ越す前からいつも利用しているスーパーだ。お金さえあれば、ほとんどの食材が手に入る。これは豊かと言って良いのではなかろうか。
「豊かだと思うけど」
「普通は、そう思うよね」
明日香が眉毛を八の字に、ちょっと難しい顔をした。彼女がこういう顔をする時って、僕の予測を遥かに超えた事を考えてる。
彼女自身、答えが出てない場合が多く、腹筋を鍛えられることもあれば考えさせられることもある。さて、今日は何が飛び出すやら。
このスーパー、野菜は地元の農家と契約して地場産の物を置いている。ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、彼女は次々カゴに入れていく。
昼メシは分からないけど、夜はカレーかな? 明日香の引越し荷物に、調理器具と一緒に香辛料が入ってたのを思い出した。
何となくカゴに入れてるように見えるけど、ジャガイモは丸くて同じ大きさでも重さを比べていたし、ニンジンはでこぼこが少なくて色の濃いやつを選んでいた。野菜の選び方を、明日香はちゃんと心得ているらしい。
「流石だね」
「え、何?」
明日香がきょとんとした顔で僕を見る。
「しっかり選んでるじゃん、歴戦の主婦って感じ」
「……年とってるように、見えるかな」
ちょっ、何でそういう風にもってくのかな。
「褒めたんだよ、自分を誇れよ」
人間て不思議なもので、好きな人、尊敬している人から褒められると、嬉しいし俄然やる気が出る。
僕自身がそうなのだから、明日香の良いところは必ず口に出して褒めてあげたい。大切な人と付き合うのに、これって大事だと思う。
「ありがとう。克己に言われると、なんだか自信が沸いて来る」
明日香ははにかみながら、ネギ、ダイコン、ニンニクと手にして行く。もちろんこれらも、彼女の選別眼によって妥協の無い選定を受けていた。
おや? ニンニクは一個百円のものと、ネット入り三個百円のものがある。彼女は高い方のニンニクを選んだのだ、何でだろう。
「そっちのネット入りは選ばないんだ」
「うん、お母さんが一回だけ買ったけど、うちでは二度と買わない事にしたわ」
「不味いの?」
「味もだけど……。根菜類って、今の時期なら放っておけば芽が出るじゃない。そのニンニク、芽が出ないまま腐るのよ」
「まじですか」
芽が出ないまま腐る球根なんて、有り得るのだろうか。
「日本や欧米で禁止されてる薬物で、芽止め処理してるの」
「それって、食べて大丈夫なのか?」
「日本では放射線は勿論、収穫後の薬剤散布も特例を除いて禁止されてるわ。でも輸入品には規制が甘いし、日本で想定してない薬剤使われると規制のしようがないの。長い期間食べ続けたら人体にどんな影響が出るのか、検証されないまま店頭に並ぶって怖いよね」
明日香の難しい顔は、これだったのか。
そう言えば、前に杜氏頭が言ってたっけな。日本でまともに自給できてるのは米と牛乳と卵くらいだって。
「こんな輸入野菜が増えていくのか」
「野菜だけじゃないわよ。常温で二ヶ月放っておいても腐らない、輸入もののレモンやグレープフルーツ食べたいと思う?」
「うえっ」
「有り得ないでしょ、私はお断りだわ。放射線や薬物処理で保存性を高めるのは売り手側の都合。消費者が求めてるのは味と栄養と安全性なのよ」
拳を握って力説した彼女が『はっ』と我に返り僕を見上げた。
「ご、ごめん。つい、
「いや、間違ってないよ」
明日香に『安全な食材』って言っちまったけど、それには理由がある。家業の都合上、僕は利き酒をする。
言っておくが飲むわけじゃないからな。そもそも、造り酒屋が自分ちの酒に手を出したらお終いだ。
口に含んで舌で転がし味を確かめ、口の中へ空気を入れる。この時に酒と空気を混ぜ合わせ、
杜氏は味覚と嗅覚をフル稼働させる繊細な仕事。テイスティングの感性が鈍い人は良い杜氏になれない。ソムリエもきっと同じだろう。
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