第六話 真相

 トゥール公国歴〇九八年 フィデス本市


 リセルが正門前広場東口を抜け、正門前に辿り着くと、そこでの戦闘は既に終わる直前であった。

「これは……」

 火球の魔導ファイアボールで焼かれた死体の異臭と熱気に嘔吐感が込み上がってくる。衡士こうしや野盗の死体が横たわり、転がっている合間を口元を手で押さえながら抜け、正門前に倒れている衡士見習いの一人にリセルは近付いた。

「アサート!大丈夫か!」

 リセルは馬を降り、倒れているアサートに近付いた。

「リ、リセルかい?」

 左足首が奇妙な方向を向いてしまっている。確実に骨折している。歩けず、正門の脇の壁にもたれながらも戦っていたのだろう。アサートは剣を放さずにその場に崩れ落ちていたのだ。他にも打撲や刀傷など、全身に傷を負っている。負っている傷は酷いが、致命傷ではない。胸を撫で下ろし、リセルはアサートの身体を抱きかかえると、正門から役所内部へと入った。殆どの野盗は逃げ支度をしている。

 南口からここにたどり着くまで、思わぬ足止めを食ってしまった。その間に何があったのかは判らないが、野盗の戦力はもう戦力として機能してはいなかった。

「無茶を……」

「はは……。まったくだね。やっぱり僕には戦いは向かないよ。でもリセルも死なないで良かった」

 痛む傷に顔を歪めながらもアサートは笑顔でそう言った。その笑顔にリセルは胸が締め付けられる思いだった。

 こんな目に遭ってまでリセルのことを気に掛けているアサートに呆れるような、嬉しいような複雑な気持ちがリセルの中で渦巻いた。

「痛むか?」

 アサートの額に優しく触れるとリセルはそう言い、治癒の神聖魔導キュアライトウーンズの呪文詠唱を始めた。

「少し。でも大丈夫。死にはしないよ」

 アサートはリセルの両手から発せられる柔らかな光を見つめながら言った。

「何が起こったか教えてくれるか」

 アサートの傷が回復した頃にリセルはアサートに問うた。

「判らないんだ。戦っていて、多分あれは野盗の頭だったんだろうね、そいつが僕の目の前に現れて……」

「グラズニィ・ツェーンロードか」

 恐らくはそうだろう。野盗の中にあって見た目だけで格が違う、と判るのだ。グラズニィ・ツェーンロードは。

「判らない……。けど、その瞬間、紫色の光が物凄い勢いで僕の目の前を通り過ぎていったんだ」

「紫の光?」

「あぁ。その一瞬後にはその野盗の腕が切断されて、手に持っていた何か、宝石みたいなものを取り落としたんだ」

碵石せきせきか?」

 それが碵石だったのだろうか。実物は見たこともないが、書物で模写した画が描かれていたのを憶えている。しかしアサートの証言だけでは断定はできない。

「判らない。でも落としたそれも、紫の光が再び通り過ぎて粉々にしてしまったんだ」

「粉々に?」

「うん。そこで僕は気を失ったみたいで……。再び目を覚ましたときには、目の前にまで迫っていたはずの野盗の一団が殆ど倒されてたんだ」

「……どういうことだ」

 リセルはそこで考え込んだ。紫色の光。

 そういった光が突如戦場に現れ、状況を一変させてしまったという話が歴史にはいくつか記録されている。

 蒼い光、白い光、翠の光、紫の光、他にもあるが、そういった奇跡が実際に歴史上では起こっている。それと同じことがこのアサートの目の前で起こったというのだろうか。

 しかし今それを考えたところで答えは出ない。リセルはアサートに視線を向ける。

「おぉ!リセルか!」

 そこに聞き覚えのある声が飛び込んできた。公国衡士師団長コッド・スナイプスだ。コッドも軽症ではあるが傷を負っている。

「師団長」

「アサートも無事か……。しかしアサート、貴様あれほどの腕を持ちながら何故……」

 コッドはそうアサートに話しかける。

「あれほどの……?」

 リセルはコッドの言葉に首を傾げたが、まず怪我の治療が先だと思い、コッドにも治癒の神聖魔導を行使した。

 リセルの神聖魔導を行使するための精神的許容量はさして大きくはない。先ほどのセレンとの戦闘でもかなり消耗している。恐らくコッドの怪我を癒せばもう数時間は使えなくなってしまうだろう。

「師団長、僕は争いは好みません。衡士になるのは誰かと戦うためじゃないんです。僕はこの街を守りたい、それだけなんです」

「そうか……」

 アサートはいつかリセルに言ったことをコッドに言った。

「どういうこと、ですか?」

「なんでもないよ、リセル。それよりもまだ残党が残っているはずだ。僕らはおかげでまた戦える。リセルは正門前へ」

 アサートはそう言うと立ち上がった。

「無茶をするな、アサート」

「ありがとう、リセル。大丈夫だから」

 神聖魔導を行使し、治療したといっても文字通り傷を治すだけであり、患部の疲労までは回復しない。むしろ傷を治すために細胞を活性化させる効果の有る神聖魔導は更に体細胞を疲弊させてしまう。

「大体片付いたか?コッド」

 そこへまた男の声がかかる。リセルは聞き覚えのある声に瞬間的に顔を上げた。

「アインス……」

「すまないな、アインス」

「この貸しはちぃとばかり高くつくぜ。そうだな……うーん、ソニアとリセルの酌で酒、がいいかな」

 アインスは軽く言って笑った。そしてリセルとアサートの目の前に立つ。その姿は軽傷一つ負っていなかった。

「リセル、去年あんたが衡士になったときにおれが言った言葉、覚えてるか?」

「ええ……」

(あの頃の英雄と同じくらいの衡士は実際、今は少ないぜ)

 つい先ほど痛感した事実だ。衡士は個人の戦いにおいては確かに強き者は多い。しかし戦争ともなった時、一対一での戦いでは有り得ないことが起こると、その強さは脆くも崩れ去る。

 そしてどんなことが起きるか判らない戦場では、確かに今の衡士は弱い、の一言に尽きるのだろう。

 そう考える自分さえもソニアの指示がなければどうなっていたか判らない。

「飛んだ間違いだったぜ。あんたもこのアサートって坊やも中々やる。ま、それでも衡士師団に戻るのは願い下げだけど。あの時はすまなかったな」

 そう言ってアインスは頭を下げた。

「あ、いや……」

 この場で神威しんいが頭を下げるとも思っていなかったので、リセルは面食らった。

「アインス」

 そこでコッドが口を挟んだ。

「あぁ」

「紫色の光を見たか?」

 アサートの言っていた光のことだろうか。どうやらコッドも目撃したらしい。アサートを疑っていた訳ではないが、俄かに信じがたい話であったせいか、今ひとつ真実味を帯びてはいなかったのだが、これでリセルも納得せざるを得なくなった。

「あぁ、見たぜ。なんだか訳の判らねぇ光だったな。残念ながら碵石らしきもんも粉々だ。しっかし、もしあれが本物の碵石だったとして、国営局の誰かが手に入れようとしたってんならえらいことだぜ」

 アインスの表情から笑みが消えた。

 アインスの言葉はリセルと同じ推論の末に辿り着いた言葉のように思えた。

 確かに碵石の力が書物通りのものだとしたら、それは危険極まりないもののはずだ。それを公な調査ではなく、秘密裏に手に入れるということであれば、私利私欲のために、ということに直結する。

 六王国大戦の時から、強大なる力を一つ所に集める危険性を、意味の無さを、愚かさを人間は学び、知っているはずだった。

 それなのに、何故そんなにも強大な力を欲するのか。

「そうだな。国営局長衆は何を考えているのか……。この戦が始まってから三人とも一度も姿を見せておらん」

「はっ、キナ臭ぇったらねぇじゃねぇか。多分そいつらの復帰は有り得ねぇな。このままとんずらで決まりだ」

 軽く笑ってアインスは言う。リセルにはそれが何を意味するのかが判らなかった。

「どういうことです?」

「一つ所に戦力を集中させないための衡士師団だろ。国営局か衡士師団か知らねぇが、フィデス、や、この場合は本部だな。その本部だけが碵石なんてもんを私欲で手に入れたってんなら他の常駐部隊や街そのものがそいつの言いなりになるしかねぇ。独立都市の誕生って訳だ」

(六王国大戦の再来……)

 リセルはフィーアの言葉を思い出す。

 見た目よりもずっと長く生きているアインスは、碵石から生み出された惨劇を体験した事があるのかもしれない。

「そういうことだ。恐らくそれを目論んだのは公国衡士師団上層部とフィデス市議会、総じて国営局の連中の誰かってところだろ」

 コッドは顎鬚を撫でながら頷く。現場と役所の人間は必ずしも通じている訳ではない。特にコッドのように長年現場で働いてきた者にとっては、役人の考えなど理解に苦しむだけだ、とリセルは以前聞いたことがあった。

「多分上の連中にしてみれば、本市に来た野盗はただの運び屋だったんだ」

「運び屋?」

 アインスの言葉をそのまま返すと、アインスは煙草を足元に落とし、話し始めた。

 『大街道で下級魔族に襲われている隊商』という偽の情報を流したのは他でもない、国営局だ。そこへ碵石などという物騒な代物を持った隊商を守るため、公国衡士師団は全戦力を向ける。その間、本物の碵石を持った野盗の本体は、もぬけの殻になったフィデス市に侵入。

 国営局の人間に荷物を手渡すだけで良かった。

 街道へは野盗の分隊とその配下にある下級魔族を送り、『演出上、碵石を持った隊商』を滅ぼした後に、それを護衛に来た衡士を襲う、つまりは衡士の足を止める役割だった。しかし、公国衡士師団の動きは予想以上に迅速だった。

 その上最後に出撃するはずだったフィーアが情報の真偽を疑い、部隊の出撃を遅らせた。

 隊商が見つからないというロイ隊からの報告。出撃を遅らせたフィーア隊。

 結果的にフィーアの直感で、自分の部隊のみ出撃を遅らせた、ということが功を奏したことになる。

 衡士の役目は市内に侵入する野盗を撃退することだ。

 国営局上層部は目の前で野盗や反公国分子の侵攻が起きれば、衡士の役目を止める訳には行かない。

 野盗側からしてみれば話が違う。怒り狂ったグラズニィ・ツェーンロードは、念のために戦力として率いていた反公国派の反乱分子に街を襲わせた。

 この大きな作戦のため、恐らくは以前より繋ぎを取っていた反公国派の者たちをも連れていたのはグラズニィにとっては好都合だったのだ。

 結果から見れば酷く滑稽なものだ。

 緻密な計画を立てられなかったことが、ここまでの被害を出してしまう。直接の被害は野盗が手を下したこととはいえ、公国衡士師団本部、そしてフィデス市議会、トゥール公国国営局の一部の者が引き起こしたことだ。

 許されることではない。

 そして今思えば、碵石を盗んだのが盗賊団アンセスタランカーだったのならば、フィデス市、ひいては国営局が盗みを許可した、ということになってしまう。

 グラズニィ・ツェーンロードが碵石の存在を知っていたのか、本物だったかどうか判別できたのかは判らない。

 しかし仮に本物の碵石だと判っていたとしても、グラズニィにとっては碵石などという眉唾物の石ころよりも、この作戦を完璧に遂行し、国営局との強力なパイプを作った方が遥かに有益だったのだろう。

「なんてこと……」

「こんなことが公になってみろ。衡士師団の信頼はがた落ち、地方の衡士師団の連中も本部だけは色眼鏡で見るようになる」

 ロイは知っていた。

 この事実を知っていたから、表沙汰にはなっていなかったとは言え、これ以上汚職の続く公国衡士師団にはいたくなかったのだろう。

(ちがう)

 憎まれ役を買って出てまで、ソニアとリセルにどうにかして伝えたかったのかもしれない。

 そして、この失態を公にしないために行われること……。

(……まさか)

「アインス!師団長!アサート!ここを頼みます!」



 国営局の上層部の人間、三人の国営局長が姿をくらませた。

 結果的にことを公にしないために詰め腹を切るのは事情を知っているごく一部の、それも本当の事情を知らされていない者達だ。

 国営局長が行方不明ということで指揮系統が副長たちに移ることになるであろうが、副長たちですらも恐らく詳細は知らされていないだろう。

 国営局やフィデス市議会のことは、現段階ではどうなっているかまでは判らない。大きくまとめてしまえば公国衡士師団も国営局の一部だ。

 首謀者は国営局であることは、コッドやアインスの言い分、それとロイの一言である程度の理解はできた。

 上層部がこぞって辞職することで、衡士師団側の面子は保たれるかもしれないが、何名かの衡士はその衡士師団の汚職を知っている。

 その者たちへの処分は……。

(死)

 たった今リセルが導き出した答えだが、恐らく間違いではないはずだ。

 口封じとしては的確な手段だが今までトゥール公国のために働いてきた衡士を、汚職にまみれた公国衡士師団が処分するなどという悪辣な手段は、今現在まだ本当の事情を知らず、尚且つ権限だけは与えられた副長たちが行うに違いない。

 国全体を統治する国営局といえども汚職に手を染めることがある。

 そしてロイはその国営局の汚職をどこかで知ってしまった。間違いなく処分されてしまう。


 リセルは南口へ向かう。途中、エリンの姿がないか、確認をしながら馬を走らせた。

 しかし戦いはほぼ終結しており、盗賊団の姿もまた、見当たらなかった。今小競り合いを続けているのは恐らく執念深い反公国分子だ。紫の光がグラズニィ・ツェーンロードの腕を切断したという話は聞いたが、死亡は確認できてない。

 あの男がそれほどあっけなく死亡するとはリセルは思っていない。強かに生き延び、僅かに残った盗賊団を逃走させたに違いない。そして生きていれば、という前提は付くが、恐らくその中にエリンもいたのだろう。

 セレンとの約束は果たせなかった。しかし、こうしてリセルは生きている。エリンの確実な死亡情報が上がらない限り、可能性は無ではない。


 南口に辿り着くと、リセルは視線を巡らせた。

 先ほど南口で会ったロイはやはりというべきか、当然というべきか、もう南口にはいないようだった。リセルは正門前広場内を走り回った。

 ロイはもう衡士を辞める。

 こんなことで処分されてはいけない。公国衡士師団内の誰かが、独断で碵石をフィデス市に搬入させようとした、という虚構の事実が明日の市内報で書かれるのだろう。

 そして、その首謀者にはロイ・ファーゼルの名が上がる。

 その首謀者である衡士を処分した、という報も書かれるのだろう。

 南口から西口へと馬を走らせる。走らせ詰めの愛馬、アイセアももう体力の限界が近付いているようだった。

「すまないが頑張ってくれ、ことが済んだらたっぷり休ませるから」

 首を軽く叩き、リセルはアイセアにそう言葉をかける。

 西口から再び正門前、そして東口へと通じる道で、リセルは二人の人影を見つけた。二人は馬を降り、剣を合わせていた。

 馬を止め、飛び降りるとリセルはその二人に駆け寄った。

「まさかあんたが黒幕だったとはねぇ!随分あたしに親切じみたこと言ってたのもこれで納得が行くってもんだわ!」

「何言ってんだソニア!」

 既に二人は戦っていた。

 いや、ロイに戦意がない分、戦いとは言えない。

「あんたが!反乱分子で!碵石なんてもんをこの街に持ち込むから!」

「何訳の判らないこと言ってんだ!正気かよ!」

 このままではいけない。

 何処から聞いたのか、ソニアは国営局の偽情報に踊らされている。そのソニアを想っているロイを斬らせる訳には行かない。

 しかし剣技では確実にソニアが勝る。ロイは防御に徹しているからこそ、ソニアの猛攻を凌いでいるものの、それもいつまで持つかは判らない。

 リセルは二人の間に割って入り、ソニアの一撃を自らの剣で止めた。

「リセル?あんた何のつもり!」

 リセルの意外な行動にソニアは激昂した。それも当然だろうと理解はできるが、そこで納得してはいけない。

「ソニアさん!聞いてください!」

 ソニアの剣もまた旒剣りゅうけんだ。旒気力を帯びた剣同士がぶつかり合う独特な音を発し、二人の鍔迫り合いは続く。

「まさかあんたが犯罪者を庇うとはね!」

「違います!」

 完全に冷静さを欠いたソニアの剣に圧されながらもリセルは必死になって叫んだ。悔しいが力押しでも速さでも今のリセルではソニアには遠く及ばない。

「リセルお前!」

 ロイがリセルの背後につき、名を呼ぶ。

「ロイさん下がってください!ソニアさん!黒幕はロイさんじゃありません!」

「何か確証はあるの?こいつが衡士を辞めるってことが何よりの証拠じゃないの!こんなタイミングで辞めるなんて、自分が犯人だって言ってるようなもんだわ!」

「だから!そんな見え見えの行動を起こすような人ですか!」

 剣技ではソニアに及ばないものの、ロイには物事を深く考える頭脳がある。今までろくに知ろうともしてこなかったことだが、今日ロイが指揮を取った部隊の取り仕切りは見事だった。

 ソニア自身良くあそこまで皮肉が出てくるものだ、頭の回転だけは速い、と言っていたのだ。

 合わせた剣が圧し負け、片膝を付く。旒剣同士がぶつかり合い旒気が弾ける。リセルは渾身の力を込め、ソニアの剣を押し返す。

「ロイさん!恐らく貴方に指名手配がかけられます!早くフィデスを出てください!」

 背後であっけに取られているはずのロイにリセルは叫んだ。

「指名手配だって?何で俺が!」

 当然のことをロイは訊いてくる。無理もない。

「どこまでとぼける気だ、ロイ!」

「ロイさんはとぼけてなんかいません!」

 ソニアも当然のことを言う。副隊長という立場上、ソニアは国営局に近い存在だ。もしかしたらソニアは国営局の不明に捏造された台本、その内容を聞かされたのかもしれなかった。

「どけ!リセル!」

「どきません!騙されてるのは……ソニアさんです!」

 瞬間、リセルは意を決し、剣に込めていた力を抜いた。がつ、と自らの剣が先ほど治療したばかりの鎖骨にぶつかる。

「ぐっ……」

「リセル!」

 急に力を抜くとは思っていなかったのか、ソニアも慌てて剣を退く。激高したソニアの気勢を削ぐには充分な効果があったが、少々無茶をしてしまったかもしれない。それでもソニアを納得させるために、リセルは言葉を紡いだ。

「碵石を欲していたのは、トゥール公国国営局です……。最初に私たちが聞かされた、碵石を持っていた隊商が大街道で魔族に襲われているという情報そのものが、偽の情報です」

「俺たちの隊がどれだけ進んでも隊商を見つけられなかったのはそれでか」

 剣を納め、ロイが頷いた。

「はい。そして魔族と野盗が大街道に現れます。隊商を襲い、全滅させたことを装ってのことかもしれませんが、それは……」

「あたしたち衡士の足を止めるため……?」

 ソニアも落ち着いたようだった。ロイが剣を納めたからか、ソニアもそれに倣った。

「そうです。そして出動した私たちはその魔族と野党を殲滅。その騒ぎのおかげで最初からこの場には有りもしなかった碵石が行方不明ということにされます」

「衡士師団の失態、という話も出るかもしれないが、正直この程度はうやむやにできる話だな」

 こんな大きな陰謀を企む国営局だ。大事の前の小事とばかりに情報を捻じ曲げ、もみ消すことなど造作もないだろう。

「そうですね。そうして、本物、本当にあった碵石は、いもしない隊商を救うため、全戦力を外に出し、蛻の殻になったフィデス本市へと秘密裏に届けられる手はずだった」

「なんで、そんなこと……!」

 力なく座り込んだリセルの言葉は、その行為とは裏腹に力強かった。ソニアはそのリセルの正面に座り込み、リセルの腕を取る。信じられないのも無理はない。

「今現在、数人の証言ですが碵石は破壊されてもう存在しません。推測ですが反逆者であるロイさんが、独断で手に入れようとした碵石を衡士師団は破壊。反逆者も討ち取った。これが急遽組み直された国営局の台本です」

 鎖骨から肩にかけて、鈍い痛みが走る。折れてはいないがひびくらいは入ったかもしれない。

「なんで俺が……」

「あたしも、踊らされた……?」

「ロイさん、私達に言いましたよね。国営局には気を付けろって。上層部は貴方が、国営局が汚職にまみれていくのを嫌悪して辞めて行くのを知っていたんです。口外されないためにも、今回の事件の犯人にはもってこいだった、という訳です」

 捏造された台本。

 仮初の正義を振りかざした結果がこれだ。大衆はまとまれば力となる。その大衆を納得させるためだけの、仮初の正義を発揮する。

 たったそれだけのことで国営局、公国衡士師団自体の面子は保てるのだ。

「でも、それじゃあ実際暴れてた野盗は……」

「本市にいた野盗は運び屋だったんです、碵石の。だけど、フィーア隊長は何かを感じていたんでしょう。その時はまだ野盗が碵石の運び屋だったなんて知らなかったと思います。でもフィーア隊長は部隊を出動させなかった。でもそこに野党が現れたのなら、野盗と戦うのが衡士の役目です。蛻の殻になっているはずの本市には少数なりとはいえ衡士が、それも精鋭中の精鋭、フィーア・レイ・ベルクトが待ち構えていた。これでは話が違う。野盗たちは怒り、恐らくは後援のために集めていた反公国分子たちと示し合わせ、街を襲い、衡士を殺し始めた……」

「それが、事実……」

 リセルは一つ一つ確認するように、ゆっくりと話した。

「なんてこった……」

「碵石を我々国営局側の人間が、秘密裏に手に入れようとしたことが知れ渡ってしまうかもしれない。それが衡士だけではなく、民衆にも広まってしまえば、衡士師団の面子は丸潰れです。それを回避するには、国営局の責任にしてはならない。あくまで個人の思惑でことが進んだように、捏造しなければならなかった」

 ことの始終をリセルはロイとソニアに聞かせる。恐らくは同じ結論に辿り着いていたであろうアインスやコッドの言葉も伝え、その上で自分がこの考えに辿り着いたことまでリセルは説明した。

「碵石を市内に持ち込もうとしていたことまでは、何人かの衡士は見て知っているけど、誰が持ち込もうとしたのか、誰が欲したのかまでは判らない……」

「本来の台本ならば実在しない隊商が運び込むはずだった碵石を、野盗が持っていたと目撃されました。その野盗は何故か碵石を手に、本市を抜け、フィデス市役所への侵入を試みます」

「トゥール公国衡士師団、ロイ・ファーゼル個人の下へと届けるために、か」

「でも、だとしたら、何故街を襲い出した野盗が役所に碵石を届けようとしたの?」

 そこはリセルも疑問に思っていた。

 街を襲った時点で盗賊団アンセスタランカーが国営局に荷物を届けるという仕事は失敗したのだ。グラズニィ・ツェーンロードが態々役所へ侵入を試みる必要性はなかったはずだ。

「そこまでは判りません。ただ……」

 いくつかの想像はできる。

「街を襲ったのは騒ぎに便乗した反公国派が勝手にやったことで、自分たちは仕事を遂行しにきた、と報酬をせびる。もしくは届け物を手に国営局を強請ゆする、っていう想像はできる」

 リセルの想像を代弁するかのようにロイが言った。グラズニィにしてみれば、フィデス市がどうなろうと知ったことではないだろう。想像に難くない。だが、反公国分子は恐らくアンセスタ・ランカーの幹部であったはずのセレンが指揮していた。その線は薄いだろう。

「結果、碵石は粉々。野盗も反公国分子もほぼ壊滅」

「衡士師団どころか野盗も、反公国分子すらも利用されたって訳か」

 ソニアとロイはようやく納得したようだった。リセルは鎖骨の傷に一応手をかざして集中してみる。しかしやはり神聖魔導を使うことはできなかった。

「リセル、傷、大丈夫?」

 心配そうにソニアがリセルの肩に手を置いた。

「まったく、無茶するんだから……」

 痛むが折れてはいない。馬に乗るくらいのことならできそうだったので、リセルは笑顔で頷いた。

「それよりもロイさん、早くフィデスを離れてください。早くしないと見つかります!」

「……判った。ほとぼりが冷めたらまたピアノ、聞きにくる」

「えぇ、待ってるわ」

「最後まで世話になっちまったな。リセル、すまない」

 リセルは無言で首を横に振った。それを確認してからロイは馬首を巡らせた。ロイの姿が見る見るうちに闇夜へと溶け込んで、見えなくなる。

 リセルはロイの姿が完全に見えなくなると立ち上がった。



 市役所正門前まで戻ってきたリセルとソニアは、馬を厩に帰し役所内へと入った。野盗の残党は逃げたのと討たれたので、既にかたがついていた。

 口惜しいがグラズニィ・ツェーンロードは恐らく逃げ果せたのだろう。今の時点では死体が上がったという情報はなかった。

 役所内に入った右手側に団欒広間がある。そこにはコッド、フィーア、アインスがいた。

「戻ったな。ロイは逃がせたのか?」

 コッドは立ち上がるとそう訊いてきた。それにソニアは無言で頷く。

「そうか。ひとまずは良かったということだろうな。問題はこれからだ」

「問題?」

 リセルはコッドにそう返した。問題とは一体何のことだろうか。

「衡士師団は、このまま犯人を取り逃がした間抜けな集団になるのかしら?」

 フィーアがソファーに腰掛けたまま言う。

「……」

 そうだ。言われてみて初めて気付いたが、後のことを全くリセルは考えていなかった。

「ま、現在捜索中ってのが妥当な線だろ」

 アインスがそう言って咥えていた煙草を手に持った。

「……真実を明かす訳にはいかないんですか」

 何もかも、本当のことを全て打ち明ける訳にはいかないのだろうか。それが最良の判断なのではないのだろうか。

「リセル」

 それは無理だ、と言わんばかりにフィーアが名を呼んだ。

「そうすればロイさんの手配も解けます。確かに衡士師団の立場は悪くなるかもしれません。でも全てを隠蔽することはきっと不可能です」

 民衆に誠実でなければ、誰も公国衡士師団を信じなくなる。

 仮初とは言え平和の象徴でさえある公国衡士師団が疑われてしまっては元も子もない。

 隠蔽していた事実がいつか露呈してしまうよりも、自らの罪を打ち明け、悔やみ、同じことを繰り返さぬように民衆に誓うことこそが必要なことなのではないのか。

「おれもそう思うけど」

 アインスの、傭兵の口から出た言葉だとは思えなかった。

 リセルはやはりアインスをどこか色眼鏡で見てしまっていた。自分が若輩者で考え方自体が愚直であることくらいは判る。

 隊長や副隊長、師団長を務めてきた人間に反対されるであろう言葉だったことも判る。

 それをアインスが肯定してくれた。リセルは今まで、アインスを傭兵にしては話が判る、程度にしか思っていなかったことを心から恥じた。

「アインス……」

「考えてもみろよコッド。事件自体はそのロイって奴一人のせいでいいとして、役人の入れ替えはどう説明する?あんたの現役引退だけじゃ国営局長衆三人もを辞任させる理由にはならないんだぜ」

 そうだ。この事件と同時に姿をくらませた国営局局長、それに加担していたであろう数名の役人は完全に怪しまれる。

「衡士の一人が世界を巻き込むかもしれないほどの重要な不始末を起こした責任を取り辞任。これほど誠実な態度はないわよ。何しろ物が物だし」

 フィーアが吐き捨てるように言う。確かにそれで全てが丸く収まってしまう。許せないことだが、民衆はそれで納得するだろう。

「そんな……」

 リセルは痛む傷を押さえながら、反駁の声を漏らす。ソニアの顔色を伺うが、ソニアは先ほどから無言のままだ。

「失礼します」

 そこへ、一人の衡士が入ってきた。

「なんだ?」

「反逆者、ロイ・ファーゼルを討ち取ったとの報が入っています。もうじき遺体を運んでくるでしょう」

「!」

 全員が一斉にその衡士を見やる。恐らくは、反逆者を討ったという朗報に驚愕しているものだと思っているのだろう。

「判った。下がっていい。ご苦労だったな」

 何の感情も含めない声でコッドは衡士を下がらせた。

「はっ」

 衡士は恭しく礼をし、退室していく。衡士がいなくなるのを見計らったようにコッドは呟いた。

「……逃げ切れなんだか」

「ロイさん……」

 闇夜の中、フィデス市を抜けるくらいはできるかと思っていたが、見通しが甘かった。できる限り、限界までは同行するべきだった。

「はっ、くだらねぇ……」

 アインスは立ち上がると、灰皿があるにもかかわらず煙草を投げ捨てた。そしてゆっくりと歩くと役所から出て行ってしまう。

「フィーア、コッド」

 アインスは出入り口で立ち止まると背を向けたまま、二人の名を呼んだ。

「こんなこと続けてみろ……。おれが、衡士師団を解体する。覚えとけ」

「!」

 アインスの声に思わず身体が震えた。特に怒鳴っている訳でもなければ凄んでいる訳でもない。しかしそのアインスから感じ取れてしまった。

 純粋な恐怖。

 これがトゥール公国最強と謳われる傭兵、神威。

「肝に銘じておく」

 コッドはそう言って項垂れた。リセルも同じ気分だった。アインスが出て行ってから間もなく、また一人、衡士が入ってきた。トゥール公国衡士師団アレイジア市常駐部隊長セイルファーツ・ノード・デリヴァーだった。

「セイルファーツか」

「あんたが、斬ったの?」

 コッドがセイルファーツの姿を確認した直後、ソニアは声を震わせて呟いた。

「僕ではありませんよ。僕らはアレイジアに帰ろうとしてるところだったんです。そこへその、ロイさんですか。彼が馬に乗り、こちらに近付いてきたのです。様子がおかしいと馬を止めたところ、彼は背中に五本の矢を受け、脇腹にも刀傷があることが判りました。恐らくはその刀傷が致命傷になったのでしょう。僕らが馬を止めたときには既に息絶えていました」

 セイルファーツはそう言った。

 アレイジアの衡士には反逆者を討て、という命は下っていなかったのだろうか。リセルは疑問に思ったがすぐにそれを打ち消した。

 国営局上層部は今回の事件での不始末の責任を取り揃って辞任。反逆者であるロイ・ファーゼルは討たれた。何も疑問に思うことはなくなってしまったのだから。

 真実を知らぬ者は、この結末で納得するだろう。そして残酷な真実を知る僅かな者が、やり場のない怒りと悲しみをもてあましていることは、決して明かされることのない、歴史の汚わいになるのだろう。

 リセルは今日のできごとを一生忘れないよう、胸に刻みつけた。

 こんな事件を二度と起こさせぬよう、真実を知る者たちはこのことを忘れてはならないのだ。

 決して、忘れてはならないのだ。

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