第四話 事件

 トゥール公国歴〇九八年 妖精の月 フィデス市


 事件は唐突に起きる。

 それはリセルが衡士こうしに叙勲され、トゥール公国衡士師団フィデス本部部隊の一員になってから約一年、初めての大きな事件だった。

 反乱分子の活動や、内乱、魔族騒ぎなどはこの一年、小さなもの以外は起こらなかった。

 しかし野盗の窃盗、恐喝、暴行行為などの事件は数多くあり、先日も遺跡発掘現場で貴重な宝珠などの窃盗があったばかりだった。

 そうして百年国時代の達成を阻むかのように、その事件は起きた。



 フィデス市 郊外 リーンの村 女神の調べ亭


「ソニアさん、調書と議事録、持ってきました」

 リセルはソニアの代わりに会議に出て、もらってきた調書と議事録をソニアに手渡した。

「お疲れさん。リセル」

「今日は仕方がないけど、たまには会議に顔を出せ、ってコッド師団長に言われましたよ」

 ソニアは会議には滅多に顔を出さない。

 フィーアもコッドもそれは判っていることなのだろうが、立場上言わなければならないこともある。

 そう理解はできるが、毎度小言を言われるのはリセルだ。今日は警邏と本市外の砦の見回りという公務があったせいで(恐らくはソニア自身の保身のために任命した)副隊長代理役になってしまったリセルが会議に代わりに出席した。

「了解了解。それにしてもここにきて野盗と魔族が動き始めたってのは穏やかじゃないわねぇ」

 調書に目を通しながらソニアは言った。

「そうですね。今のところ大きな被害はありませんけど、小さな被害であればいいって訳でもないですし、いつ隊商や冒険者たちに被害が出るか……」

「そうね。こないだの遺跡で起きた窃盗事件も気になるし。なんだか凄い発見をしただの何だの、市内報でも取り沙汰されてたじゃない」

「あぁ、確か物凄く純度の高い旒刻石の結晶が見つかっただとか、旒爪シリーズが見つかっただとか書いてありましたね」

 第二次トゥール公国六王国大戦が終結したと同時時に起こった災厄、瘴気の嵐と、蒼の賢者が行ったとされる精霊解放の影響で、大規模な地殻変動がトゥール大陸各地で起こった。

 その際、鉱山や洞窟、遺跡、地下迷宮などが新たに、それも多数発見されたのだ。そのため、トゥール公国国営局はかなりの財力をそれらの発掘、採掘に割いていると言われている。

「そこに窃盗でしょー。もうさーただの宝石とかならまだしも、魔力を持つ宝珠とか、魔導の品とかやめて欲しいわよねぇ。売り飛ばしてはいおしまい、とかじゃなさそうだもの」

 心底嫌そうにソニアは言った。六つの王国が争い、疲弊し、やっと一つになった世界でも、まだ他人よりも力を欲する者がいる。それも私利私欲のために。

「確かにそうですね。大事件に発展しなければ良いけど……」

 もうそろそろ夕食時だ。ソニアは早々と酒を呑んでいるが、まだ酔ってはいないようだった。

「よぉソニア副隊長殿、もう晩酌かい?」

 不意に背後から声がかかった。

「ロイ」

 声をかけてきたのはソニアと同期である衡士のロイ・ファーゼルだった。

「ロイさん、今晩は」

 リセルは一応頭を下げる。先輩衡士ではあるが、リセルはロイのことがあまり好きではない。

 何かにつけてはソニアに突っかかってくる。副隊長争いをしているとはロイの弁だが、その実争っていると思っているのはロイだけで、ソニアは歯牙にもかけていないようだった。何年もソニアには勝てないままでいるらしい。

「あぁ、随分いい身分だな副隊長ってのは。俺もあやかりたいもんだぜ」

「仕事は終わってるわ。文句を言われる筋合いはないけど」

 カウンター席に座っていたリセルとソニアに並んで、リセルとは反対側のソニアの隣にロイは腰掛けた。

「そいつは失礼」

「そういうあんたも暇そうでいいわね。そんなに暇だったら剣の手入れでもしたら?」

 何かと皮肉たっぷりな言い方で話しかけてくるロイにはソニアもほとほと愛想を尽かしている。いちいち相手にしていられない、とばかりにソニアは投げやりな態度でそう言った。しかしロイは副隊長にはなれていないものの、決して無能な衡士ではない。

 むしろ負け続きとはいえ、ソニアと争えるだけの実力は持っている、実質フィデス本市部隊ではかなり有能な衡士だと言っても過言ではないだろう。

 ロイがソニアに勝てないままでいるように、リセルもロイには模擬戦では勝てないままだ。

「もういいんだ。俺は衡士を辞める」

「辞めてどうすんの?自警団にでも入るのかしら?自警団ならあんた程度の腕でも威張り散らせるものね」

 よせばいいのにと思いつつも、リセルは黙ってソニアの言うことを聞いた。リセルが口を挟めば厄介なことになってしまうことは判りきっている。

「ま、そんなところさ。器量の小さい男にはお誂え向きだ」

「あら、珍しく認めるのね」

 肩をすくめて言うロイに、ソニアは微笑を返したが、どう見ても嘲笑しているようにしか見えなかった。

「あぁ。もうすぐあんたたちともおさらばだからな。女の顎で使われるのもあと少しさ」

「その程度だから卑屈になるのよ。好き嫌いと能力の有る無しを混同する奴に副隊長は務まらないわ」

「なるほど。あんたの憎まれ口も今日で最後になるだろうからそれを聞きにきたが、相変わらずだよ」

「あんたの卑屈さ加減もね。邪魔だから帰ってくれない?お酒が不味くなって仕方がないわ」

 いい加減付き合っていられないと思ったのか、ソニアはそう言って野良犬でも追い払うかのように手を振った。

「ま、そうしたいのは山々だけどな。一つだけ心残りがあるんで、そいつを済ませてからにさせてもらう」

「心残り……?最後に一発ぶん殴りたいとかなら止めといた方がいいわよ。あたしも同じだから」

「そうじゃねぇよ。ほんとに食えねぇ女だなお前は。確かにお前は気に入らねぇが、お前の演奏は好きなんだよ。ま、気に食わねぇとは思うが、最後に一曲だけでいい、聞かせてくれないか」

 苦笑するロイの言葉に心底驚いたようにソニアは目を見開いた。

「……ふん、いいとこあるじゃないのよ」

「最後まで嫌な野郎で悪かったな」

 ソニアはそう言ってロイに手を出した。ロイは多少赤面しながらもその手を掴む。何となくそのやりとりが微笑ましく感じて、リセルは知らず笑顔になっていた。


「あんたが音楽好きだったなんて知らなかったわ」

 音楽を愛する者に悪人はいない。それがソニアの持論だ。リセルは幾度となくそれを聞かされてきた。

「聞くだけだけどな」

「音楽は基本、聞くものよ。それでいいじゃないの。ま、衡士辞めても時々聞きにきなさいよ。癪だけどあたしがその時ここにいれば聞かせてあげるわ」

「可愛げのない提案だが悪くない。そうさせてもらうよ。リセル、あんたにもまぁ色々世話になったけどこれでお別れだ。嫌な野郎が辞めてって清々するだけだろうがな」

 苦笑してロイは言いながらリセルにも手を差し出してきた。

「いえ。最後に認識は改めましたよ」

 そう言ってロイの手を握ると、リセルは微かに笑顔になった。

「いい衡士になれよ……」

 ロイはそう言うとリセルの手を離し、ソニアに顔を向ける。

「最後に独り言だ。……国営局には気をつけろよ」

「は?」

「用心しろってことさ」

 それだけ言うとロイは背を向けて店を出て行った。

「どういうことかしら」

「さぁ……」



「ソニア!どこ行ってたの!」

 役所に戻ると衡士たちが所狭しと駆け回っていた。ソニアを呼びかけるフィーアの声にも緊迫感が満ち満ちている。ただごとではない雰囲気にリセルも飲まれかける。

「フィーア隊長」

「な、何の騒ぎです?これ」

 事情が飲み込めていないリセルとソニアは戻るなり声をかけてきたフィーアに訊ねた。

「隊商が下級魔族に襲われてるって情報が入ったのよ」

「隊商が?」

 それにしては騒ぎが大きすぎる。周りを見れば常駐部隊のほぼ全員が動いているように見える。

「そう!その隊商には碵石せきせきが積み込まれているの」

「せき、せき?」

 ソニアは首を傾げたが、リセルには思い当たる節があった。

 碵石というのは、古代の歴史、魔導帝国エールスよりも遥かに昔、灰世紀よりも更にとてつもないほどの昔にまで遡る、今では完全に失われた神秘の文明の遺物だと書物で読んだことがある。

 この世界には神録掌しんろくしょうという物が存在すると言われている。

 この世界の全ての理を示すと言われ、実在していることすら危ぶまれる遺物であるが、各地に聖典、外典の写本が残されていることから、全くの事実無根ではないとも言われている。

 その神録掌の外典の写本に記されていたのが碵石だ。リセルは役所の書庫でそれを読んだことを思い出した。


―― 碵石 ――

 現在のトゥール公国を含めた全世界。アルダースト大陸、レムリア島、サラス島の全てに点在していると考えられる神秘の秘宝だと言われている。

 使う者の意思に答える力を秘めた魔導の宝珠の一種で、その力は一瞬にして国を滅ぼし、竜すらも滅する力を持つと言われている。歴史に何度か登場する伝承の四戦士ですら、その碵石を持つ者とは互角以上の戦いを強いられたと伝えられる。

 第二次にまで及んだトゥール六王国大戦の原因の一つにも碵石は挙げられていた。

 純度の高い旒刻石りゅうこくせきという力を秘めた石、それも結晶でできているという説もあるが、その正体は不明である。


「何故そんなものが……」

「この間の遺跡の盗難騒ぎ、憶えてない?」

 つい先ほどソニアと話していたことをフィーアは訊いてきた。

「なんかとてつもない代物を発掘しただとか……」

「まさか!」

 旒刻石でも旒爪シリーズでもなく、すぐさま思い当たる。

「そ。そのまさか。それは役所へ入る予定だったらしいわ」

 リセルの疑問にフィーアが答えた。

「この役所へ?」

「そもそも発掘の依頼は国営局だもの。盗まれなければ国営局が一時的に預かって調査、魔導師協会に協力させて研究に踏み出す、ってことだったらしいわ」

 各主要地方都市とトゥール公国衡士師団をまとめ上げているのはトゥール公国国営局だ。

 第二次六王国大戦終戦時に各地に現れた遺跡の調査は国営局設立時から国営局が行っている。故に国営局が危険な因子を孕む宝珠を一時的に預かり、調査するというのは確かに当然の筋だ。

「それにしても何故盗まれたはずのものが隊商に?」

「盗んだ連中が碵石なんて危なっかしくて売り捌いた、ってのは?」

 リセルの問いに答えたのはソニアだった。しかし碵石などというものが一般的な知識として、例えば隊商の人々にまで広まっているものだろうか。

「もしくは碵石だなんて判らないまま……」

 リセルですら、衡士になるために必死に様々な書物に目を通して、記憶の隅に引っかかる程度の事柄だった。野盗などそうした知識を広く持つ者は少ない。単純に宝石か何かだと思って売り捌いたとも考えられる。

「そっちの線のがありそうね」

「とは言っても危険は伴いますね」

「それってそんなにやばいものなの?」

 ソニアはまだ実感がないようだが、実感がないのはリセルも同じだった。しかしリセルが今まで読んできた歴史書には碵石が原因で起こった争いの数多くが記されていたのだ。

「やばいなんて代物じゃないわ。下手をしたら六王国大戦の再来よ。とにかく急いで出撃の支度して!」

「え!」

 フィーアの答えを聞き、ソニアは驚愕の声を上げた。

「行きましょうソニアさん!」

「う、うん」

 今日ほどソニアが酒を呑み過ぎないで良かったと思ったことはない。ロイのおかげでもあるのだろう。そこでふと先ほどロイが言っていた言葉が脳裏を過る。

(国営局には気をつけろよ)

 あの言葉はこのことを指していたのだろうか。

 遺跡の発掘や地下迷宮の探索などは、国営局が報酬を用意し、多くの冒険者などに依頼している。その行為自体に裏がある、ということなのだろうか。

 今は考えても判らない。

 リセルは思考を止め、ソニアの手を引くと、宿舎へと走り出した。



 出撃部隊は三つに分けられた。

 そのうちの一つはフィーアが、一つはソニアが、そしてもう一つはロイが仕切ることとなった。

 辞める直前にこんなことになるなんてな、とロイはぼやいたが、それでも立派に一隊を指揮し、隊商の発見、後続隊のルートを確保するために出て行った。

 リセルはこれが初の実戦になるかもしれないということで、ソニアの部隊に配属された。

「リセル」

 隊列を組み、既に馬上にいるリセルに声がかかった。

「アサート」

 アサートは去年の叙勲式では衡士にはならなかった。元々二年で叙勲試験を受けられるほどの者はいない。今年叙勲試験を受ける予定だそうだが、今年衡士になれることはまず間違いないと言われている。

「リセル、気を付けて」

「あぁ、ありがとう」

 衡士見習いが実戦に参加することもあるが、今回の事件は規模が違う。失敗が許されない重大な任務に衡士見習いは参加させてはもらえない。それが判っていたリセルはアサートにそう短く答えると、馬を歩かせた。先頭のソニアが出発の号令をかける。

「死なないでよ!絶対!」

 アサートはそう叫んだ。気遣いは嬉しかったが正直に言えば怖い。

 初めての実戦でまさか碵石などという物に関わろうとは夢にも思わなかった。

 本当に下級魔族が現れて隊商を襲っているのだとしたら、戦闘になることは必至だ。正式に衡士となって一年と少し。ゴブリンやオーク程度の下級魔族であれば既に何度も屠ってきている。

 しかし碵石を狙った犯行であれば、その下級魔族を束ねる者が必ず存在する。闇の森妖精ダークエルフや、それ以上の力を持つ者。それらと対峙した時に、今のリセルが正面から戦って勝てるかどうかは判らない。

「もちろんだ」

 リセルはそう、短く答える。

 それは自身へと向けた願掛けに似ていたかもしれない。

 ロイの部隊が確保したルートを登ってくるはずの隊商を、ソニアの部隊が保護する役割になった。フィーアの部隊は最後に合流。隊商の殿に付き、背後からの敵に備えることになっている。

 その間、先行したロイの部隊はアレイジア市との境近くにある、街道の裏通路を走り、最短ルートでフィデス市へと帰還、フィーアの隊と合流し、護衛を強化する手はずだ。

 しかし――


 隊商の進行ルートはフィデス市の西部に位置するアレイジア市へと続く大街道であるはずだった。

 ロイの部隊は先行しているため、ソニアの部隊からは見えない。走っても走ってもロイの部隊と隊商の姿は見えない。大街道はこのままアレイジア市へと続き、もう少し走ればアレイジア市との市境に近付こうとしている。

 ソニアが部隊の行軍を止める。

「おかしい……」

 いつもの呑気なソニアはそこにはいない。衡士たちを指揮する副隊長の真剣な面持ちでソニアは呟く。

「そろそろ合流しても良さそうな地点ですよね」

 リセルが簡易的な地図を馬上で広げてそう言う。すると前方から馬が走ってきていた。

「ソニア副隊長!」

 背後に控えている衡士が叫ぶ。ソニアは剣に手を掛け、警戒態勢をとった。しかしその警戒態勢もすぐに解かれる。前方から走ってきた馬には衡士が乗っていたからだ。ロイの部隊からの伝令要員だ。

「ソニア副隊長、我々の部隊はアレイジア市との境界まであと僅かという所にまできていますが、未だ隊商を発見できていません。こちらも同じですか?」

「あぁ、同じ道を走ってきているんだ、当然そういうことになる」

「どういうこと?」

 リセルは再び地図を広げ、呟いた。

「野盗だ!」

 隊の後部で叫び声が上がる。

「何!」

 ソニアは再び剣に手を掛け、隊の後部へと視線を走らせる。

「お疲れ様でした。こちらも何も発見はできず。隊にお戻りになって、ことの始終をロイさんにお伝えください」

「了解した。武運を!」

 リセルは伝令要員にそう伝えると地図をしまい、ソニアに続いた。

「何故野盗が……」

 碵石などという危険極まりない代物を運び込ませるのなら、情報は確実に、間違っても野盗などに漏れないようにするはずだ。それこそリセルのような末端の衡士になど情報が降りないほどの機密事項として扱ってもおかしくない。

「嫌な予感がする……」

 リセルは急激にそんな思いに駆られた。

 見つからない隊商。

 隊商の運搬日時、出撃した衡士師団のルートまでもを知っていたかのように現れた野盗。

 ロイの意味深な言葉。

 不確定要素が多すぎるが、何かリセルたち公国衡士師団にとって都合の悪いことが着々と進められているのではないのか。

 そんな気がしてならなかった。

「三角髑髏のブローチ……!アンセスタだ!気をつけろ!」

 誰かがそう告げる。瞬間、リセルの身体が硬直した。アンセスタとは略称だ。これ見よがしに外套の留め具やアクセサリとして三角形のプレートに髑髏の意匠を施したブローチ。

 その正式名称は。

(盗賊団アンセスタランカー!グラズニィ……ツェーンロード!)

 そう思うが早いか、リセルは馬を走らせた。

「リセル!」

 ソニアの制止の声がかかるが、もう耳には届かない。

「ああああ!」

 馬を野盗の一団に突っ込ませる。リセルは剣に手を掛け、瞬間的に抜剣するとその勢いのまま先頭の野盗の首を刎ねた。返す剣ですぐ脇に迫ったもう一人の側頭部に突き刺す。

「あの馬鹿!」

 ソニアの声が遠くで聞こえた。しかし構ってはいられない。

「リセルの仇!みんなの!仇!」

 リセルはそう叫んで、視界に入る野盗すべてに剣を振るう。

 剣戟の響きすらさせず、リセルの剣は的確に野盗たちの喉といい、心臓といい、致死する箇所に確実に致命傷を浴びせていた。

 それほどリセルの剣線は素早く、的確であり、その剣が阻まれる前に、敵の身体を確実に斬り付けていた。

 リセルの剣技は大陸から伝わったと言われる剣技だ。六王国時代にもこの剣技を使う者はいた。役所内の書庫でその見聞を読んだ時に自分に合っていると判断し、見聞を頼りに我流で磨いたものだった。

 リセルは一握りの戦士が覚醒するといわれている体内の気の力を使った闘法、旒勁りゅうけいを行使することはできない。

 その代わりに旒剣りゅうけんという、旒勁を行使することができない人間でも、魔導回路で人間の気を増幅させ、旒気の力を帯びた一撃を繰り出せる剣を持っている。

 今では市販され、一般化してきているが、一種の簡易的な魔導の剣だ。

「リセル!一人で突っ込みすぎるな!」

 瞬間的に声がした方へと剣が向いていた。歯を食いしばり、一撃を繰り出そうとした瞬間、ソニアの剣とリセルの剣がぶつかり、旒剣独特の剣戟が響く。

「我を忘れると死ぬわよ!」

 馬上でリセルの剣を受け止めながら、リセルの襟首を乱暴に引っ掴むとソニアは怒鳴る。

「……ソニア、さん」

「とにかく、落ち着きなさい!」

「でも!」

 後続の衡士たちが野盗に斬りかかる。剣戟の音がそこかしこで響く中、奇妙なほど鮮烈にリセルの頬を打つ音が響いた。

「あんたの中の、リセルの仇を討つのはあんたの好きにしなさい。でもね、これは私闘じゃないの。今、自分が何をするべきか良く考えて!」

 ソニアの一言でリセルは我に返る。

 リセルとソニアは一度街道から外れた位置に馬を進め、戦線を離脱した。

「今この中にグラズニィ・ツェーンロードはいないわ。どういうことだと思う?」

 ソニアは周りを見渡すと、自問しているようにも聞こえる言い方でリセルに問う。

「単純に考えるのなら陽動、もしくは分隊しているか……。それともただ単に出てきていない……?」

「ただ単に出てきていないのならいい。もしも陽動、分隊だとしたら、本命はどこへ、何をしに向かうかしら」

「……」

 判らない。

(国営局には気をつけろよ)

 ロイの言葉が脳裏を過る。

 本隊は街へ。

 そう考えては不自然だろうか。

 もしも偽の情報が流れていたとしたら。

 だが、誰が何のために偽の情報を流すのか。

 そもそも偽りの情報とは何か。

 隊商が碵石を持って街道を走っている、という情報。

 先行したロイの部隊と、リセルもいるソニアの部隊は隊商を発見できていない。

 そこに現れた盗賊団アンセスタランカー。

 何のためにアンセスタランカーが現れたのか。

 素直に考えれば、衡士師団の足止め。フィデス市本部の部隊全員が三隊に分けられ、総出撃をした。

 今フィデス市に残っているのは衡士見習いと彼らを引率する衡士が数名残るのみ。ほぼ蛻の殻と言って良い。

 偽りの情報の先に現れた野盗は、当然衡士師団の動きを把握している。偽りの情報を流した不明と通じていることの証になる。

 こうなってしまうと碵石の信憑性も不確定になってくるが、動員数が大規模すぎる。フィデス市本部の衡士がほぼ総動員ともなれば、恐らく碵石は存在して然るべきだ。

 となれば隊商と共にあると言われている碵石はどこへ消えたのか。

(街……?)

 今街は蛻の殻に近い。待機している衡士と衡士見習いでは街への侵入者は抑えきれない。それに非戦闘員の姿をしていれば容易に街には侵入できる。

 しかし、碵石はそもそも国営局が預かる、と言われていたはずだ。ほぼ全ての衡士を街から追い出して受け取る意味がない。

(いや)

 受け取り、国営局が国の義務として調査をする気など無かったとしたら。

 国営局に潜む不明が、秘密裏に碵石を受け取り、私物化しようと画策しているのだとしたら、辻褄は合わないだろうか。

 荒唐無稽な、こんなものはリセルが知っているだけの状況から導き出したただの推論でしかない。

 ただ碩石を秘密裏に欲するのだとすれば、もっと穏便に済ませる方法などいくらでも思いつく。だが、逐一誰かの、どこかの目がその不明に張り付いているのだとしたら。

 つまり、そうした立場の人間だったのだとしたら。

 リセルが思いついた最悪のシナリオはこうだ。

 存在もしない隊商が碵石を持ったまま、存在もしない魔族に襲われる。

 その偽の情報に踊らされ、碩石の危険性を理解する国営局は、フィデス市の衡士総出で隊商の護衛命令を出す。

 ほぼ蛻の殻となったフィデス本市に、碵石を携えたアンセスタランカーが、碩石を欲した不明に密かに碵石を手渡す。

 それはつまり、発掘された現場から盗まれた碵石を、そのまま盗賊団アンセスタランカーが所持しているということになる。

 碵石を欲した不明は、アンセスタランカーに碵石を盗ませ、自分の元へと届けるように画策していた。

 フィデス市に常駐している衡士を街から追い出すには、碵石ほどの危険な情報がある代物があれば充分だ。今現在、こうして殆どの衡士が街の外へ出て来てしまったのだから。

「ソニア副隊長はおいでか!」

 突如リセルの思考を断ち切って、飛び込んできたのは衡士の声だった。

「ここだ!どうした!」

「街で戦闘が起きています。野盗が現れました!」

 ということは、この衡士は最後尾、フィーアの部隊の伝令要員だ。

「く……人数は足りているのか?」

 リセルの推論が合っているとするならば、それは野盗、アンセスタランカーの本隊だ。グラズニィ・ツェーンロードが率いている可能性も高い。

 しかし今度は冷静に考える。

 走りすぎてはいけない、と逸る心を押さえつける。

「それが敵は魔導師を有しています。我々だけでは正直……」

「判った。私たちもここを片付け次第街へ……」

「ダークエルフだ!魔族もいるぞ!」

 ソニアの声を掻き消したのは同じ部隊の衡士の声だった。野盗と魔族が偶然にも同時に現れる確立は低い。誰かが裏で糸を引いている。それはリセルの中で確信に変わった。

「まずいな……。すまない、フィーア隊長に伝えてくれ。暫く援軍は出せない」

「判りました」

 ソニアはフィーア隊の伝令要員にそう伝えると、今度は自身の部隊の伝令要員を呼ぶ。

「ロイの隊へ走ってくれ。本市に救援が必要だと伝えてくれるか。そもそもの予定にあった裏道で本市へ急ぐよう、頼む!」

「了解しました」

 一つ頷き、伝令要員は馬を走らせる。リセルはソニアの顔色を伺った。

「ソニアさん、どうしますか」

 ダークエルフが行使する精霊魔導サイレントアビリティは手強い。衡士はその殆どが白兵戦に長けた者だ。魔導に精通している者はさほど多くない。魔導に通じていない者にとってはそれが神聖魔導ホーリーランゲージであれ、古代語魔導アビリティランゲージであれ、精霊魔導であれ、脅威となる。

 今分隊して本部への応援へ向かわせることはできないだろう。

「目の前の敵を叩いてから考えるわ。リセル、あんたは街へ行きなさい。冷静に、自分を見失わず、全てのことを清算してきなさい」

 ソニアはそう言うと、衡士と野盗が戦っている中へと馬を走らせた。

「ソニアさん……!」

 リセルは迷いなく、ソニアの後に続く。

「ソニアさん!」

「あんた……」

「これは私闘じゃないってことです。よりにもよってソニアさんに教えられるとは思いませんでした」

 そうだ。今衡士としてすべきことは、自分の積年の恨みを晴らすことではない。仲間を守り、野盗と魔族を討つことだ。

 右頬が熱い。

 その熱でリセルは我に返ることができた。

「ナマイキ言うんじゃないわよ!」

 リセルに一瞬だけ微笑んで、ソニアは馬首を巡らせた。



漆黒の髪帯ブラックリボン、ソニア・グリーンウッド副隊長とお見受けします」

 背後から声がかかった。敵意はないようだったが、ソニアは剣を向けた後に視線を投げる。敵の数が減ってきたとはいえ戦闘中だ。

「衡士?」

「はい。アレイジア市常駐部隊長、セイルファーツ・ノード・デリヴァーと言います」

「アレイジアの?」

 ソニアのすぐ近くで戦っているリセルが声のする方へと振り向く。聞いたことがある。セイルファーツ・ノード・デリヴァーといえば次期公国衡士師団長の呼び声も高い、各市常駐部隊長の中でも最年少の衡士だ。

 年はリセルよりも四つ年上の二四歳のはずだ。

「ここは我々に任せてください」

「我々?」

 そう振り向いた矢先には、衡士師団の制服が並んでいる。アレイジア常駐部隊がここにきているのだ。

「何故アレイジアの部隊が……」

「フィーア隊長からの命令ですよ」

「フィーア隊長の?」

転移の魔導テレポーテーションで僕のところへと飛んできたんです。フィデスとの市境の砦に常駐させている部隊を先行させ、僕もフィーアさんと共にフィデスにきました」

 フィーアもこの事件に何かを感じていたということだろうか。

 あまり知られていることではないが、フィーアはかなり高位の魔導を使うことができる。転移の魔導という魔導自体が今は使える者があまりいないほどの高位の魔導だ。

 フィーアは転移の魔導でアレイジアへと赴き、事情を説明すると、次は砦へとセイルファーツと共に飛び、伝令をしてフィデスに戻ったということだろう。

「敵も少なくなってきました。脅威はダークエルフの魔導だけです。ここは我々が引き受けますので、フィデス本市へ急いでください」

 セイルファーツはそう言うと細い目を少しだけ見開いた。

「判ったわ、お願い!リセル、行くわよ!」

 ソニアはそう言うと、目の前の野盗を一人屠り、馬を進める。

「フィデス、ソニア隊!街へ戻れ!街で戦闘になっている!隊列など構うな、迅速に街へ!」

 良く通る声でソニアは叫ぶ。

「セイルファーツさん、お願いします!」

 リセルはセイルファーツに会釈する。

「セイル、でいいですよ」

 無邪気な笑顔をリセルに見せ、真横から襲い掛かってきたゴブリンを一撃で叩き伏せる。セイルファーツの得物は長剣だ。リセルは唖然としながらも頷くと、ソニアの後に続いた。



 フィデス本市内では戦闘が続いていた。

 リセルとソニアが街に到着した頃には、ロイの部隊も街道から裏道を抜け、街に戻ってきていたようだった。

 街道で出くわした人数よりも野盗の規模が大きい。フィデス市本部の殆どの衡士が出動していたこの状態では多勢に無勢だ。

 役所の正門前には、正門前広場という名の公園がある。

 その公園は東口、西口、南口、と三つの入口があり、戻ってきたロイの部隊や、元々いたフィーアの部隊が正門前広場に集結し、野盗の役所内侵入を阻もうとしていた。

 正門前広場の向かいに位置する南口では、多数の野盗がフィデス市役所内侵入を図ろうと戦力を整えつつ集結しているところだ。

 その戦力の差が危機を生むことになる。

 リセルとソニアは街の入口から役所の正門近くへと向かう途中だ。一度正門前広場東口から広場へ入ると、すぐに役所の正門が見えた。

 その途端に正門前広場で大爆発が起こった。凄まじい轟音と共に熱風がリセルの顔を煽る。

火球の魔導ファイアボール!」

 魔導師をどこかに配備している。

 正門前広場には殆ど衡士しかいない。野盗を巻き込む心配もなく、衡士の数を一気に減らせる。これ以上効果的な魔導の使い方はない。

「くっ……。グラズニィ・ツェーンロード!」

 馬を止め、野党がいる正門前広場の南口へと向きを変える。衡士の中にいてはまた魔導の餌食になるだけだ。

「散れ!正門前広場に固まるな!魔導の餌食になるぞ!」

 馬を走らせ、ソニアが叫ぶ。既に一撃を喰らっている衡士たちは浮き足立ち、烏合の衆と化している。

(実戦経験が少なければこんなにも脆いのか)

 リセルは内心歯噛みしていた。去年、リセルの祝賀会で神威が言っていた言葉が蘇ってくる。

(あの頃の英雄と同じくらいの衡士は実際今は少ないぜ)

 その瞬間、再び爆音が轟く。直後に熱風と断末魔の叫びが無数に発生する。

「くそっ!リセル、とにかく南口へ!」

 ソニアは悪態を吐き捨て、リセルに指示を飛ばす。ソニアとリセルはもう一度東口から正門前広場の外へ出て、正門前広場の外周を回る環状通りに沿って南口へと馬を走らせる。

「判りました!」

 正門前広場の外側をぐるりと囲む環状通りを駆け抜け、南口に接近した時、数人の野盗の影が見えた。

「死ぬんじゃないよ!リセル!」

「はいっ!」

 ソニアは前方の野盗を見据えたまま叫ぶ。リセルはありったけの力を込めてそれに答えると、ソニアとは別方向へ馬首を巡らせ、剣に手をかけた。


 南口付近には街道で見た数の倍ほども野盗がいた。

 中央を守護する衡士を一気に屠ったとはいえ、それで衡士を全滅できる訳ではないことなど野盗側も判っているのだ。

 西口、東口から、衡士が攻め入ってくることを予測しての戦力の配備だ。軽い地響きと共に更に爆発が起こる。

 正門前広場への魔導の攻撃と、公国衡士師団が有する魔導師が野盗に向けて放った魔導とが響き合っている。


 既に五人の野盗を斬ったリセルはそこでふと馬を停める。

 ソニアとは完全にはぐれてしまったが、もはや乱戦状態になってきている戦場で魔導に巻き込まれる心配もないはずだった。

 最初に火球の魔導の標的となった広場正面は衡士が散り、野盗もまた公国衡士師団の魔導の餌食になることを避けるためか突入はしていない。

 しかし。

(広場の戦力が殆ど機能しなくなった今は……)

 そこから一気に役所内へと突入を果たすはずだ。荒唐無稽な野盗の魔導攻撃と違い、公国衡士師団の魔導師たちは味方衡士を巻き込む可能性がある場所への魔導攻撃はできない。

(それなら野盗はどうしてここまで……)

 味方の死も厭わない覚悟で公国衡士師団に戦いを挑むのは何故か。

(反公国派……)

 盗賊団アンセスタランカーが反公国派の反逆者だという話は今まで聞いたことがなかった。だが政治的な話を取り除いても、盗賊団という存在そのものは公国衡士師団、ひいては一般市民への脅威であり、公国衡士師団が叩くべき敵であることに間違いはない。

 盗みという行為も極論で言えば立派な反逆行為だ。盗賊団アンセスタランカーが、グラズニィ・ツェーンロードが反公国派の反逆者であろうが、そうでなかろうが、グラズニィ・ツェーンロードがグラズニィ・ツェーンロードである限り、リセルは戦わなくてはならない。

(これは……戦争だ)

「リセルか!」

 そこに男の声がかかる。

「ロイさん!」

 眼前の野盗が馬から落ち、その向こうにロイの顔が見えた。恐らくリセルたちとは反対側、西口外周から攻め入ったのだろう。

 正門前広場の中から南口の野盗を全滅することができたとしても時間的には早すぎる。

「西口からここにきたが、手薄い」

「!」

 やはり野盗は既に壊滅状態に陥っている正門前広場の中央突破を狙っている。リセルの勘は当たっていた。

「南口の部隊で中央突破を考えているかもしれません!」

「ちっ……。後を追うか……」

「後を追うと敵の魔導の餌食になる可能性が高いです。間に合うかどうか判りませんけど、もう一度東口か西口から中央突破部隊の正面に出ないと、侵入されます」

 魔導師がどこに隠れているかを割り出すには、火球の魔導の軌跡を辿れば良いのだが、リセルはそれを一度も目撃していない。

 恐らくは役所内から魔導を放っている公国衡士師団の魔導師や無事な衡士が捜索隊を組織し、捜索をしているだろうが、魔導師も馬鹿ではない。一つ所に留まっている訳ではないはずだし、身を隠すための魔導などいくらでもある。

「そういうことか……。ソニア副隊長はどうした?」

「判りません。戦っている最中に見失いました。私はもう一度東口へ戻ります。どうかお気をつけて!」

 もしかしたらソニアは単身魔導師の捜索に出たのかもしれない。

 討たれたとは考えにくい。リセルは一度としてソニアに剣で勝った例がないのだ。野盗ごときに討たれることはまずない。それ以前にこんな戦いでソニアが命を落とすはずがない、とリセルは信じている。

「くそっ!まずいな」

 ロイは焦っている。こんな時に何を思ったのか、感じてしまった。

(この人はソニアさんのことを……)

 一瞬生まれたその思考を無理やり断ち切って、リセルは馬を走らせた。

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