第1章 視えるモノ、視えないモノ 1

 大学進学を機に上京し、晴れて東京人になったが、どうやら僕は、将来に対する不安をモラトリアムの裏に隠すことばかりに夢中になりすぎていたらしい。その証拠に、いざ大学生活の四年間が過ぎ去ろうという今頃になって、学び掴んだものは何一つなかったのだと気づかされている。

 八月のその日、渋谷に差し込む日差しは、夏特有の鬱陶しい湿度との相乗効果により、コンクリートジャングルを地獄に変えていた。汗を拭いながら忙しなく行き交う人の群れに反して、快晴の空はどこまでも青く能天気で、夕立の気配は見当たらない。

 僕はその猛暑の中を、季節に似合わない黒々したスーツ姿で歩いていた。ネクタイを緩め、片手には安物の黒い鞄を提げて、冥途を彷徨う亡者のように過酷な現実に喘いでいる最中だった。苦しんでいるのは、夏の暑さのせいばかりではなかった。建物の影に避難した僕は、ポケットからおもむろに携帯電話を取りだしてメールを確認する。「選考結果のご連絡」と題された数々のメッセージには、差出人は違えど、どれも同じような内容が書かれている。厳正なる審査の結果、今回は選考を見送らせていただくという結果になりました。弊社にご応募いただいたことに改めて感謝申し上げますと同時に、団野だんの様の今後一層の活躍をお祈り致しております――。

 大学四年の夏に差し掛かったが、現状の僕に確約された就職先は一つもない。日除けにしていたビルに向き直ると、壁一面に貼られた窓ガラスが、みすぼらしい青年の姿を映しだしていた。団野赤月あかつき。血色のよい氏名に反した青白い肌は日焼けとは縁遠く、しばしば人に薄気味悪がられるほどだ。加えて、周囲に気後れし、すっかり自信を失ってしまった瞳が、高校生で成長の止まった、精巧な童顔の上に載っている。それを指差され、しばしば美しいと揶揄されることもあったが、美しすぎるのも玉に瑕で、先に述べた肌色と合わせて、僕の容姿は多くの人には作り物のように見えるらしい。人間は、ロボットの擬人性が高まるにつれ、ある時点で突如、強い嫌悪感を催す地点があるのだという理論を思い出した。

 生きた人形。確かに、僕の容姿は両親には似ても似つかないが、写真で拝見した、僕から見れば母の母の父に当たる曾祖父にはそっくりだったから、僕も一応は、団野家の血筋の中から生まれてきたことに違いはない。尤も、どこかのマッドサイエンティストの仕立てた曾祖父のクローンかアンドロイドだと言い張られると痛いが、非現実的な仮説は立てるだけ時間の無駄だと言えよう。

 そんなことよりだ。過去のことよりも未来のことである。ひとまずは気合を入れて、来春からの進路を確保することが喫緊の課題だった。そうと決まれば、まずは腹ごしらえだった。財布にある残金の関係上、たいそうなものは食べられないが、気分転換を――。

 そう心に決めた矢先、僕の背後を得体の知れないモノが歩み去っていくのをガラス越しに目撃した。

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