それからあれこれと考えながら、一週間が既に過ぎてしまっていた。帰す方法も、性格を直す方法も全く思いつかないまま、天使が寂しくないように学校から帰って共に話をする生活を続けていた。

 そしてあれから、天候が劇的に変わった。ニュースが告げたのは、雪が全く降らなくなったということだった。あの豪雪地帯の日本海側でも、だ。やはり天使が地上に落ちてなお、雲の上の彼らは仕事をすることなく怠惰な生活を送っているようだ。許せない。

 雪が無くなれば、雪からの恩恵もなくなる。雪解け水はなくなり農作物が育たなくなる。そうした場合、地球は雨が降っていても乾いた星になってしまうだろう。まずいと思うが、このまま雲の上に天使を戻すのも中途半端に放棄するようで嫌だし、そもそも戻す方法が分からないのだからどうしようもない。


 今日は休日。外へ出て、天使のもとへ向かう。

 ──天使の大声が聞こえた。何を言っているかを詳しく聞き取れはしないが、必死になって何かを訴えているようだ。

「天使……?」

 庭へ駆けて行くと、天使と、彼の目の前には白く長い髪をして天使に慈悲の目を向ける女性がいた。彼女にも大きな翼がついている。驚きのまま固まっていると、女性が私の方を見て、笑った。

「ああ、人間。あなたがこの子を拾ってくれたのですね」

「もしかして、『おうえさま』……?」

「ええ、この子らからは、そう呼ばれていますよ」

「ねえ、天使を迎えに来たの?」

「ええ。ですが……」

 困ったように『おうえさま』は笑って、天使の方へ視線を戻す。

「あなたはいかが思っているのでしたか」

「わ、私は」

 その話を言い争っていたようだ。改めて話すよう促され、天使はおどおどとする。

「私は……戻りたくありません」

「なんで!」

「あんな雲の上にいるよりも、お前と一緒にいたいのだ!」

 その叫びが、私にほとんど質量を伴って襲いかかってきた。衝撃に吹き飛ばされそうになった気がした。負けてはいけない。

「ですが、このままでは雪が降らぬまま春になってしまいますよ」

「そんなの、知りません」

「は……、困るよ」

「私ではない『雪の降り子』が動けばいい、ただそれだけだろう……!」

 天使は、雲の上へ戻るという選択肢をとうに捨てていたようだった。なぜか、私は、天使を戻さなくてはいけないという気持ちになっている。どうすれば──。

 その思考を断ち切ったのは、凛と響いた声だった。

「ならば、いいでしょう」

「『おうえさま』……」

 『おうえさま』はおもむろに指を鳴らした。

「っ……!」

 天使が膝から崩れ落ちる。まずいと思って駆け出し、ギリギリで天使の体を受け止める。

「天使、天使……!」

「もう天使ではありませんよ」

 慈悲に満ちた声が、『おうえさま』のデフォルトらしい。その声は、この場には似つかわしくなかった。

「羽をご覧なさい。もうないでしょう」

「何をしたの!」

「彼の願う通り、あなたと一緒にいられるように

「は……?」

「羽がなくなれば、天使としてのアイデンティティも消失する。そうでしょう? 今の彼はどこからどう見ても素敵な人間です」

 ね、と微笑む『おうえさま』。

「それに……」

 ふっ、と笑った声は、冷徹な響きを含んでいた。

「私は『雪の降り子』を作り出せます。この子はもう私にとって、しっかり働いてくれるではなくなりました。優秀な子は、周りからの妬みそねみを受けたって立ち直り、しっかりと責務を全うできるはずですから。また新しい子を作ればいい」

「あんたがいじめを見逃していたのか……!」

「ええ。これも試練のつもりでしたが、まさか勢い余って雲からなんて思っていませんでした」

 全く困った子たちです、と『おうえさま』は笑った。

「あんた、そんな道理が……!」

「まだ言いますか。辛い状況から、解き放たれたと言うのに」

「そう、だけど」

「人間。先程、私は試練だと言いましたね」

「……それが、何」

「彼は少々、働きすぎました。ステップも段々と正確でなくなり、今までは見せていた暴力への反抗も、もう見られなくなりました。きっともう、仕事に疲れたのでしょう。わざと落とさせたのですよ、他の『降り子』たちに。もし戻ってこられたら、まだ元気があるのだろうと最後まで使ってあげるつもりでしたが……まさかこうなるとは思いませんでしたよ」

「……どれがあんたの本心なんだ」

「さあ? あなたが感じたものが、あなたの中の真実ですよ」

 彼女は優しく笑った。私は、彼女が分からなかった。

「それでは、その子は頼みましたよ、人間」

「ちょっと、待っ……」

 待ってと言いかけている途中で、『おうえさま』は忽然と姿を消してしまった。何なんだ、あいつは。

 私が怒りを覚えていると、私にもたれかかる天使ががたがたと震えていることに気がついた。がこの気温で、ダウンコートだけで外にずっといる。──このままでは死なせてしまうかもしれない。それは、まずい。なんとかして家の中へ運ばなければ。

 試しにお姫様抱っこをしてみた。これならば運べるかもしれないという微かな希望だったが、天使は意外にも軽く、拍子抜けするほどに普通に抱えることができてしまった。羽が、重いと思っていた時のほとんどの質量を担っていたことに気づいた。

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