第1章 視えるモノ、視えないモノ 5
安物のビジネスバッグを放り捨て、僕は咄嗟に、竹箒を持った目玉女と少女の間に身を滑り込ませた。至近距離には、目玉女の恐ろしい細腕が迫っている。目玉たちが、またもや僕を観察するように忙しなく黒目を動かしているのがわかる。
「……誰?」
少女の弱々しい声が背中から聞こえたが、それに振り向いて応じている余裕はなかった。振り下ろされる竹箒を受け止めようと身構える。ところが、竹箒の軌道は僕の想定とは裏腹に、少女にのみ向けられたものだった。竹箒を打ちつけられた彼女が、再び悲鳴を上げる。僕が間に立っているはずなのに、なぜ? その答えは明白だった。竹箒は、まるで立体映像のように、痛みも違和感も与えぬまま、僕の身体のみを貫通していたのである。
わけがわからない。少女が実体だというなら、彼女の所持品であるはずの竹箒も、質量を伴った物体ではないのか?
「……どうしてだ?」
そこで僕は初めて、目玉女の素顔を間近に確認した。着物姿の彼女は、かつての時代に存在していた人間の残滓だった。姿かたちは定まっているものの、何か強烈な違和感と仄暗い異臭とが拭いきれない。腕とは違い、首から上の青白い顔には目玉は二つしかついていなかったが、冷たい二本の視線には他の目玉以上の妖気と圧力が備わっていて、それらは確実に僕の姿を捉え、こちらの正体を分析しようとしていた。
「危ないっ!」
突如、僕の右手は下方向に引っ張られ、バランスを崩した僕はその場で尻もちをついた。柔らかい感触と「ぐえっ」という間抜けな悲鳴。
「ああ、ごめん」
下敷きにしてしまった少女に詫びる。
「いえ、大丈夫です。そんなことより――」
顔を上げれば、竹箒が再び間近に迫っている。なぜだかわからないが、竹箒は僕を通過し、少女にのみ物理的に作用する。ところが、その少女は僕を引っ張ることができ――。
それならば、助けられる。
すかさず少女を引っ張って地面を転がると、竹箒の追撃は、先程まで僕たちがいたアスファルトの地面に勢いよく叩きつけられた。獲物を逃したせいか、目玉女が声ともならない不快な音を悔しげに漏らすのを聞いた。
「助かりました」
少女の声に振り向く。彼女は綺麗な顔に怪我をしていて、その額からは一筋の血液が流れていた。ぞくりと鳥肌が立つ感触に、僕は思わず息を呑んでしまった。流血を見るのが久しぶりだったせいだろう。結果、大丈夫かの「だ」の字を言いそびれてしまい、「大丈夫です」と先回りをされた。
「そんなことよりです。どうしてかはわかりませんけど、あなた、視えてますよね?」
魔法をかけられたように僕の首は縦に頷かされた。そう、僕には視えている。
「竹箒を持つ着物の女。そして、女の腕は目玉だらけだ」
「やっぱり。でも、まだ認識はしていませんね。さあ、ここから早く逃げてください」
「逃げてくださいって言われても」
僕は彼女の額に伝う赤い血の筋を茫然と眺める。頭が重い。昔から、血を見るのは大の苦手だった。少女もそれに気がついたのか、手の甲で額の血液を拭って、
「ほら、わたしなら大した怪我じゃありませんから。あなたは逃げてください。一般の方を巻き込むわけにはいきませんから」
「君は何者なの?」
その問いに、座り込んだままの彼女は小さく微笑んだ。
「
そのとき僕の目には、彼女が首元に提げているアクセサリーが目に留まっていた。紐の先についているそれは五つの花びらによって構成された金属製のバッジのようで、端正な桜の花の形をしていた。
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