第九話 禰寝(ねじめ)戦争

 天文十三年正月四日いぬの刻。城内で種子島軍の出陣式がとりおこなわれた。総大将である時堯は東を向いて三献の儀を行う。具足を着けた西村壱岐守時弘が緊張した面持ちで長柄の柄杓ひしゃくに酒を満たし控えている。

 時堯は四方膳の上の打ち鮑を作法にのっとって口に入れ、西村の注いだ酒を飲む。次に勝栗と昆布を同じように食べ酒を飲む。

 陣幕の張られた幕内はもとより外にも大勢の兵士がひしめいているのだが、具足が鳴らすかすかな音すらしない。ただ篝火の薪のはじける音が時折するばかりである。

 苦しいほどの静寂と緊張の中、三献の儀が終わると兜所役かぶとどころやくが兜を、弓所役が弓ではなく今日は火筒を持ってきた。右手に軍扇、左手に弓を持つのが作法だが、時堯が火筒を持ってくるようにと命じたのだ。

 時堯は軍扇を音を立てて開いた。描かれた日輪が篝火を受けて鈍く光った。

 時堯は火筒を掲げ、腹の底からときの声をあげる。

 その声の勇ましさ力強さに兵たちは勝利を確信した。時堯に応えて全軍があげた雄叫びは「うぉー」と天地に鳴り響いた。

 総勢三百の軍勢は五艘の船に分かれて乗り込み、屋久島の宮之浦を目指した。

 月の出にはまだ間があった。雲があるのか星さえも見えず、海は漆黒の闇であった。闇と穏やかな波とは種子島軍には好都合だった。

 時堯は満足だった。ずしりと重い甲冑も忠実な家臣たちも、そしてこの火筒も。すべてが思い描いたままであった。

 種子島左近衛将監さこんえのしょうげん時堯ときたか

『良い名じゃ』

「なにか仰せでございますか」

 思わず声が出たらしい。そばにいた西村が小声で訊いた。

「いや、今宵は絶好の日和じゃなと」

「御意にござりまする。月の無い夜に宮之浦まで潜んで近づき、一気に楠川くすかわの城を攻めるとは。お見事な策略」

「禰寝の者どもに目に物見せてくれるわ」

 暗闇の中で西村が驚いている気配がする。

 ときどき自分が本当は誰であるかを忘れる。だがこういうとき不意に思い出すのだ。たぶん時堯らしからぬことを言ったに違いない。

 時堯は火筒を手に取り、冷たい筒の感触を味わった。いよいよこの火筒が真の力を発揮するときが来たのだ。時堯には、鳥や貝の的を撃つことに飽き飽きしたという火筒の声が聞こえるようだった。

『血を欲しているのだろう』

 思う存分働くがいい。金兵衛に命じた火筒の数は十八挺だった。しかし、昨日までに作ってきたのは二十一挺。十分ではないが戦い方を変えればたっぷりと楽しむことができるだろう。

 今宵は禰寝によって奪われた屋久島を奪回する。次に大隅、薩摩、日向、豊後を攻め落とし我がものとする。豊後の酒呑童子山の金と水銀とを採掘し富を蓄え、兵を増強し、すべての兵に行き渡るよう火筒を作る。戦はかつてだれも想像しなかったものになるだろう。そして各国の金銀を集めながら京へ攻め上り、日本全土を平定する。

 薩摩の南に浮かぶ小さな島の島主が天下を統一するとはなんと痛快なことであろうか。

 しかしこれは始まりに過ぎない。の望むものはそのような小さなものではない。

『俺がなにを目指しているかわかる者はただ一人だ。そう、あの空海をおいてはほかにいない。空海は黒潮に乗せて種子島に必要なものをすべて取り揃えた。それが火筒であり、俺なのだ』

「時堯さま、宮之浦に着きましてございます」

 西村が興奮を隠せないように、しかし声をひそめて囁いた。折よく下弦の月が上りはじめ東の空を薄く照らし始めた。

 この月が実に好都合であった。宮之浦に上陸した本隊は陸路を東にとり、海岸沿いを一里ほど行くと楠川城の西側に出る。この城は東側と北西が急峻な断崖である。南側は楠川前岳へと続く丘陵地帯となっているが、空堀と土塁とで切断されている。したがって、攻め込むには西側の正面、一方向しかない。守る側には非常に守りやすい山城である。しかし、この日の月は夜半過ぎに東側から上るため、西側の唯一の入り口は闇を一層濃くするのである。時堯はその時宜を狙った。

 宮之浦の番卒をことごとく射殺いころし斬り殺し、時堯の軍勢は楠川に向かった。途中、禰寝の歩哨に見つかることは計算済みだった。

 案の定、禰寝の軍勢は城の入り口で待ちかまえていた。

 時堯の陣立ては定石通り鶴翼かくよくの陣である。翼の元に時堯が陣取る。

 馬上から、さっと采配を振る。陣太鼓が激しく打ち鳴らされた。翼の先の陣が両側から城に向かって突撃する音が闇の中に響く。それと同時に城の方からも敵方の鬨の声が上がり雄叫びと馬の蹄の音、その振動が次第に大きくなってくる。その間も多数の矢が空を切る音が甲高く夜空を切り裂いていく。

『まだだ、ようく引き付けてからだ』

 時堯は慎重に距離をはかり、敵が火筒の射程に入るのを待った。

「構え」

 時堯の声が響き渡ると、火筒隊の半数が前に進み出て、横一列に並び火筒を構えた。

「火蓋を切れい」

 采配を高々と上げ、振り下ろしながら叫んだ。

「放て」

 十挺の火筒から一斉に炎が噴き出し、地が割れるほどの轟音が耳をつんざく。

 次の瞬間、数頭の馬が悲鳴のようにいなないた。そして不気味な静寂が一帯を押し包んだ。

 それはごく僅かな間だったであろう。しかし時堯にはこれが、新たな歴史が始まる時間のひずみのように感じられた。

 一方の禰寝の軍は、火筒の音が地獄の使者よりも恐ろしい得体の知れないものであったに違いない。

 一瞬の間を置いて、種子島軍は咆哮と共に一気に攻め込んだ。禰寝軍の先陣が壊滅したのを確信して時堯は軍を進めたのだ。予想通り、禰寝軍は先陣に続く者は無く、恐れをなして城の中に逃げ帰ったと思われる。

 二の丸で防戦する禰寝の兵はすでに意気阻喪していた。陣笠を下ろして投降する兵に向けて、時堯は火筒を撃つ号令を発した。至近距離からの発砲である。弾はことごとく命中した。しかし撃ち逃した兵を仕留めるはずの槍隊は、丸腰の敵を突き殺すことができず、槍を構えてはいるが誰一人突撃しようとしない。

 時堯は弾を込め終えた火筒隊に再び「放て」の命令を下した。火筒隊は躊躇なく発砲した。明るくなり始めた空の下で、禰寝の兵士は、ある者は胴を撃ち抜かれ、ある者は顔面を吹き飛ばされある者は足を吹き飛ばされた。

 火筒から発射された鉛玉は、兵に当たりさえすれば、傷口は鉛玉の変形によって、恐ろしいほどの大きさになり、体内を鉛の砕片がめちゃくちゃに切り刻むのである。 鎧も兜も無意味であった。むしろ、鎧を着けていれば鉛玉によって内側にひしゃげた金属が体を傷つけ、鎧の破片が体内に入り込むことになる。

 たじろぐ槍隊を尻目に、時堯は次々に火筒隊に命じて撃ち殺していった。あたりに肉片が飛び散り、原形をとどめない死体が折り重なって積まれていった。戦闘というより虐殺の様相を呈していた。あたりは酸鼻を極め、戦いに慣れた兵ですらあまりの残忍さに浮足立った。

 時堯はついにすべての禰寝兵を撃ち殺し、馬首を返して本丸へ向かった。及び腰の槍隊とは対照的に、火筒隊は意気揚々とあとに続いた。火筒隊には人を殺したという実感がなかった。ただ号令とともに引鉄を引いただけである。彼らもまた火筒の威力に魅了された男たちだった。

 本丸の門はかたく閉ざされていた。門の前に兜を脱いだ兵が一人立っている。武器は持っていなかった。

 明け渡された城には、ほとんど人は残っていなかった。禰寝龍善たつよし以下主だった家臣と女たちは抜け道から敗走したという。

 時堯は敗残兵をすべて並ばせた。

 兵たちは二の丸の惨劇を知らない。そのために自分たちの命が今、危機に瀕しているとはまったく思っていなかった。なにしろ禰寝家と種子島家とは親戚関係にあるのだ。投降した禰寝の家来を、時堯ならばそのまま家来として雇い入れるだろうと見越したからこそ、大将と重臣たちは兵を残して逃げたのだ。

 一列に並んだ火筒隊が腰を落とし筒先を向けた。禰寝兵はそれを物珍しそうに見ていた。初めて見る火筒とさっきから聞こえる轟音とが繋がらないのだから無理もない。

「放て」

 時堯の合図で二十一挺の火筒が同時に火を噴いた。一気に四分の一の兵が倒れた。 残りの兵たちは、火筒隊が次の玉を込めている間、逃げることも忘れて立ち尽くしていた。火を噴く新兵器が自分たちに向けられることの恐怖で思考は停止し、体が動かないのだ。

 次の発射でも二十人が倒れるはずだった。しかし、倒れたのはわずか六人だった。 撃ち手は火縄を火挟みに挟みなおしたり、口薬を入れなおしたりするが、どうやっても発砲できなかった。

「どうしたのじゃ」

 なぜ発砲できないのか答えられるものはいなかった。

「よい。残りの火筒で撃て」

 しかし、次は四挺が発射できただけだった。そしてついにはどれも発射できなくなった。

「なにをしておる。なぜ撃てぬ」

 時堯の剣幕に恐れおののき、火筒隊はただ平伏するばかりだった。

「ならば残りの兵どもを槍で突け」と命じるが、槍隊の兵はすっかり怖気づいていて槍を構えることすらしなかった。

 時堯の癇癪が爆発するかと思われた時、西村が前へ進み出て、「恐れながら」と口を開いた。

「殿、残りの兵は運があったということで逃がしてはいかがでござろうか。こちらの力を十分に思い知らせるためにも、生かして大隅に帰したほうがよいかと存ずる」

 西村の言葉に怒りの矛を収めた時堯は、さっそく水軍の将を呼び、船を用意するよう申し付けた。そして、「近こう」とそばに呼び寄せ、なにやら耳打ちをした。

 日が昇り始めた楠川の港で、一艘の船が出港を待っていた。乗っているのは禰寝の残党三十八人だった。船出は見送る者も乗っている者も無言であった。禰寝の兵はまだ命が助かった幸運を喜ぶ余裕も無いようだ。

 船は新春の海を大隅に向かって進んでいった。四里ほど離れた時、時堯の兵のあいだにざわめきが起こった。小さくなった船影が遠目でもわかるほど傾いているのである。

 時堯はこらえきれず笑い出した。

 耳打ちをされた将が船底に穴を開けておいたことが知れ渡ると、家臣たちの間に冷ややかな沈黙が流れた。

 船は船主を高々と上げたかと思うと、見る間に沈んでいった。

 時堯の高笑いがいつまでも続いた。



 三郎は一人、自室の広縁で哄笑していた。

 はっと気が付いて、あたりを見回す。

『俺はまた渡っていたらしい』

 三郎は意識が体を離れ、遠く旅することを渡ると呼んでいた。同じ時代の別の場所に行くこともあれば、同じ場所の違う時代へ渡ることもあった。平戸にいるお珠にもそうやって何度か会ったことがある。ただ、いつどこへ自分の意識が渡るのかわからないのが難点だった。

 しかし今回の渡りは三郎には収穫だった。これで先の見通しがついたというものだ。

 三郎は渡った先のことを思い出して、くつくつと笑った。実に痛快だった。あの火筒の威力。血塗られた死体の山。火薬の臭い。そして沈んでいく船。

 種子島家はこのあと何年先かわからぬが、禰寝と戦争になるらしい。

 時堯という男は確かに、種子島家の男子の特徴を備えた顔つきだった。三郎は時堯になって禰寝戦争の采配を振った。それを夢だの幻だのと自分を偽るつもりはない。

 すでに何度もあの時代に渡っているのだから。

 志津という娘の生肝で、三郎は丹薬を完成させ不老不死の体を手に入れたに違いない。だからこそ、何年も先の世界で三郎は火筒を手に、戦争を行ったのだ。

 あの日、榕の魑魅すだまは三郎に囁いたのだった。

 世界の王となれと。

 今、三郎は日本を統一し、日本の王となった自分が世界に君臨している姿をありありと思い浮かべることができる。

 永遠の命を得て莫大な富を我が物にすれば、次なる目的は世界の王となること以外にない。空海もそれを目指したはずだ。

 襖の向こうで咳払いが聞こえた。

「三郎さま、お目覚めでござりまするか」

 襖が開いて家人が挨拶をする。

「よう晴れましてございます。狩りには打ってつけの日和と存じまする」

「狩りだと。儂が狩りに行くと申したか」

「どなたか存じませんが、三郎さまを狩りにお誘いしたそうで」

「それで儂が行くと言ったのか」

 家人は解せない風で三郎の顔を見上げていた。

 三郎はだれと狩りに行くことを約したのか思い出そうとした。すると頭の芯を絞られるような痛みが走る。渡っている時は、体は軽く気分も爽快なのだが、戻ってくると全身の至る所が痛いのだ。脇から背中に掛けてできたかさが潰れ、嫌な臭いの汁を出していた。

 朝餉のあとは決まって着替えをするが、おんなが持ってきた乱れ箱には狩り装束が入っていた。

「なんじゃこれは」

 じかに声を掛けられることのない婢は青くなって下がっていった。

「三郎さま、どうかなされましたか」

 家人が不思議そうに問う。

「狩り装束が入っておる」

「はっ、狩りにお出かけになられますゆえ」

 三郎は釈然としないまま着替えを済ませた。

 渡った時の記憶は、あれほど鮮やかで忘れることもないのに、こちらに戻ってきた時はすべてにまるで霞が掛かったように曖昧だった。三郎はそれは外丹薬の副作用だと思っていた。内丹術を窮めれば、それは解決されるものに違いなかった。

 舟に揺られ、馬毛島に降り立った。

 いきなり羽交い絞めにされた。

「なにをする無礼者」

 新八が突き殺され、砂浜にどさりと倒れた。

「これは殿もご同意なされたこと」

 西村が胸で構えた腰刀こしがたなで体ごとぶち当たってきた。

「きさまら許さぬ」



 長い眠りのあと俺が目覚めたのは、人が火筒という新兵器を手に入れた世界だった。

 俺は父と弟の呪殺に失敗し、家臣によって命を絶たれた。

 しかし、空海によって授けられた秘術はほぼ成功していたのだろう。だからこそ、俺は肉体を失ったにもかかわらずこの世界で目覚めたのだ。

 もはや体の痛みや不調に苦しむことはない。

 結局、空海は失敗したのだ。高野山で入定にゅうじょうする数年前から悪瘡あくそうを患っていたという。それも、今だから三郎にはよくわかるのだ。外丹薬の主な材料である水銀は体内に入れば臓腑を激しく損ない、悪心や震えがおこり皮膚に悪瘡を生じる。三郎はそれに加えて、内丹術の修行に使った曼荼羅華まんだらげのために記憶に障害がおこり幻覚を見るようになった。

 空海はあくまでも肉体の保持にこだわった。しかしそれでは目的を達することはできない。水銀で蝕まれた肉体では日本の統一すらままならないであろう。

 三郎は偶然にも肉体を手放すことに成功した。

『どうせこの世は悪夢なのじゃ』

 は戦勝祝いの美酒に酔い痴れたのだった。

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