第四話 絞殺(しめころし)の木

 甲女川こうめがわの河口は人だかりがしていた。この島で人死ひとじにが出るなぞめったにあることではなかった。役人と野次馬とが入り乱れ騒ぎ立てていた。

「倭寇じゃな。良からぬことをたくらんで島をうろついちょったんじゃろう」

「いや、着物をよく見てみろ。ありゃあ、商人の着物じゃねえか」

「うん。ここらじゃ、あんな柄のを着るやつはいないな。交易船に乗ってきた堺の商人だろう」

 そう言った男は若狭もよく知る鍛冶屋だった。父とは古くからの知り合いで八板家にもよく出入りしていた。

「幸田さま、死骸は男なのですか」

「おお、これは金兵衛さんのとこの。あなたこんなものを見ちゃいけません。若いおなごが」

 幸田孫太郎はすっかり禿げ上がった頭を光らせ、騒ぐ人々から庇うように若狭の前に立ちはだかった。

 若狭はその脇をすり抜け川の方へ行こうとする。

「おっと、いけない。あぶないですよ。今お役人が死体を引き上げているところだからね」

「幸田さま、死体は堺の商人なのですか」

「いやあ、そうと決まったわけじゃありませんが。着物の柄がそんなふうに見えたんで」

 筵を掛けられた死体が、戸板に乗せられて運ばれていく。若狭は幸田を押しのけ、人々が遠巻きにしている役人たちの一群に駆け寄った。役人たちがあっけにとられて立ち止まり、野次馬も何が起こったのかと見守っていた。

 若狭は足早に筵へ近寄る。ほんのわずかためらった後、筵に手を伸ばすと勢いよく引きはぐった。

 紫色にふくれた男の顔があらわになった。

「茂助、茂助」

 若狭は野次馬の方へ向かって呼ばわった。

「へえ」

 茂助が群衆の中から申し訳なさそうに顔を出す。

「どうじゃ。この男は村田屋か」

 茂助は死体に恐々近寄り、死体の顔を子細に眺めた。

「へえ、確かに村田屋に間違いあいもはん」

 若狭は小さく息を吐くと、「ほかに死体はないのですね」と役人に訊いた。若狭は、「ない」という返答に厳しい顔でうなずいた。

「茂助、行きましよう」

「へえ、あの、どちらへ」

「お城じゃ。一緒に来てくれますね」

 若狭の声は震えていた。止めようとしても体が小刻みに震える。

 生まれて初めて見た死体は、やはりおそろしかった。村田屋がどうして死んだのかわからないが、志津の姿が見えないこととなにか関わりがある気がする。「ほかに死体はないのですね」と確かめた自分の非情さが、若狭は悲しかった。村田屋の死で、志津が無事でいるという確信が揺らぎ、一刻も早く志津を探さなければならない、と気持ちが急いた。

 父には止められたが、やはり時堯ときたかの力を借りて役人に志津を探してもらうことにした。

 若狭が城へ向かおうとすると、幸田孫太郎が若狭の後を追ってやってくる。

「ちょ、ちょっと」

 幸田は若狭を両手で押さえるような仕草をして、唾を飲みこんだ。

「あの男と知り合いなのかね。あの死体と」

 若狭が筵をめくったことに、よほど驚いたようだった。

「いいえ、私は知り合いではございません。茂助が……」

 若狭は茂助を探して頭を巡らすと、茂助は役人に取り囲まれていた。引き上げられた男について、いろいろと聞かれているようだ。

「お城に行くとか聞こえましたが、今、外を歩くのは女一人では危ない。私が一緒に行ってあげよう」

「ありがとうございます。ですが、茂助がついてきてくれますから大丈夫でございます」

「あの様子ではしばらくは無理でしょう」と幸田は茂助のほうを振り返った。

 確かに、戸板の遺体はすでに運び去られているのに、茂助はまだ役人に捉まっている。そのうち、まるで罪人のように連れて行かれてしまった。

「実は私もお城へ行く用がありましてね」

 幸田は聞きもしないのに、御右筆ごゆうひつの佐竹さまに会いに行くのだと言った。若狭は仕方なく、幸田と連れ立って城に行くことになった。

「佐竹さまとは昵懇の仲でしてね。こうして、たまに顔を見せに行くのですよ。それで、あなたはどのような御用向きで?」

「うちの者で志津という女子衆おなごしがいるのですが、夕べから行方がわからないのです。茂助も心配しておりまして、一緒に探しているところなのです」

「ああ、それで若殿さまにお願いに行くのですか」

 幸田は自分の勘の良さをひけらかすように顎を上げた。若狭と時堯が親しいことは島民ならだれでも知っている。若狭はいずれ時堯の側室になるのだ、などと訳知り顔で言う者もいた。それは金兵衛が御用鍛冶で、先代の島主、種子島恵時しげときからも特別に目を掛けられてきたからだった。

「で、なぜ茂助はあの男を知っているのです?」

 若狭は死体の男は堺の商人村田屋で、志津の兄の借金のかたに志津を呂宋に売ろうとしているのだと話した。

 幸田は志津の兄、佐平のこともよく知っていて、いつかはこんなことが起きるのじゃないかと思っていた、と嘆息した。

「昨夜、村田屋はお志津の家にいたのですが、お志津が私のところへ来ているうちにいなくなったのです」

「お志津はなかなかの器量よしだからな。村田屋も高く売れると踏んだのでしょう。それで、夜道で襲って船に積み込もうとした。ところが、何かがあって、そう、その何かが問題なんだが、何かがあって村田屋は川に落ちて死んだ。いや、普通に考えれば、誰かに殺された、ということになるな」

「普通に考えると、殺されたことになるのですか?」

「そりゃそうでしょう。大の男が、いくら夜でも川にはまって死にますか。それに、あなたも見たでしょう。顔が膨らんで紫色の斑点が出ていた。あれは首を絞められたんですよ。溺れて死んだんじゃ、あんなふうにはならない」

 若狭は気分が悪くなってきて足を速めた。この上り坂の向こうに城の門があるのだ。幸田も若狭につられて速度を上げたが、上り坂のせいもあって息を切らしている。自然、無駄口を封じることができて、若狭は胸のうちでそっと笑った。

 父ならば、このくらいの坂なら若狭よりも速く駆け上がるだろう。父はいつも鍛錬を怠らない。盛り上がった力瘤や、張りつめた背中の筋肉は子供の頃から見ていたのと少しも変わらない。鍛冶屋ははがねを叩いて鍛えるが、鍛える側が鍛えていなくてどうする、と父はいつも言っていた。

 門番に用件を伝えると、幸田も若狭も顔見知りの門番はすぐに控えの間に通してくれた。幸田は約束をしてあるそうだが、しばらく待つようにと言われている。若狭の方は約束もしていないため、どのくらい待つことになるかわからない。これまでは、長らく待っても、時堯は必ず会ってくれた。どんなに忙しくても若狭のためにいとまを作ってくれたのだ。それを思うと、なぜ自分はほんの少しでも志津の話を聞いてやれなかったのかと、悔やんでも悔やみきれないのだった。

「南蛮人が来ているそうですね」

 幸田はまるで独り言のように、若狭を見ずに言った。

「南蛮人は日本の女が珍しいでしょうね」

「どういう意味でございますか」

「お志津は南蛮人にさらわれたのかもしれないと思いましてね」

「まさかそんな」

「村田屋がお志津を追っていると、南蛮人がやってきて村田屋を絞め殺し、川へ投げ捨てた。そしてお志津を攫っていった。野蛮人ならやりかねない。いや、南蛮人ではなく、お志津の兄かもしれないな。呂宋に行ったと見せかけて、村田屋と同じ船に隠れて乗っていた。可愛い妹が村田屋に追われているのを見て、絞め殺し川に捨てた」

「幸田さまはお話を作るのがお上手なんですね」

 若狭が呆れていると、幸田は自分の話に夢中になり、志津と佐平は島のどこかに隠れているに違いない、と言い出した。

「案外、あなたの家に隠れているのかもしれませんよ」

 幸田の高笑いを聞きながら、若狭はそれが本当ならどんなにいいかと思った。

 幸田が呼ばれて控えの間を出て行くと、佐平が来島していて志津を匿っている、という幸田の作り話を信じたい気持ちになっていた。

 半刻ほど待った頃、浜屋敷で待つようにとの沙汰があった。奥女中が一人、随身してくれるという。

 浜屋敷に着くとほどなくして時堯は現れた。若狭は出迎えるために屋敷の外へ出た。遠く赤尾木の港に二艘の船が停泊しているのが見える。奥の大きな船が南蛮人が乗ってきたという倭寇船で、手前はやや小ぶりな見慣れた交易船である。南蛮人と倭寇はすべて慈恩寺に収容されたので、今は、倭寇船を警備している役人が数人いるだけだ。交易船にも人影が見えないのは、ひと仕事終わったからなのだろう。

「若狭、よう来た」

 時堯が馬上から声を掛ける。海老茶の鎧直垂よろいひたたれに金の縫い取りをあしらった弓籠手ゆごてという華やかな出立ちだった。

 時堯は、「支度せよ」と命じた。

 揃いの小袖に四幅袴よのばかま家人けにんたちが一斉に動いた。まるで戦にでも出るような物々しさである。時堯の足元に緋毛氈が敷かれ、二人掛りで運ばれた長持ちが置かれた。遠くでは台子だいすを据え置いている。その上に白い小さな物を苦労して立てている。多分、小石や砂で貝を立てているのだろう。

「若狭、見ておれ」

 時堯の目は異様な光を帯びていた。普段は、どちらかと言えばおっとりとした、優しい物言いをするのだが、今日は刃物のような鋭さがある。

 長持ちの中に入っていたのはにしきの布に包まれた火筒だった。家人の一人が片膝をついて火筒を立てると、もう一人が長い棒のようなもので筒の中を数回往復させ黒い粉を入れ、次に鉛色の玉を入れる。そのたびに長い棒を筒に差し入れ数回往復させる。その動作は、いかにも儀式めいていて、もったいぶった所作で行われた。

「あとは儂がやる」

 時堯は火筒を受け取ると、腰に下げた竹筒を取り上げた。

「これは口薬くちぐすりじゃ。火薬というものをさらに細かくしたものだ。これをこのように火皿に少量載せる。そして火蓋で覆っておく。これはな、口薬が風で飛んだり、誤って火が点いたりしないためだ」

 どうやら若狭に火筒の撃ち方を教えるつもりらしい。

「次に火の点いた火縄を用意する」

 家人が即座に差し出した。

 時堯は火縄の先を火挟みに挟んで火筒を構えた。縄の先から一筋の煙が立ち昇る。筒の先は二十間ほど先の台子を向いている。

「そして火蓋を切る」

 時堯は今、筒の先にある先目当と手前にある元目当を重ね、台子の上の白い的を狙っているはずだ。

「月夜に霜のおりるが如く」

 時堯はまるで呪文のような言葉をささやくと、若狭に言った。

「若狭、耳を塞げ」

 若狭は言われたとおり、両手で耳を塞いだ。

 筒の先から煙と鋭い炎が噴き出た瞬間、若狭の指の間から入り込んだ爆音が鼓膜を打ちつけた。音というより、どん、という荒々しい震動だった。同時に時堯の体が衝撃を受けて前後に揺さぶられた。

 きな臭さが鼻を突く。

 耳を塞いでいた手を離しても、耳は何かで覆われているようだ。頭の奥で高音と低音が混じり合った雑音が響いて止む気配もない。

「お見事でございます」

 家来たちが一斉に賞賛する。見れば、台子の上の的は吹き飛び、白い破片がわずかに見えるだけだった。

「うははははははは……」

 血走った目で時堯が哄笑する。若狭の背中を冷たい汗がひと筋降りた。


 浜屋敷の座敷で盃を重ねる時堯は、もういつもの時堯だった。人払いをした座敷の障子には残照が薄く照り映えている。

若狭は瓶子を傾けて酌をしながら、「火筒を撃つ時になんと仰せでしたか」と訊いた。

「おお、あれか。月夜に霜のおりるが如く。そのように、そっと引鉄を引くということじゃ。さすれば、十中八九的を外さぬ」

「先ほどの時堯さまは、恐ろしゅうございました。まるでお人が違われたように」

 若狭は、地獄の閻魔の顔だったと心の中で言った。

「そなたの父も人が変わったであろう」

「はい。火筒を前にすると」

 時堯は、「うむ」とうなずいて、そばに置いてある火筒に目を遣った。火筒は錦の布の上に鈍い光をたたえ鎮座している。

「火筒を一度手にした者は虜になるのじゃ。抗いがたい魅力が火筒にはある。その重厚な手触り。その威力。その音。衝撃。臭い。恐ろしいほどに凶暴で猛々しい。にもかかわらず、この繊細な仕掛けはどうじゃ。忍びやかに引鉄を引くだけで、あの爆音とあの破壊力じゃ。いままでにこんな武器があったか」

 時堯は火筒を引き寄せ、愛おしそうに撫でた。

「この火筒は必ずや、国中の大名が欲しがるはずじゃ。南蛮人はそれを見越して売り付けに来た。儂は南蛮人が目を剥くほど高額で買い取った。なぜだかわかるか」

「いいえ」

「南蛮人にこの種子島とだけ取り引きをさせるためだ」

「時堯さまが火筒の元締めとなり富を得るためですね」

 時堯は、さも可笑しそうに笑い盃を傾けた。

「南蛮人は当分の間、儂以外には売ろうとは考えぬだろう。儂ほど高額で買う者はいないからな。冬には南蛮人は満剌加マラッカに帰る。それまでに、やっておかねばならぬことが山ほどあるわ」

「時堯さま、満剌加というのは何でございますか」

 時堯は満剌加がかつては王国であったが、三十年ほど前に南蛮人によって征服されたのだと説明した。

「その国はどこにあるのですか」

「種子島から二十日のところに呂宋がある。そこからさらに二十日のところだと言うておった。遥か南の海を越えたところだ。海が青く椰子の木の生い茂る美しいところだそうだ」

「美しいといっても、種子島ほど美しいところはございません。南蛮人はこの島をも我が物にしようとしているのではありませんか」

「そこじゃ、なぜ儂がそなたの父に火筒の製作を命じたと思う。何人なんぴとにもこの島を攻めさせはせぬ」

「父は火筒を作れましょうか」

「金兵衛の腕は一級じゃ。金兵衛だけではないぞ、この島の鍛冶の伎倆ぎりょうは際立っている。それは我らが有史以来、鉄とともに歩んできたからじゃ。ここには鉄を作るために必要な砂鉄と、炭を得るための樹木がふんだんにある。日本の他のどこでもなくこの島に火筒がもたらされたということは、これぞ天の采配と言わずして、何と言おうか」

 時堯は自分の言葉で感情が高ぶるのか、またも目を血走らせている。

「我らは火筒を作り、日本中に売り捌くのじゃ。薩摩も大隅も従えたのちは、京へ攻め上るのも夢ではないわ」

 時堯の哄笑を不吉な胸騒ぎのように聞きながら、若狭は来訪の目的をどう切り出そうかと考えていた。だが、いまや島主となった時堯に、志津の捜索など頼んでよいものか、という迷いは次第に大きくなっていった。父から止められたこともあり、また、幸田が、志津は兄とどこかに身を潜めていると言ったことを信じたい気持ちもあった。

「どうした若狭。なにを考えておる」

「あ、いえ。島主になられてから、時堯さまはお人が変わられたような気がしまして」

「そうかもしれぬな。島主ともなればなにかと気が重いことも多い」

 時堯は若狭の肩を抱いて、ぐいと引き寄せた。瓶子が倒れ、酒が若狭の膝を濡らした。

「儂はそなたとこうしている時だけが心穏やかでいられるのじゃ。遠慮はいらぬ。もっと、しばしば訪ねてこい。もう、儂がそなたに会いにいくことはできぬのじゃ。のう、お珠」

「その名で呼ぶのはおやめください。幼き頃の名にございます」

「なぜじゃ、お珠。よいではないか」

 若狭はこれまで誰にも言ったことはないが、お珠と呼ばれていた幼い頃のことは思い出したくないのだ。幼い頃は我儘ばかりを言い、ずいぶんと周りの者を困らせた。それを思うと遣る瀬無い気持ちになる。それでお珠と呼ばれることを嫌うのだった。

「ならば私も犬楠丸いぬくすまるさまとお呼びしましょうか」

「よせ」

 若狭のからかいを時堯はむきになって止めようとする。二人はしばし、幼いころにじゃれ合った日々に立ち返っていた。

 その時、襖の外で大きな咳払いが聞こえた。続いて、「申し上げます」という堅苦しい声がする。

「なんじゃ」

 時堯は若狭を放し、平静な声で答えた。若狭も素早く着物を直す。

 襖を開けた家人は平伏した後、ちらりと若狭を見た。

「構わぬ。申せ」

「若い女の死体が森で見つかりましてございます」

「なに。またか。今朝がたは堺の商人だったな。女はどこの者かわからんのか」

 家人は、わからないと答えていた。若狭はそのやり取りを、どこか遠くで聞いているような気がした。

「私をそこへ連れて行ってくださいませ」

 自分の声も遠くから聞こえる。


 若狭は馬に乗っていた。前を騎乗した時堯が駆けている。

 家人が言っていた言葉を思い出す。

「異様な死に方でして。死体はそのままにしてあります」

 死体を動かすのは時堯の指示を仰いでから、と知らせに来たのだという。

 森の入り口で馬を降り、役人たちに続いて森の奥へと進む。この森は城の北側にある深い森で島民が時々、柴を集めたりきのこを採ったりする以外はあまり人は入らない。この日は、たまたま小川に馬を洗いに来た馬方が通りかかり死体を見つけたのだという。

 日が落ちた森は、ほとんど薄闇といっていいほど暗かった。

 しばらく行くと、そこだけぽっかりと明るい場所があった。そのあたりに大きな木が少ないのだろう。まだ明るさを残す空が、下草を春の萌え草のようにおぼろに耀かがよわせていた。

 その中央に立ち枯れた大きなあこうの木があった。その木が生きていた時には、さぞたくさんの葉を茂らせていただろう。そのために木の周りにはめぼしい木が育たず、今は立ち枯れた榕だけがぽつねんと立っていた。

 その太い幹に見慣れた麻の小袖が張り付いている。薄紅の絞り染めが、撫子の花を散らしたように見える小袖は志津のものだった。

 若狭はよろよろと榕の大木に近づいた。うつむいて事切れているのは、紛れもなく志津だった。左の腕は一番下の枝に縛り付けられ、右腕は上の枝から吊るされていた。両足は一本にまとめて木の幹に固定されている。おそらく生きたまま縛り付けられたのだろう。髪は乱れ頬には涙の跡がある。腹のあたりから流れた血が足元に溜まっていた。なにかを語ろうとしているかのように目蓋が半分開いていた。

 とうに死に絶えた榕の気根が、まるで志津の体と命を絡めとったようだ。

 絞め殺しの木。

 ふいにその木の異名を思い出した。寄生木やどりぎならば寄生した樹木を枯らしてしまうことはめったにないが、榕はその旺盛な生命力で、取りついた木から樹液を吸い取るわけでもないのに、気根を絡みつかせ絞殺してしまうのだ。

 志津はまるで、榕の悪霊に取り込まれたかのように木と一つになっていた。さぞ無念であったろうと、若狭の胸は締め付けられる。苦労ばかりで、ついに幸福が訪れなかった志津に、せめて花を手向けてやりたいがその花さえない。志津をこのように苦しませ、殺した者を決して許さぬ、と若狭は心に誓うのであった。

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