とりあえず家へ連れて帰った。天使は初めて見るものたちにうきうきした顔を浮かべてキョロキョロとしていた。

「ただいまあ」

 私が天使に家へ入るように手で促すと、天使は首を横に振った。

「は? なんで」

 おっと、だいぶ口が悪くなってしまった。天使相手に失敬失敬。

「羽が

「とける? それが?」

 私が心底分からないという表情で羽を指さすと、天使はああ、と返事する。

「これが雪なんだ。私は羽を地上に降らせているんだ」

「羽が雪に変わるってこと?」

「違う。これは今は羽の形をしているが、一本引き抜いてみよう」

 そう言って天使は背中の羽に手を伸ばす。私はその指先に視線を注ぎ続けた。真っ白な肌はそのまま羽に融けて一緒になってしまいそうなほど美しくすべやかに見えた。指先が羽に触れ、天使は指を二本使ってそっと羽を引き抜いた。

 羽が。明らかに、抜けた瞬間に羽の形を保つことを放棄したようにはらりと、それは真っ白い雪となって地面へ落ちた。

「わ……」

「だから、私は寒がりなのに暖かいところにも行けずにこうして着込むことしかできない」

「羽は抜ける前から雪ではあるってこと?」

「まあそうなるな」

「そっか」

 私はちょっと待ってて、と断って自室に戻って、荷物を置いて、制服から暖かい(がダサくて普段着には到底できない)服に着替える。

「戻った」

「人間はいくつも『ふく』を持っているのだな」

「さっきの服だと外にずっといると寒くて死んじゃうからね」

「……なんだ、一緒にいてくれるのか」

「そりゃ、心配だから」

「……ありがとう」

「そんな改まったみたいにやめてよ、この世は助け合いじゃん」

「……『たすけあい』?」

 明らかに分からないと言いたげな声色だ。

「うーん……困った時はお互い様というか、相手が大変な時は手伝ってあげるのが普通というか」

「それが人間ではなのだな」

 天使は眩しそうに目を細めた。

「羨ましい」

「……羨ましいって、なんで?」

 そう素直に聞くと、天使は少し困ったように笑った。

「そう、だな。おかしな言い回しをした私が悪い。お前には教えてやろう」

「あ、ちょっと待って。ずっと立ってると疲れるしこっち来て」

 私たちは庭の方へ回り縁側に座った。

「話遮ってごめんね」

「いや、いい。では話すな」

「うん」

 ここからは天使の語りだ。


 * * *


 まず、雲の上には私以外にも『雪の降り子』が複数人いる。そして私たちを管轄かんかつする『おうえさま』がいらっしゃる。『おうえさま』は私たちの前に姿を現すことはなく、声や手紙で私たちに対して指示を出したり、次の雪を降らせる場所を知らせたりするんだ。

 で、私は自分の『雪の降り子』としての役目を毎回全うしようと舞い踊るんだが──ん、なぜ踊るのか? ああ……私たちは羽を降らす時に『天使のステップ』を踏むんだ。羽を震わすよりも羽が落ちやすくなる。ちょっと見せてやろう、ほら、こんな風に踊るんだ──。

 おっと、ここだけ雪が増えてしまったな。そんなに気にしない? そうか、それならよかった。

 話を戻そうか。この『雪の降り子』の仕事は、いつも羽を犠牲にしなければならない。だが私が羽をほとんど雪に変えてしまっても、他の天使が動いてくれないのだ。こう言うと恨みつらみを吐くようで申し訳ないのだが、私がきちんと仕事をしていても、彼らは全く動いてくれない。だから彼らの分まで本当は私が雪を降らせなければいけないのだが、私ひとりの羽では雪を降らすことができる量も限られてくるんだ。『おうえさま』は私を「頑張っている」と褒めてくださるのだが、彼らはそれが気に入らないのか、雪を降らせた後に羽の回復を待っている私に、ちょうど今の私のように、恨みつらみを言ってきたり、時折殴られたり蹴られたりもした。私が彼らの分まで動くことができないから仕方ない──。


 * * *


「それは違うよ」

 私は話を遮る形で、そうきっぱりと告げた。

「なに、それ。他の天使たちのこと殴ってやりたい気分だよ」

「いや、だが私が」

「あんたは何も悪くないよ。だって人一倍頑張ってるんじゃん」

「じゃあなぜ彼らは私を」

「そんなのあんたが褒められてて羨ましいだけじゃん。働きもしないのによくそんなことが言えたもんだよ……あんたは本当はもっと褒められるべきだよ、『おうえさま』も直接褒めてあげるくらいしてあげたらいいのに」

 私が不機嫌だだ漏れな声でそうぶつぶつと言うと、天使は混乱したような表情で、口をぱくぱくとさせながらこちらを見た。

「とにかく、あんたは十二分に頑張ってるよ、私が話を聞く限りね。寧ろ頑張りすぎでしょって思うけどなあ……他の動かない奴らの分まで頑張ろうとしてるし。典型的な自己犠牲の精神の塊って感じの発言」

 やれやれ、と私が肩をすくめて天使の方を見ると、天使は目をまん丸く見開いており、その目からは透明な雫が真っ白い肌につう、と流れていた。

「えっ、ちょっとなんで泣いてんの」

「わ、私がか?」

 目元に手を伸ばして涙に触れて、やっと天使は自分が泣いていることに気づいたらしい。意識して、尚のこと涙が出てきたようで、顔を手で覆ってしまった。空気が、天使の呼吸で揺れる。私はいてもたってもいられず、天使の頭を腕の中にぐっと引き込んだ。天使の体は、ダウンコートを着ているにも関わらず、全く温度を感じられなかった。

「ちょっ……」

「泣いていいよ。私が受け止めてあげるから」

 こんなことを天使相手に言うなど誰が想像したであろう。自分でも、こんな語彙が自分から出てきたことに驚きが止まらない。

「その……あんたの辛さが私に全部分かる、なんてこと絶対にないけど、今までよく耐えてきたね。私だったら絶対に無理だ」

 天使は私の腕の中で首を横に振る。

「ううん、よく頑張ったよ。上に戻る前に、今までの辛さ全部流しちゃえ」

 私は白い──だがほんのり青い、そんな彼の髪をさらさらと撫でる。今くらいは、思い切り泣かせてあげたいと思った。

「……戻りたくない」

 ぽつりと、涙に濡れた声がそう呟いた。

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