第1章 視えるモノ、視えないモノ 4
表通りを右折し、少女の消えた細い路地裏へと足を踏み入れる。燦々たる陽光はビル影によって遮断され、一瞬にして辺りが暗む。行き止まりとなったその場所で、腕にたくさんの目を生やした醜い妖怪と、竹箒を抱えた栗色の髪の少女が対峙している。
「あなた、その盗んだ財布を返しなさい!」
少女は威勢よく竹箒を振りかざすと、「やあ!」と掛け声を上げて目玉女に向かっていく。が、自身の武器であるはずの竹箒にバランスを崩されている辺り、少女に格闘のセンスが備わっていないことは、素人目にもわかった。
少女の竹箒が目玉女の脳天に振り下ろされたと思った矢先、女の腕に生えた無数の目玉が、かっと一斉に見開いた。目玉たちは竹箒の軌道を正確に捕捉すると、その白い両腕を伸ばして受け止めたのである。
「あっ」
二人は竹箒の奪い合いのためにしばらく膠着状態を続け、しまいには少女の方がたじろぎ、彼女は自らの武器でもって地面に倒された。すかさず、目玉女は竹箒の柄の方を少女に向けて躊躇なく叩きつける。戦闘アニメでも観ているかのような強烈な一撃だった。吹き飛ばされた少女は、通りの壁際に設置されていた自動販売機にその身を激しく打ちつけられる。瞬間、彼女の短い悲鳴が路地裏に駆けた。
僕にはただ、少女が一方的にやられる様を茫然と眺めていることしかできなかった。正義も道徳も意識する余裕がなく、単純に頭がパンクしていたのだ。少女の方は、今風の女子高校生といった風貌で、目玉女とは異なり、怪しげな気配は発していない。怪異特有の怪しい匂いもしない。まず間違いなく人間のはずだ。
実際に存在するはずの少女が、僕の生みだした想像の産物によって傷つけられている。そう、僕は今、この不可思議な矛盾を解消するために、重大な二者択一に迫られていた。一つは、あの少女でさえも、僕の精神疾患の賜物であり、ただの幻に過ぎないという選択肢。そしてもう一つは、これまで幻想だと信じていた目玉女のような視えないはずのモノは、真に実在しているという結論。
無意識に拳を握り締める。
前者であればいいのに。僕の不出来が、すべて病気のせいだったらいいのに。そう思ってしまった。
頬に嫌な汗が流れる。目玉女は依然として、抵抗もままならない少女を竹箒の柄で殴りつけている。
僕は――。
僕が友達を失ったのは、僕の就職活動が上手くいっていないのは、僕が自信をなくしたのは、この奇妙なハンディキャップのせいではない。これまでの人生を思い返せば、ターニングポイントなど、どこにでもあった。努力すれば、いくらでも改善できたはずなのだ。それでも僕には、僕の不足を、怠慢をなすりつけられるだけの根拠があった。絶対の根拠を持っていた、はずだった。その一点に全責任を押しつけて、仕方がないと被害者面をしていた。きっとその方が楽だったから。
だから、僕の安寧のためには、目玉女は存在してはいけないのだ。あの少女ごと、幻覚でなければならないのだ。そうでなければ、僕をこれまで支えていた後ろ盾が消え去ってしまうのだから――。
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