第4話 1日目‐3




 3体のゴブリンに追われ、こちらにやって来る女性の姿。ジャージの上下に足元はスニーカー。まるで朝のジョギング途中で着の身着のまま逃げているという風情だ。それを確認した俺はしばし考えて、決断を下すと行動に移った。

 書斎から1階に降りて、用意した武器の中から目的の物を一つ、もしもの場合に備えてもう一つを手に取って窓に向かう。玄関から出ると向こうから見えてしまうからだ。

 外に出る際に靴を用意しようとしたがサイズが合う物が無かった。服と同じく調達を急がないといけないな、と頭のメモ帳に書き込んでこの場はサンダルで誤魔化した。

 静かにシャッターを手動で上げて、向こうに気付かれないよう窓から出て行動を始める。リビングにいたルディが好奇心に満ちた目で見てくるが、今からすることに犬の手は要らないので待機を命じる。ついでに勝手に出てこないよう窓も外から閉めた。残念そうな顔をしているが、時間が無いので無視。

 家の敷地の外周を囲むコンクリート塀に隠れながら、向かってくる女性の方を見やった。女性の進路はそのままこの家を目指している。後ろを追いかけてくるゴブリンも同じくだ。面倒な。


 距離が大分縮まってきた。目算の直線距離で100mを切った。周囲が田畑なので見晴らしが良い。そして向かってくる女性が顔見知りというのも判明した。

 俺が卵の調達に使う近所の養鶏所。そこは家族経営で、女性はそこの経営者の娘さんだ。確か中学生だったと聞いた事がある。俺が狩猟で余らせた肉をおすそ分けに行くときに手伝いをしている姿をよく見かけたし、何度か話をしたこともある。

 彼女がどういうつもりで俺の家に向かってくるのかは分からないが、俺にとっては面倒事以外の何ものでもない。


 ちょっと考えてみよう。ここであの女性――いや、年齢からして少女か――を助けたとしよう。物語の始まりとしてはありきたりだが、王道な展開をイメージできるだろう。

 けれど現実リアルという奴はとことんクソである。少女を助ける際にありとあらゆるリスクが付きまとうし、助けた後も少女のせいで行動を制限されるだろう。

 例を挙げてみよう。助けるとなったら、あのゴブリンを撃退ないし撃滅しなければならない。まずそこにリスクがある。ゲームでは最弱モンスター扱いだけど、ここでもそうとは限らない。ネットの掲示板でも常に複数で行動しており、凶器を持っているのでヤバイと書き込まれている。

 仮にゴブリンに勝ったとしても、この場所の事が別のゴブリングループに伝わるだろう。複数で動き、チームを作るといういうことは、情報伝達をしているわけだ。ゲームとは違ってその場でお終いなはずがない。

 少女を追いかけるゴブリンの手にある凶器に目を向ける。3体とも別個の得物を持っている。よくゲームで見る棍棒オンリーではない。1体は槍と思わしき長物、1体は弓らしき飛び道具、最後の1体はスコップらしき物をそれぞれ手にしている。得物の特性を理解してチームを組んでいるとしたら、あのゴブリンは絶対に馬鹿じゃない。

 以上のことだけでも充分リスクがあるのに、少女を助けてからもリスクがある。あの少女は家業である養鶏所を手伝っている以外はいたって普通の学生で、何らかの特技、資格があるとは聞いた事が無い。助けたところでメリットは無く、むしろ足を引っ張られる上に食料を分ける必要まで生じるだろう。

 なので、俺は少女を切り捨てる決断を下した。


 手にしたのはスリングショット。強力なゴムの力で小さな鉛のペレットを撃ち出し、有効射程内なら小動物も仕留められる。日本の法律上は特別な資格も要らない自由猟具なので、ルールとマナーを守れば手軽に狩りに使える道具だ。

 これを選んだのは音が静かなのと、クロスボウのように攻撃があったのを察しにくいところだ。とにかくこちらの存在を隠すのが主目的で、保険として持ってきた散弾銃は使わないに越したことはない。

 ペレットをゴムにセットして強く引っ張る。運用の方法は弓矢に近く、スリングショット本体から弓の弦を引くようにゴムを引く。以前使った時よりも軽々とゴムが伸びる。

 狙いを定め、目標が射程内に入るのを待つ。

 狙いを定める辺りで感覚がより鋭くなっていくのが分かる。今ゴムから手を離したらペレットがどこに飛んでいくか、どのくらいゴムを引けばどこまでペレットが飛ぶか、以前とは比べ物にならないほど明確に分かる。おそらくハンターのクラススキル【射撃技能 Lv1】の恩恵だろう。Lv1でこれか。

 強力になった感覚に内心戸惑い、しかし手元はブレずに狙いを定め、標的が射程内に入ったタイミングでゴムをリリース、ペレットを放った。


「――あっ!」


 さらなる悲鳴を上げて少女はその場で転ぶ。走った勢いもあるので前転しながら派手に転んだ。これはしばらく起き上がれないだろう。俺の狙い通りだ。

 俺が狙ったのは少女の足。目的は転倒させてこちらに来れなくすること。ようは少女を囮にしてこちらの存在を隠すのだ。そのために音がせず、矢のような大きな物を発射しないスリングショットを選んだ。ゴブリンからすれば少女は足をつまづかせて転んだように見えるはずだ。さて、上手くいくだろうか。

 ゴブリン達はすぐに少女に追いつき、槍持ちが少女に飛びかかって馬乗りになり、そこにスコップ持ちが止めを刺そうと近づき、残る弓持ちが周辺の警戒を始める。3体のゴブリンは実に連携が取れている。

 俺はペレットを撃った後はすぐさま塀の影に隠れて息を潜めている。こちらの存在は気付かれた様子はない。作戦は上手くいったようだ。

 体を押さえられた少女は泣き叫び、暴れるが槍持ちがガッチリ押さえて身動きがとれないらしい。ファンタジーでは最弱設定が多いゴブリンだけど、暴れる少女を押さえ込めるぐらいには力はあるようだ。ますます油断できない。


 事前にどうするか打ち合わせ済みなのか、ゴブリン達は言葉を交わす様子もなく無言で次のステップに入る。

 ウ=ス異本的展開なら異種姦の始まりだけどそんな様子もなく、スコップ持ちが手にしたスコップを思い切り振りかぶって少女の頭に打ち付けた。硬い物がぶつかる音が朝の空気に響いて、少女の体はくたりとアスファルトの路面に落ちた。

 さらにここで少女の体を押さえていた槍持ちが腰から大振りのナイフを取り出して、少女の首を掻き切った。放血される大量の血。少女は一度ビクンと痙攣を起こした後、完全に脱力した。さらに槍持ちはナイフで少女の衣服を切って裸に剥くと、少女の体を担いで来た道を戻り始めた。スコップ持ちは剥かれた衣服を回収して槍持ちに続き、弓持ちも周囲を油断なく警戒しつつ後に続く。彼らは最後まで俺の存在に気付いた様子は無かった。

 どうもゴブリンにとって人間は狩りの獲物のようだ。この後少女の体はR-18Gの展開になるだろう。ニッチな需要はあるだろうが、俺の好みではないな。

 ゴブリンが去った後は少女がいた名残のように血の臭いがかすかに漂っていて、風に乗ってここまで届いていた。


 ともあれ、作戦通りに少女を囮にして俺はゴブリンをやり過ごすことに成功した。

 外道? 人でなし? 何とでも言うがいい。俺は自分の生命、財産、尊厳を守るためなら他人をどれだけ犠牲にしようと構わない。必要とあれば親兄弟も切り捨てられる。もっとも親兄弟なんて俺にはいないんだが。

 良心も傷まない。俺は他人に対してそんなものは持ち合わせていない。持っていない物は傷みようがない。

 この俺の心情は世間一般では決して受け入れられないだろう。それを自覚しているから社会生活をする上では世間のルールとマナーを遵守してきた。その方が都合が良いからだ。しかしそれも昨日まで。これからはルールとマナーを守っても意味が無くなるだろう。意味がないものを守る自慰行為に耽るほど俺は物好きではないし、また余裕もない。

 一仕事を終えてリビングに戻り、ストーブで温められた空気を堪能する。ストーブにかけられたヤカンのお湯が沸いて注ぎ口から湯気が立っていた。外が充分に明るくなったのでさっそく家の守りを固めようと次の行動をしようとし、


『経験値を入手。規定値を超えました。レベルが上がります』


 頭の中でアナウンスが響いて動きが止まってしまった。

 聞こえた声の質は電車やバスのアナウンスに使われているような抑揚が薄い女声。それが唐突に脳内に響いたものだから驚かされる。こんなもの誰だって驚く。現実路線のくせにこういう部分でゲームじみたムーブだ。戸惑いしかないが、きっと知ったことじゃないのだろう。

 リビングでストーブに当たり、火力調整をしながらステータスの確認をする。


 ――


 名前:ヤチヨ

 性別:女性

 種族:エルフ

 第一クラス:ハンター

 レベル:2 △1up


 筋力:3

 耐久:4 △2up

 敏捷:4

 魔力:4

 技能:5 △2up

 運命:4 △1up


 ※レベルアップの表示は6時間続きます


 ――


 ステータスの幾つかが上昇したようだ。さらに米印でレベルアップの表示時間も出てくる。6時間、か。時計を失った際に時間の目安に使えるかもしれない。

 それにしても少女を切り捨てるために行動しただけなのだが、それで経験値みたいなものが入るのか。一般的なゲームと違って敵を倒さずとも行動によってレベルが上がっていく仕組みなのかもしれない。

 この異常事態が続くなら生きていく上でステータスの把握は必須だと思われる。ゲーム的だろうが何だろうが、有用ならば使わないと愚かだ。ステータスに関しては試行錯誤と情報収集に力を入れよう。


 トラブルはあったけど、当初の予定通り裏手にある水力発電機の様子を見に行く。それが終わったらサイズの合う服の調達だ。

 今後は外が明るいうちに行動を済ませてしまい、夜は拠点の守りを固めてモンスターの襲撃に備えるのが基本行動になるだろう。それを念頭に頭の中で予定を組んでいく。サバイバルをやるのだからやる事は沢山ある。

 本格的に外に出るため着ていく服を選ぶ。今日の外気は冬らしく冷え込んでおり、風が弱いのが救いだ。

 デニムのジャケットを着こんで、ニット帽とネックウォーマーに手袋、靴もサイズが合わないのでここもサンダルで誤魔化した。足元を守る意味もあるから靴の調達も服と同じく早めにやっておきたい。


 暖かい室内から冷えた外気の庭に出て、塀に取り付けられた裏口に向かう。発電機のある場所はこの扉の向こう側、用水路の流れに設置してある。

 手には散弾銃。塀の向こうはモンスターが闊歩する世界である以上は当然の備えだ。水平二連のシンプルな散弾銃だけど、シンプルな分頑丈で信頼性は高い。今どきのハンターなら自動式やスライドアクションが主流だけど、日本の法律では散弾銃は2発しか装填できない。それが俺は納得しきれず、ならば最初から2発しか撃てない銃を持つことで無理矢理納得させていた。ブローニングもレミントンもモスバーグもイサカも日本に輸入されたら2発しか装填できないよう改造されるのだ。切ない気分になってくる。

 散弾銃の銃身を折るようにして薬室を開放、中の実包を確認する。口径12番ゲージ、アメリカの規格で4番バックと呼ばれる鹿撃ち用の散弾が詰まった実包2発が並んでいる。

 最終確認よし。静かに銃身を戻して薬室を閉鎖。カチリと小さく音が鳴る。意を決して裏口の扉に手をかけた。


「――あ」

「――ギ?」


 扉を開けていきなり、ゴブリンとご対面した。お互いの距離は2mもない。間抜けな声が口から出て、ゴブリンも驚いたらしく目を見開いている。

 思わぬお見合いに固まる俺とゴブリン。けれど遭遇を想定していた俺の方が1秒早く行動できて、その1秒で充分だった。


「おらっ!」

「――ぐギャッ!」


 ヤクザキックを素早く繰り出して、ゴブリンを蹴り倒す。その拍子にブカブカなサンダルが足から脱げるけど、構ってはいられない。

 キックはゴブリンの胸板にヒット。その場に仰向けに転倒する。もちろん俺は追撃する。倒れたショックで息が詰まったのか、ゴブリンは大口を開けて悲鳴を上げる。その大きく開かれた口に散弾銃の銃口を突っ込む。いきなり口に金属の異物を突き込まれて目を白黒させるゴブリンだが、知ったことではない。死ね。

 引き金を引いて発砲。ゴブリンの頭が発射ガスで幾分か膨らみ、赤い血を噴いて弾ける。ゲームのように頭が派手に吹き飛ばないけど、後頭部に大穴が空いて即死だ。

 直前までモンスターを殺せるのか不安だったのが嘘みたいにスムーズに殺しが出来てしまった。そこに内心驚いてしまうけど、思い悩む暇はない。

 素早く口から血や唾液が糸を引く銃を引き抜き、目は周囲を見渡す。やはりいる。さっき少女を狩っていたグループとは別口のゴブリングループ。近距離に長物を持った1体、少し離れて弓を持った1体の2体を確認した。スリーマンセルが彼らの基本なのかもしれない。


「ギギッ」


 いきなり仲間がやられたことで動揺しているが、それでも応戦しようと長物を構える新たなゴブリン。お互いの距離は約5m。散弾銃でも近距離だ。向こうの動揺など知ったことでないので、さっさと銃を構えて発砲。慣れ親しんだ散弾銃の反動が肩を蹴り、次の瞬間にはゴブリンの胸板のバイタル部分に散弾が命中し、致命傷を負わせた。

 問題は次からだ。確認できる最後のゴブリンに目を向ける。距離は離れて約15m、射程内だけど弾は使い切った。予備の実包はジャケットのポケットの中。再装填するまでに数秒はかかってしまう。それまでに向こうは攻撃してくる。加えて向こうも飛び道具持ちだ。

 残る弓持ちゴブリンはすでに弓に矢をつがえていた。矢尻の鋭い先端が朝日を受けて鈍く光るのが見える。この場合棒立ちは一番やってはいけない。俺は素早く身をひるがえして手近な物陰に隠れる。

 なんか、俺自身でも驚くくらいに動けている。普通はこういう時、躊躇いや動揺で動きが固まってしかるべきなのに。スムーズに殺しが出来る事といい、まるで戦闘用のプログラムがセットされたみたいだ。


 少し逸れた思考を断ち切るように、俺が隠れた物――家の裏手に生えている樹木――にゴブリンが放った矢が突き立つ。余計なことを考えている暇などない。

 手早く再装填。レバーを操作して銃身を折り薬室を開放。撃ちがらが薬室から自動的に引き抜かれてこぼれ出てくる。レバーを操作していた手はすでにポケットに突っ込まれて新しい実包を手にしている。指に挟んで2発取り出し、空になった薬室に突っ込む。弾種は同じく4番バック。

 この作業中に目をゴブリンに向ければ、向こうはこちらに近付きつつ新たな矢をつがえている。次に周囲を見渡す。こいつ以外に今のところは敵はいない。けど派手に銃声を鳴らしたし、少女を狩ったグループも戻ってくるかもしれない。時間はかけられない。


 銃身を戻して再装填終了。今までにないくらい手が動いてくれた。ただ、ゴブリンも馬鹿じゃない。こちらの武器が飛び道具なのを察してか、林立する樹木を盾に慎重に近づいてくる。回り込んでくるつもりのようだ。

 銃を構えようとする。しかし長い銃身のせいで取り回しが悪くて木の枝に引っかかる。普段の狩猟なら気にならないレベルだけど、戦闘だとわずかな引っかかりも遅れに繋がってしまう。対してゴブリンの弓は小型で、林の中でも苦も無く振り回せている。まずいもう一射、撃たれる。

 ゴブリンが弓の弦を引いて狙ってくるのを察した俺は、回り込んでくるゴブリンに合わせて樹に隠れようとする。思わぬ助けがここで入った。


「――ガッ!!」

「ギャッ!?」


 開きっぱなしになっていた裏口から素早い影が飛び出して、俺がそれをルディだと分かった時にはゴブリンに飛びかかっていた。

 ゴブリンの弓を持つ腕にルディが噛み付く。その痛みでゴブリンは体勢を崩してしまい、地面に引き倒される。弾みで撃ち出された矢はあさっての方向に飛んでいった。好機到来だ。


「いいぞルディ。そのまま絡め!」


 ルディには猟犬として訓練を積ませている。その中には獲物に絡み、足止めをするものもある。その訓練と経験の成果がここで現れている。

 この機を逃さずゴブリンに急接近する。接近しながら腰に吊るした手斧を抜く。散弾銃だとルディまで巻き込むし、次にいつ弾の補給が出来るか分からないからだ。

 噛まれているゴブリンは当然暴れる。噛まれた腕を振るうし、空いている手でルディを捕まえようとする。その度にルディは位置取りを変えたり、その場で踏ん張ったりと巧みに動いてゴブリンに反撃の機会を与えない。

 それに焦れたゴブリンは腰からナイフを抜いてルディを刺そうとする。もちろん俺はそんなことはさせない。ナイフを抜いたゴブリンの手を接近した俺の足が踏みつける。

 間髪おかず手斧を振り上げる。こちらを見るゴブリンの表情が歪む。たぶん驚きとか恐怖の感情だ。知ったことではない、死ね。

 勢い良く振り落とす手斧。その刃はゴブリンの頭にさっくりと食い込み簡単に命脈を断ち切った。ゴブリンの身体は脱力して動きを永遠に止める。俺は手斧の刃を頭から抜いて、さらにゴブリンの首に刃を落として胴から頭を切り落とした。生き物というのは存外しぶとい。念には念を入れて確実に死んでいる状態にしておきたい。


「ありがとうルディ、助かった。もういいぞ」


 ゴブリンの腕にまだ噛み付いているルディの体を撫でて、終わったことを伝える。ルディはそれを受けてゴブリンから離れて周囲を警戒する姿勢をとった。俺が何も言わなくてもそうしている。今日のこいつは賢すぎないか?

 もともと賢い犬のルディだけど、この事態になってからさらに賢くなっている気がする。俺の言っている言葉も理解している節すら感じられる。もしかして言葉の壁の消失は、動物にも適用してしまうのか?

 ルディに対して少し恐怖に近い感情を持った俺だが、今の状況は暢気に考え事をしている余裕はない。銃声を2回も鳴らしている。音を聞いたモンスターが寄ってくる可能性がある。当初の手早く用件は済ませてしまいたい。


『経験値を入手。規定値を超えました。レベルが上がります』


 例の脳内アナウンスが再びしたけど今は後回しにし、すっぽ抜けたサンダルを回収後に発電機の様子を見に行く。裏口を抜ければわずか数歩のところに農業用の用水路があって、そのすぐ傍に鉄筋コンクリート製の小さな小屋がある。この中身が水力発電機だ。

 小屋の扉を開けて発電機の状態を目で確認する。よし、目で見える範囲に異常はない。用水路の水量も発電に充分だし、流れてくるゴミで水の流れが詰まっている様子もなく、この異常事態でも変わった様子は見られない。

 電気の確保は文明的な生活をする上で欠かせない要素だ。家の屋根に設置しているソーラーパネルも併せて大切にしていきたい。

 発電機小屋の扉をしっかり閉めて、次にするべきことに目を向ける。向ける先にあるのはゴブリンの死骸だ。




 ★




 倒したゴブリンを3体とも庭に運び入れて一ヶ所にまとめて検分を始める。モンスターがどういうものか、この機会にじっくりと調査するためだ。

 狩りでとってきた獲物を解体する事があるため、運び入れたところはコンクリートが打たれて器具や水はけが充分に考えられているスペースになっている。解体に備えて手にはハンティングナイフを握ってゴブリンの死体と向き合う。

 パッと見て、肌が暗い緑色なのと額に小さな角が二本生えているのを除けば人間に見える。体長は小学生高学年ほど。頭髪は3体とも無くスキンヘッド、他の体毛も薄い。これでよく寒空の下を腰布一枚で活動できたものだ。イルカやペンギンのように体内に特殊な体温調節機能があるのかもしれない。

 耳はエルフの俺ほどではないが鋭い形状、歯の形状から肉食寄りの雑食と思われる。唯一身に着けている腰布は革製らしく、局部を隠す以上の目的があるようには思えない。何の革かは不明。


 ここからはナイフを使って解剖調査に移る。まずは腹を裂いて内臓の確認。ゴブリンといっても他の生物と大きく違う部分はないようで、俺が今まで狩猟してきた生き物と大差ない中身をしている。流れ出る血の色だって創作物にあるような青色等ではなく見慣れた赤い血だし、臭いだって嗅ぎなれた血臭になっている。だから戸惑いは薄かった。

 胃を摘出して中身を見てみる。出てきたのは何かの肉、リンゴらしき破片、溶けたチョコバーの欠片もあった。どこかの店舗を襲撃してきたようだ。

 腕や腿にもナイフを入れてみる。思いのほか筋肉が発達しており、小柄な体格に似合わない膂力を発揮すると思われる。オラウータンやチンパンジーほどではないが、これは接近戦は危険だな。


 ゴブリンの血がコンクリートを敷いた地面に広がって排水溝に流れていき、周囲に強い生臭さが庭に立ち込める。生き物を腑分けしているとどうしてもこうなる。俺は解体で慣れているが、一般受けは絶対にしないモザイク必須の光景だろう。

 手には厚手のビニール手袋、口元にはマスク、漁師がしているような防水エプロンまで装備して解体している。これが俺の解体用の装備だからだが、やはりサイズが合っておらず動きにくい。これも新しい物を調達しなくては。脳内のメモ帳に必要物資が追加された。

 後、長くなった髪も作業には邪魔だ。輪ゴムで一本にまとめているが、適当な長さで切った方が良いな。そんなことを思いつつナイフを動かしていく。


「――ん?」


 解剖観察を進めて、胸部を解体していると心臓と見られる部分に普通の生き物とは違う物体があった。肋骨を外して心臓と肺の部分を露出させたのだけど、心臓のところに明らかに他とは違う物があった。大きさは成人男性――つまり元の俺――の指先程、硬く鉱物のような質感を持ち、光を受けて水晶めいた輝きを放っている物体がゴブリンの心臓にくっ付いていた。

 この鉱物めいた何かはゴブリン3体とも共通に持っており、大きさと質感も同じくらいだ。しかも心臓に癒着しており簡単には剥がれそうにない。ナイフで抉って取り出してみる。手に取って間近で見るとますます鉱物じみている。部位は心臓だけど結石みたいなものだろうか?

 そんな風に疑問に思っていると、頭の中から湧き出すように知らない知識が浮かんできた。


「――魔石?」


 ――魔石:モンスターの体内にある魔力の核。モンスターの全身を循環する魔力の中核になっており、魔法や飛行、擬態など多岐にわたる能力行使の源泉になっている。ゴブリンの場合はある程度の環境適応に魔力が使われており、一般的なヒューマンでは厳しい環境下でも生活圏にできる。

 魔石を体内に有する生き物が魔物、モンスターとなる。一般的な生物とは異なる生態系、能力、進化系を獲得して人類の脅威となりえる生命。同時に人類にとって新しい可能性を示す生命でもある。

 魔石は高濃度の魔力が結晶化した物体であり、エネルギー源としての利用が可能。加工次第では燃料、武器の強化、テイムした従魔の強化など幅広く重要な用途がある。魔石の加工はスキルが無くても可能だが、クラス:錬金術などの技術系列のクラスが保有するスキルがあればより効率的かつ純度の高い加工が可能になる。


 などなど、頭の中から手にした物体に関する様々な知識が勝手に湧いてくる。おそらくだが、ハンターのクラスにある生物知識のスキルが俺に知識を与えていると思われる。

 見知らぬ知識が勝手に湧いてくるのはとても奇妙な体験だ。嫌悪感が湧かないのが救いだけど、今後もこの調子で既知と未知のギャップに戸惑うのかと思えばウンザリしてくる。

 分かる人だけに言えば、某運命シリーズに出てくるサーヴァントも召喚される際に現代の知識を与えられるそうだが、もしかすればこんな感じなのかもしれない。

 ともあれ、使えるものなら何だって使うのが今の俺の方針だ。せいぜい有用に使わせてもらおう。


 この不思議物質、魔石には一定の価値があるというのは分かった。けれど今の俺にはこれを有用に使う手段が乏しい。与えられた知識だとハンターのクラスでは十二分に魔石の価値を引き出せないとある。レベルを上げてクラスの枠を増やすか、技術系のクラスを取得した人物とコネクションを構築するかが求められる。なので今は魔石はストックしておこう。後々価値が出てくるのが分かっているのだから。幸い小さなサイズなので場所は取らない。

 与えられる知識ではゴブリンの有用な部位は他に無いようで、食用にもならないそうだ。なら後はバラバラに解体してしまい、用水路に流してしまおう。

 特に問題なく3体分のゴブリンを細かく解体して用水路に流す。この用水路の先は近所を流れる大き目の川で、死体はそこに流れていくだろう。それが終われば解体に使った道具と場所を洗浄し、次にゴブリンが持っていた武器を調べてみる。敵の武器を調べるのは情報収集では基本だ。今は何より情報こそが最優先に求められている。


 ゴブリンのチームはどうやらそれぞれ間合いが異なる武器を持った者で組んでいるらしい。これは少女を狩って行ったチームを見た時も思った感想だけど、こうして検分してみると確信になる。

 ゴブリンが持っていた武器は鉈が一本、長柄の長物が一本、小型の弓が一丁、後は3体が共通して腰に吊るしていたナイフだ。明らかに間合いが考えられる。少女を狩って行ったチームだと鉈がスコップに変わっていたが、役割は同じだろう。鉈持ちが切り込んで、長物持ちがそれを助け、弓持ちが援護で周辺警戒といったところか。

 そしてこの武器、変異が起こったここ数時間でどこかの店から持った来た物のようだ。鉈は真新しく柄の部分に値札のシールが付いており、長柄の武器は、物干しに使われるステンレス製の竿に包丁を2本テープで取り付けた代物だ。これは近場のホームセンターがやられたかもしれない。

 彼ら独自の物と思えるのは小型の弓とナイフだ。弓をよく見てみると、複数の素材で出来ている合成弓コンポジットボウであると判明する。小型の割りに威力があって、世界的にはモンゴルやスキタイの騎馬民族が扱っていたことで有名だ。小柄でしかし膂力があるゴブリンにとってピッタリの武器だろう。

 ナイフは20cm前後と大ぶり。剣鉈みたいな形状で鉄製らしい。使い込まれているのが一目でわかる。ボウイナイフのような古いタイプのハンティングナイフみたいにも見える。これは彼らにとって作業用のナイフなのだろう。

 弓は予備として使えそうなので弦を外して矢と一緒に保管。ナイフや鉈と手製の槍も何かに役立つだろうとガレージの隅に寄せておいた。ゲームのようにリザルト処理が出来ないので、戦闘後の処理にどうしても時間がかかってしまう。

 ゴブリンの処理が全て終わった時には太陽が高く昇って、時刻は昼前になっていた。戦闘よりも後処理の方が時間がかかって、正直に言って面倒臭いというのが感想だ。


 次の予定はサイズの合う服と靴の調達に近場のショッピングモールにあるしまむらやユニクロ、後ワークマンに向かうつもりだったが、予定よりも時間がかかったので、昼食を食べてからと決めた。

 近場のモールが目的地とはいえ、外はすでにモンスターパニックで危険地帯だ。栄養補給は万全にして臨みたい。なので昼はガッツリといく。

 ご飯は昨日炊いたものを冷凍保存しているのでレンジで解凍と温め、みそ汁はインスタント、おかずは昨日の余りのきんぴらごぼうと、これから作る一品を加えれば充分だ。

 ガッツリいくのでおかずは肉とする。解凍したイノシシ肉を叩いたり、フォークで刺したりした後、下味として塩とコショウ、その後小麦粉と卵、パン粉で衣を作って、温めたフライパンにイノシシラードで油を敷いて、揚げるように焼いていく。トンカツのようなシュニッツェルのような、中途半端な代物だけどこれが結構美味いので気に入っている。

 焼きあがったら切り分けて皿に。俺の好みの味付けはソースではなくマスタードだ。リビングではルディがしきりに鼻を動かしてこちらを気にしているが、あいつの食事は1日2食と決めている。それが犬にとって最適だからだ。おやつ含めてカロリーや栄養を計算して管理しているのだ。非常事態になったからといってその管理を放棄できない。なのでルディは飯なしである。


 用意できた食事をテーブルに広げて早速箸をつけていく。充分に焼けたイノシシのシュニッツェルもどきはジューシーに仕上がっており、マスタードの辛みと合わさって俺の舌を楽しませる。昨シーズンの時に仕掛けた箱罠にかかったものだが、周囲の畑を荒らしていただけあって結構肥えており、こうして美味しい肉になっている。

 きんぴらごぼうに使われているゴボウと人参は家の家庭菜園で作られた自家製だ。今後、食料が重要物資になってくる時、こういう物も資源となるだろう。

 こういう非常時において最強なのは農家とか、漁師とかの一次産業に従事する人々だろう。もしかすれば今後は戦国時代に手弁当で落ち武者狩りをしていた農民が復活するかもしれない。そんな事を考えつつ、ご飯を口にする。

 中央政府が上手く事態に対処できれば俺の考えなんて杞憂で終わる。だけど、どうやら現実は思った以上にクソのようだ。想定したことの斜め上、あるいは下方向に事態は進んでいるらしい。


 昼食を食べながらテレビのニュースを見ると、朝から変わらず非常時の緊急特番が放送されている。報道関係が弱い局でさえも足並みを揃えていると考えるなら相当な状態だ。

 政府が動いているという報道も入っていない。各地の自治体がそれぞれで頑張ろうと市民に避難所へ向かうか、無理なら自宅にいるよう呼びかけている。朝に見た内容とそれほど違いは無く、新しい情報が入った様子もない。軽く色々なチャンネルを流し見ても内容に変わり映えがなく、避難所や停電、断水の知らせが増えたぐらいだ。


『い、いま、巨大な生物が海から上陸してきます!! こちらに向かって、あっ! あああぁぁ――』


 スピーカーからレポーターの悲鳴が聞こえてきた。チャンネルは民放の生放送ニュース。映像は海から上がってきた巨大な生き物らしき物体がカメラの方向に迫ってきている場面だ。生物が大きすぎて画面に収まらず全体像が分からない。

 そういえば、この民放局があるのってお台場だったな。イギリスのテムズ川から巨大生物が出現したという話もあったし、東京湾からも何か巨大なモンスターが上陸してきても不思議じゃないか。

 レポーターが絶叫を上げている中でもカメラマンはガッツがあるのか、建物に巨大生物が激突するまで映像は途切れることはなかった。そして激突。振動で映像が揺れて、レポーターの女性が悲鳴を上げながら建物の高層階から落ちていき、画面が真っ黒に暗転した。多分、社屋ごと放送するための機器が破壊されたのだろう。まるで怪獣映画のワンシーンみたいだ。

 あんなのが外にはいるのか。家に篭っていても安全ではないのがハッキリと分かった。遠いイギリスの話よりも、一度は行ったことのある風景が破壊されていく光景の方が何倍も実感を持たせてくれるものだ。

 やはり、今後はモンスターとの本格的な戦闘は避けられない。そして避けてばかりでは近い将来やっていけなくなる。そう強く思った昼食時だった。



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