第3話 1日目‐2




 屋上で世界が激変してしまったのを認識し、受け入れた俺は、すぐに次の行動へ移った。当然自分の命を守る行動、籠城の備えをするためだ。

 これが現実なのか、質の悪い夢なのかはどうでもいい。身を守る行動をするのが俺の中では最優先事項になった。これが夢ならベッドで目が覚めた時に「ああ、悪い夢をみたもんだ」と笑えばいいし、現実ならば行動しない方が愚かだ。一番ダメなのは、目の前の事態に対応せずに呆然とすることだ。緊急時にはとにかく行動あるのみ。

 屋上から寝室に一度戻り、ベッドのサイドテーブルに置いていたリモコンを手にする。セレクトは一斉操作、手近な受信機に向けてボタンを押せば窓にシャッターが下りてきて、夜が明けてきて青みがかってきた窓を隠していく。遠隔操作が出来る窓用シャッターであり、タイマー設定も出来るし、今のようにボタンひとつでこの家全てのシャッターを一斉に下すこともできる優れものだ。

 籠城を選択した俺は、まずは住まいの守りを固めるところから始めた。


 バタバタと動きだす俺を見てルディが不安そうな表情をしてリビングに居るが、今は構っている暇などないので無視する。

 シャッターが下りたことで部屋の明かりが外に漏れる心配はなくなり、屋外の照明もついていない。冬のこの時期、あと一、二時間ぐらいは暗い時間帯だ。明かりを漏らして望まない訪問者が来るのは避けたい。気分は戦時下の灯火管制だ。

 一通り家の窓を見て回り、問題は無かったので次の行動に移る。電気を筆頭としたライフラインの確認だ。つけっぱなしになっているリビングのテレビからは停電や断水のニュースが流れている。世界規模でモンスターパニックになっている状態だ。発電所や変電所に送電線、浄水所やダム、配水管などに異常があってもおかしくないし、それらに携わる人達がモンスターに襲われて操業できない状態になっているのかもしれない。停電や断水の被害はこの先も広がっていくだろう。対して俺の家は少し一般とは事情が異なっていた。


 電気はガレージ部分の屋根にソーラーパネルを設置してそれを大型の蓄電池で蓄電している。それだけではなく、家の裏手に流れている用水路を使って家庭用の小型水力発電機まで回している。発電量は家全ての電気を賄うのに十分で、我が家は電気事業者とは契約していない。発電量と蓄電量を示す液晶パネルを確認しても問題なく、電気に関しては当面問題なしと判断した。明るくなったら用水路の発電機を確認しておくのも忘れないようにしよう。

 水は水道以外にも井戸を掘っており、それを電動ポンプで汲み上げて使っている。庭には昔ながらの手押しポンプもあって、例え電気がなくなっても水の確保に困らないようにしている。今のところは水道も井戸も水が出る。水も問題なし。

 次にガスだけど、これは流石に事業者と契約している。この辺りは都市ガスではなくプロパンガスなのでボンベの中身がある限りは問題なしだ。ガスが切れたら他所から調達するのを視野に入れるか。

 総評すると個人で出来る範囲で自己完結性を高めた住まいになっているのが俺の家なのだ。


 ここまで住居の自己完結性を高めた理由は特になかったりする。災害に備えるためとか趣味だとか幾つか理由もあるけど、どれも強い動機ではない。

 強いて言えば、憧れだろう。昔のモンスターパニック映画に『トレマーズ』という作品があった。そこそこのヒットが出てシリーズ化された作品なのだが、そのシリーズを通じて主役格として登場する人物にバート・ガンマーという男がいた。自宅の地下に核シェルターを作り、大量の銃器をコレクションし、いかなる災害でも生存しようと備えている人物で、自称サバイバリスト。その自称通りに備えた武器と機転でモンスターを相手に生き残ってみせるのだが、ここでは割愛する。

 このバートが登場する映画を俺は子供の頃に初めて見た。モンスターを相手に臆することなく立ち向かい、備えた武器で戦い勝利する姿が印象に残ったのだ。同時に彼は超人ではなく、あくまで人として出来る範囲で戦っており、それが俺にとっては身近さを感じさせた。

 俗にプレッパーと呼ばれる人種にバート、そして俺は該当するのだろう。大破局に備えて様々な準備を常日頃からして、政府や自治体の公的支援をあてにせず、自力で生き延びることを信条とする人々を指す言葉だ。

 プレッパーの本場はアメリカであり、かの国では一部狂信的なプレッパーが銃乱射事件を起こしたこともあるそうだが、俺の場合はそういった連中と違って自分もバートのようにモンスターが襲ってきても大丈夫なように備え、格好よくピンチを脱してみたい。そんな単純な子供の頃の憧れが元となっている。まさか憧れが現実になるとは思ってもみなかったが。


 そんな風に半ば伊達と酔狂で建てられた我が家はこの非常事態には頼もしい限りだ。ただ、防衛という面で考えるとどこまで通用するのか未知数な辺りが不安材料になっている。

 海外ドラマの『ウォーキングデッド』みたいなゾンビパニックの展開ならこの家はベストといえる。物資がある限りは立て篭もれる。しかし今世界で起こっている出来事はモンスターパニックの展開だ。襲ってくるモンスターによっては家の守りが抜けられる事態は充分考えられる。

 空を飛ぶモンスターにはこの家の防御は意味が薄いし、ゴブリンらしきあのモンスターであっても道具を扱う知恵があるのだから防御をすり抜ける頭はあると思う。頑丈な家ではあっても城砦とかではないので限界はある。家の守りだけに頼れない。

 ならば今後は武器を手に取って戦わなくては生き残れない。それこそバート・ガンマーのようにモンスターと戦う必要があるようだ。

 日本の一般的なご家庭なら武器になりそうな物は、包丁にバット、観光地で買ってきた木刀にゴルフクラブといったところが精々だろうが、俺の場合はここも世間一般とは違う。拠点の状態を確認したら、次は武器の用意だ。


 一階の作業部屋にあるロッカーから実包を。二階にある書斎のロッカーから3挺の猟銃を持ってリビングで広げた。狩りに出かける予定だったので手入れは充分にされており、何時でも使える状態だ。

 3挺はそれぞれ空気銃、散弾銃、ライフル銃で、狩りをする獲物で使い分けている。鳥や小動物、イノシシとかなら空気銃か散弾銃、鹿やクマとかはライフル銃といった具合だ。基本的に趣味で狩りをやっており、ジビエ料理店に獲物を卸すプロハンターみたいなガチではない。趣味で魚釣りをやっている人間と大差ないのが俺の狩猟スタンスだ。

 実包は先日購入したばかりで、散弾実包が400発、ライフル実包が50発、加えてリロード用に弾丸と火薬と雷管がある。世界中にモンスターが出現したのを考えると心許ない数だ。

 猟銃以外にも武器になる物はある。狩猟で使うハンティングナイフや、山歩きの時にナタ代わりにしているククリナイフ、仕留めた獲物を解体後に埋めるため使うスコップ、ブッシュクラフト用の手斧とユーリティーナイフと刃物は充実している。戦闘に使うとなればスコップかククリ、手斧が使えるだろう。ユーリティーナイフはあくまで作業用だ。

 銃以外の飛び道具もある。両端に滑車のついたコンパウンドボウに、クロスボウ、強力なゴムを使った狩猟用のパチンコスリングショットもリビングに持ってきている。たまに小物を狩猟する時にスリングショットは使うが、コンパウンドボウとクロスボウの方は日本の法律で狩猟には使えない。こちらは純粋なスポーツ目的で使っている。

 これだけあれば一応は安心だろうか? リビングに広げたこれら道具を眺めて、それでも不安を拭えないのはテレビに映っているモンスター達のせいだろう。例えば今この瞬間にもモンスターが襲撃してきたら、俺はこれらを武器に戦えるのだろうか? などと考えてしまう。狩りの時とは違う。向こうにも明確な殺意があって、武器を手に襲ってくる相手に引き金を引けるのか不安だ。


 さらにこれら武器がモンスターに通用するのかも不安だ。家にある猟銃の中でも最大の射程と威力があるのはライフル銃だ。フィンランドの銃器メーカーサコー社製で使用弾薬は308ウィンチェスター、7.62mm×51NATO弾と言った方がピンとくる人が多いだろう。それの民間市販型が308になる。狩猟用としても高い人気を誇り、日本の銃砲店でも取り扱っているところは多く、シカやクマを撃つならこれか30‐06スプリングフィールドが望ましい。そのぐらいパワフルな弾なのだけど、モンスター相手になるとどのくらい通用するのか分からない。

 生命力の強い野生動物を一発でダウンさせることも可能な弾薬でも、映画やゲームに出てくるやられ役の軍隊が撃つ弾のように効果がない、なんてこともありえそうだ。

 ならば接近してスコップで戦うか? いやいや、それこそまさかだ。遠距離攻撃や罠こそ人間がもつアドバンテージで、それを自ら放棄するのはありえない。剣を振り回してモンスター相手に無双できるのはゲームの中だけだ。

 この辺りは、ウンウン唸っているよりも実際にモンスターを撃って確かめるしかないだろうな。通用する相手、通用しない相手を見極めて、最悪はこの家を放棄して逃げ出すことも考えないといけないだろう。


 そしてまず何よりも不安を感じないといけないのは、変わってしまった自分自身の肉体だ。

 身長が縮んでしまい、体重も軽くなってしまったので昨日までの感覚で体を動かしていると違和感がかなりある。華奢な見た目に反して身体能力は異様に高いのも違和感を助長させる要因だ。

 猟銃をリビングに持ってくる時に感じたが、銃が異様に軽くなった。ライフル銃がスコープ付きで5㎏はあったはず。それを片手で楽々持てる腕力が今の俺にはあるらしい。

 試しにこの場で一番の重量物、キッチンにある仕留めた獲物専用の冷凍庫を持ってみた。真空パックされた肉が結構入っていてかなり重いはずのそれは、苦も無く持ちあがった。視力や聴力も向上しているし、自分の肉体ではないみたいだ。

 そう、この肉体は本当に己の物か? どこかの誰かの肉体を乗っ取っていたり、何者かの都合で改造されたり、こうなる可能性を色々と考えてみたが、どれも荒唐無稽なものばかりだ。いや、そもそも現状からして荒唐無稽極まりなかったか。


 けれどなぜ俺の身体はこんなふうになってしまったんだ? 『あさおん』どころか『あさエルフ』などという現象に原因を求めても仕方ないのか? ……待て、エルフというワードに引っかかるものを感じる。つい最近エルフという単語に遭遇した記憶がある。鏡で自分の姿を見てエルフという言葉がパッと出てきたのもそのせいだ。

 ――思い出した。昨日の夜に見た夢だ。あれは寝ぼけていたのか、あるいは夢の中であっても現実になってしまったのかは分からない。ただ昨夜のキャラクターメイキングは現状と関係があるように思える。加えて昨夜の記憶が確かならステータスみたいなものもあった気がする。

 ステータス……ネット小説などでは定番過ぎて食傷気味になる人も出てくる例のアレである。現状がそのテンプレートを踏襲しているならば、


「ステータス、オープン!」


 などと言えば俺のステータスが現れたりするかも――って、本当に出た。


 ――


 名前:ヤチヨ

 性別:女性

 種族:エルフ

 第一クラス:ハンター

 レベル:1


 筋力:3

 耐久:2

 敏捷:4

 魔力:4

 技能:3

 運命:3


 ――


 透明なプレートが出現したり、視界に数値が表示されたり、とかではなく脳裏に明確に表示が現れるイメージだ。これなら視界が遮られたりはしないな。ステータスの表示内容も昨夜見た記憶と大きな違いは感じられない。

 名前が昨夜決めたものになっている。俺には――――というキチンとした名前があるのに……え?


「おいおい……名前……嘘だろ……」


 俺の名前が出てこない。元の俺の名前が他ならない本人の記憶から消えてしまっている。今までの人生の歩みとか、経験などは人並みに思い出せるのに名前だけがスッポリと抜け落ちて、その部分に『ヤチヨ』という名前がはめ込まれている。

 手近にあった財布から運転免許証を出して確認しても撮影した覚えのないこの状態の俺の顔写真と、ヤチヨの名前が差し替えられている。他の資格証明証も同様だ。これ、役所とかでちゃんと使えるのか? 偽造とか言われても自白のしようがないぞ。などと、現実逃避気味に思考が逸れてしまう。

 ここまでの人生で一番身近にあった自分の名前が消滅して、代わりに適当考えただけの名前がそこに居座っている。自分の名前にはそこまでの思い入れはなかったけど、いざ無くなってみると喪失感が酷く、取り返しがつかない事をしてしまったと落ち込んでしまう。


 リビングのテレビ前に置いたソファに深く腰を下ろし、喪失感で沈む気分をそのまま体で体現させた。ルディが俺の様子を心配したのか、静かに近寄ってきた。手を伸ばしてその体を撫でると、柔らかい体毛の感触が手に返ってくる。レトリバーの血の影響で長めになっている毛は定期的にブラッシングしており、充分に空気を含んでフカフカだ。

 適当なところで切り上げるつもりだったけど、気が付けば俺はルディの体を丹念に撫でていた。衝撃的な出来事がラッシュでやって来たため、心が癒しを求めたのかもしれない。あるいはこれも現実逃避の一種なのだろう。寝転ぶルディの腹を撫でつつ、俺はそんな風に自己分析していた。

 撫でられているルディは気持ちよさそうに目を細めて、体を撫でられる感触を堪能している。お前は気楽そうだな。

 こうしている間にも時間は容赦なく過ぎていく。早く行動に移れるくらいに気持ちを立て直そう。考えることやるべきことは数多く、どこから手を付けていいか分からない。先の見通しは今の俺には全くついていなかった。


 テレビに映る東京の空は明るくなっていき、日の出の時刻を迎えようとしてる。世界規模の異変、その初日が日本で本格的に始まろうとしていた。




 ★




 落ち込んでいる時間は短かった。そんな暇があるなら身を護る努力を出来る範囲から手を付けていこう。そう考えた俺は行動を再開した。

 家の守りを可能な範囲で固めていく。夜が明けたとはいえ外はまだ薄暗く、モンスターが闊歩している環境で視界が利かないのは命取りだ。偵察に出るのは完全に明るくなってからと決めた。

 襲撃にも備えてリビングに集めた武器を臨戦状態にさせる。散弾銃とライフルに弾を装填していつでも撃てるようにしておく。日本の法律やルールの観点では違反なのだが、モンスターに対面してから弾を込めていたのでは遅すぎる。即応性重視だ。

 クロスボウとコンポジットボウの弦も張る。弦の張りっぱなしは弓が変形して、反発力が失われる原因になってしまうけど、安全が確保できるまでは外さないでおきたい。

 刃物はそれぞれの鞘やケースに収めて手近に置いておく。手斧を腰から吊るそうと思ったところで、起きた時から着替えていない事に気付いた。


 行動しやすい服装に着替えよう。そう思って寝室に向かい、クローゼットを漁ったけど今の身体に合う服などある訳がない。身長170センチ台の成人男性から身長150センチ台の少女にサイズダウンだ。これは早急にサイズの合う服を調達する必要がある。何か行動をしても、合わない服が文字通り足を引っ張り危険だからだ。

 頭の中に重要案件として記憶しておき、この場では裾や袖を何回もまくって腰をベルトで締める事で強引に対応した。油断しているとずり落ちるのでとても心許ない。サスペンダーが無いのが悔やまれる。

 ブカブカのカーゴパンツとポロシャツを誤魔化してどうにか身に纏い、手斧を腰に吊るして次の行動に移る。次は備蓄の確認だ。


 俺が映画に影響されてプレッパーになったのは先に語った通りだ。公共機関に頼らず、自分の力で生き延びるのを信条として日頃から備えをしているのがプレッパー。食糧や水、医薬品などの備蓄は基本中の基本と言える。

 まずはバインダーを取り出して内容を確認。バインダーに入れたルーズリーフには買った品目と、購入日、賞味期限、消費期限が書かれている。これは買ったり消費したりするたびに更新するようにしており、一目で今の備蓄が確認できるようにしている備蓄リストだ。このリストを見ながら実物を確認していく。

 日持ちする缶詰、レトルトだけでも3年分は溜め込んでいる。もちろん定期的に消費して新しいものを入れるのを忘れない。

 医薬品はラッパのマークで有名なアレとか、半分は優しさで出来ているアレとか、ドラッグストアで入手できる物でサバイバルを想定して有効そうなものを選んでいる。薬にも期限はあるので、これも期限を見て入れ替えている。

 水道水、井戸水が使えなくなった場合も想定してペットボトル入りの飲料水も備蓄している。炭酸入りとそうでないものの二種類あって、これも定期的に更新している。加えて汚れた水を浄化する薬品や浄化装置まで揃えており、出先で水の調達も出来るように備えている。

 車やバイクの燃料であるガソリンも一般家庭で保有が許されている上限200リットル、ストーブやランタンの燃料に使う灯油も400リットルほどをドラム缶で貯蔵しており、こちらも定期的に使いつつ量を保持している。

 実物の確認を終えてざっと概算してみると数年は余裕で籠城が可能な備蓄といったところだ。ただ、ガソリンや灯油はどう頑張っても約2年で変質するし、缶詰やレトルトといった保存性の高い物も永久には無理だ。

 1年ぐらいを楽して過ごせるよう備えているのが俺の想定で、それ以上の期間になれば他所から物資の補給をしないと厳しい。ここで問題なのは、新たに物資を製造するところが無くなろうとしている点だ。


 音を抑えつつもつけっぱなしのテレビに映るのは、俺が住んでいる地域の県庁所在地の風景。地方のテレビ局が外にあるカメラで天気を見る時に映される映像で、俺もよく見る光景だった。今はよく見る風景に、非常識な怪物たちが何匹も映って、そのギャップで現実味が全く感じられない光景になっていた。日が昇って暗がりが無くなると、状況の悲惨さと現実味の薄さがはっきりと見える。

 チャンネルを変えて映る風景を変えても、モンスターは必ず映っている。日本中どころか世界中でこれだ。世界中で人が襲われ、家屋や設備が破壊されている。その中には当然、人々の生活に欠かせない物資を作る作業員や装置、物資を運ぶ運転手や輸送機器、客に売るための店舗に従業員などが含まれている。つまりこうして俺がテレビを見ている間にも物の供給は断たれているのだ。

 さらに悪いことにこの国は多くの物資を輸入に頼り、他所の国に行くにも海を越えなくてはいけない島国だ。この先、缶詰1個に途方もない価値が付く未来が来るだろう。その時まで人類が存続していたらの話だが。


 物資の確認を終えてリストをしまう。備蓄はリスト通り問題はなかった。次の行動を考えるためリビングのソファに戻るとルディが再び近寄ってきた。なんとなく手を伸ばして撫でてやると、尻尾を振って先程の再現の様に嬉しそうにしている。

 再現と言えば、脳裏に浮かぶゲームめいたステータスが気にかかる。さっきは自分の名前の喪失に呆然となってしまったが、この異常事態に臨むにあたってキーとなるものがあのステータスにあると俺には思えた。

 なら、次の行動はこの脳裏に浮かぶゲームめいた異常現象の確認だ。


 その前に、いい加減体が冷えてきたのでストーブに火を入れるとする。ここまで寒さも気にならない異常事態のオンパレードだったけど、北関東の12月は強い北風もあって冷え込む。これからは今まで以上に体調管理が重要になってくるだろうし、無理せず暖をとろう。

 リビングの片隅には円筒形をした大型の灯油ストーブが置かれている。昔の学校でよく見かけるタイプの大型ストーブで、廃校になった学校から放出された品だ。シーズンオフには片付けを兼ねて分解清掃をしている甲斐もあって充分現役だ。火を入れて程なく部屋がゆっくりと温まりだす。ついでに加湿も兼ねて水を入れたヤカンをストーブの上に置いておけば準備は終了だ。

 温まっていく部屋の中、改めてソファに座り直してステータスの検証を始める。


「……ステータスオープン」


 ――


 名前:ヤチヨ

 性別:女性

 種族:エルフ

 第一クラス:ハンター

 レベル:1


 筋力:3

 耐久:2

 敏捷:4

 魔力:4

 技能:3

 運命:3


 ――


 改めて見てもゲームじみた表示内容だ。ステータスの各種数値は一見すると低そうに見えるが、向上した身体能力からするとこれで結構高めなのかもしれない。

 レベル:1という表示があるからには2や3、それ以上の数字もあるのだろう。モンスターを倒してレベルを上げて、ステータスを強化して強くなっていく。ド直球にRPGの世界観だ。この異常事態を起こした『何か』は世界をこんな風にして何がしたいのだろうか? ……いや、俺一人がそんな事を考えても意味はないか。

 世界については脇に置いておき、自分の目の前に展開しているステータスについて考える。このステータスは寝ぼけながら決めたせいもあって、ハッキリと覚えていないところもある。ヘルプ機能とかで項目について注釈がついてくれると助かるのだが――


「あ、出た」


 思わず口から声が漏れてしまう。もしかしてこうなのでは? という考えがピッタリ合った瞬間だ。

 ステータスを決めた時は指などで操作した覚えがないので思考操作とかだろうかと考えて、項目に意識を集中してみると予想通り項目から別の記述が展開されて注釈が表示された。例えるならスマホのアイコンを長押しするような感覚だ。



 ――


 種族:エルフ:ヒューマンに比べて極めて高い魔力を保有する人間種族。感覚器官が軒並み鋭く、星の触覚として自然と対話可能。平均寿命:10億年前後。

 人間種族にして妖精種族の一つ。自然界の理に通じ、高い能力で活動域もヒューマンより幅広い。目の良さ、風を読む能力などから射撃武器の扱いに長ける。

 クラスとしてはハンターやシューターといった斥候系、遠距離攻撃タイプと好相性。精霊術師、元素術師などマジックキャスター系列とも良好な相性。


 種族スキル:自然との対話:星の触覚として様々な自然物と意思を疎通できる。大気を通じ、大地を通じ、草木を通じ、様々な情報を収集可能。天然の精霊術師ともいえる。


 天然の肉体:産まれながらにして完璧な肉体を保有している。毒物や病気に対する無効化、肉体の体型維持、肉体の黄金律、といった様々な効果がある。


 ――


 種族の項目からポップした注釈が以上のとおりだ。ゲームの設定としか思えない文章が表示されているけど、これは本当に今の俺の肉体が持っている能力なのか?

 寿命10億年もそうだが、種族スキルの天然の肉体というのも凄まじい。毒や病気の無効化はサバイバル環境では最高の能力だし、体型の維持も飢餓での能力維持でもあると解釈できる。総じてかなりチートだ。ネット小説に出てくる設定みたいで香ばしさすら感じる。本当にこんな能力があるのだろうか?

 スキルに関する考察は後に回し、他の項目にも意識を集中させて注釈を表示させていく。


 ――


 クラス:ハンター:野山を駆けて獲物を仕留める人。射撃や罠、フィールドワークに関する技能を習得できる。

 フィールドワークに関する知識、獲物である獣、モンスター、野草や樹木に関する実践的な知識を習得しやすくなり、野外における射撃、罠などの技能習得といった狩猟と野外活動に関する総合的なスキルを習得していく。レベルが上がるほど高度な技能と知識を習得していく。


 クラススキル:生物知識(狩猟) Lv1:野外にて生息する獣やモンスター、草木に関する実践的な知識を習得する、習得しやすくなるスキル。あくまで野外活動に関わる知識なので魔法生物やダンジョンに生息する生物に関わる知識は範囲外。レベルが上がればより高度な知識を習得しやすくなる。


 射撃技能 Lv1:射撃武器に関わる技能を習得。弓矢や銃器、投擲武器まで範囲内。レベルが上がれば高度な技能を修得できる。


 罠知識&技能(野外) Lv1:野外活動における罠の知識と技能を習得、習得しやすくなるスキル。ダンジョン、屋内における罠もある程度は範囲内だが、専門のスキルに比べると一段劣る。レベルが上がれば高度な技能と知識を習得しやすくなる。


 皮剥ぎ Lv1:仕留めた獲物から肉や革などを得やすくなる技能と知識。レベルが上がれば一つの獲物からより多くの物品を得やすくなる。


 ――


 クラスの項目から展開された注釈がこんなところだ。おおむね俺が想像していたハンター像と同じだ。ゲーム的な解釈でいくならレンジャー系列のクラスなのだろう。世界の情勢が今後も変異していくなら有用なクラスと思われる。

 今もステータスの確認の傍らで見ているテレビ。それが映す世界の情勢どおりなら、バリバリの戦闘クラスよりも生存術に重きを置いたクラスの方が動きやすい。加えて俺の好みにも一致している。これらのスキルが本当にあるのなら今後のためにも要検証だ。

 これもゲーム知識からだが、こういうスキルだと矢とか弾を使った必殺技みたいな戦闘スキルが出てきそうなものだけど注釈に表示されているスキルを見る限り無いようだ。……まあね、技名叫んでぶっぱするなんて現実にはありないよな。浪漫だけど。


 ステータスで注釈が表示されるのは他に無く、確認できる範囲はこの程度のようだ。なら次はスキルの検証に移りたいが、その前に俺のようにステータスとかを決めて、スキルとかを持ってしまった人間は他にもいるのか気になった。

 テレビでの情報収集もこれが限界だろう。テレビの電源を切って、2階に上がり書斎へと向かう。ルディも途中までついてきたけど、寝室と書斎には絶対に入らないよう躾けたので俺の向かう先を察すると1階に引き返していった。実に聞き分けがいい奴だ。

 書斎に来てまず最初にカーテンを開けた。ここの窓には鉄格子はあってもシャッターが無いため室内の光が漏れないようカーテンをしていたが、日が昇って電灯なしでも充分作業が出来るようになっていた。机には自分で組み上げたパソコン、本棚に趣味の書籍の数々とパソコンソフトがあって、要するに俺のインドアの趣味が詰まった城だ。

 電源を入れてパソコンを立ち上げる。CPUとグラボの冷却を水冷式にしているためファンの音でうるさくなる事はない。液晶画面はすぐにデスクトップ画面を表示する。処理速度も速いのでOSの立ち上がりに5秒もしない。すぐにキーボードとマウスを使ってネットに接続だ。

 スマホも情報収集手段として使えるが、処理速度、検索能力や一覧性はパソコンの方が上であり、俺は家にいる時はパソコンの方を愛用している。

 情報化社会の21世紀、インターネットが情報入手のツールとして一般的であり主流だ。この異常事態の中でネットはどんな風になっているか、そしてどんな風になっていくか見ておきたい。


 幸いインターネットはまだ大丈夫のようだ。自宅に引いている光回線は無事で停電で止まってもいない。通信網のあちこちで断線や途絶が見られるが、おそらくサーバーや回線が物理的に破壊されたのだろう。モンスターが意図的にやったとは考えにくいので、巻き込まれる形で壊されたと思われる。

 ニュースサイトはほぼ全てがこの異常事態を報じており、その広がりは全世界に及んで例外となる国や地域も無さそうだ。すでにモンスターに襲われて死んだ人も数知れず、カウントする人間もいないので被害の規模は不明だ。

 経済も急速に全世界で崩壊していく。株価、為替レートが見たこともない数値を叩き出していく。早晩紙幣は紙切れになるだろう。漫画『北斗の拳』で言われたようにケツを拭く紙にもならない日がリアルで来るようだ。

 日本では警察が主体になって事態の対処に当たっているようだが、外の状況を見るに上手くいっていない。この事態になってまだ半日も経っていないからか、政府はまだ本格的に動いていない様子だ。各地の知事が自衛隊の出動を要請しているようだがこれも上手くいっていない。どこか特定の場所が襲われているのではなく、国全域が同時に危険地帯になっているので身動きが取れていないようだ。未確認だが幾つかの自治体では、指示を出す知事や市長がモンスターに襲われて死亡し、指揮系統に混乱が出ているという報道もあった。

 どうもニュースサイトの記事を書いている記者自身もこの混乱の中でまともに動けない様子で情報も錯綜している。少なくとも国がまともに動く様子は見られない。これではステータスや種族の情報も得られないだろう。

 そこで次はSNSや動画投稿サイト、掲示板といった個人レベルで発信される情報を拾ってみることにした。


 この異常事態に数多くの人がネットに情報を求めている。俺もその一人だし、個人で情報端末を持つ国ならば大抵の人がそうするだろう。SNSのタイムラインは恐ろしいスピードで流れ、数多くの情報を吐き出していく。多くの画像や動画が添付されて、モンスターの姿が撮影されている。ただ、ここにも俺が求める情報は無いようだ。あったとしてもタイムラインの流れが急すぎて追いきれない。

 動画投稿サイトもSNSに近いノリだ。日本では自宅の中からモンスターを恐々と撮影している動画がほとんどだったが、個人の武器所有に寛容なアメリカなどではすでにモンスター退治に乗り出している人がいる。ショットガンやライフルを手に怪物退治をする動画はモンスターパニック物の映画そのものだ。やっぱりアメリカさん凄いなぁ、と思いながら映像に映っている人達を見てあることに気付いた。やはり人間以外の種族になったのは俺だけではないと。

 アメリカから投稿された動画には、ショットガンを手に襲い来る獣型モンスターと戦っているエルフらしき人物が映っている。その横からは薪割り用らしき斧を手に獣に止めを刺そうと振りかぶるドワーフらしき人もいる。


『ポールっ! そいつの止め刺し終わったら、こっちも手伝ってくれ! 弾の残りが少ないんだ』

『分かった! すぐ行く! あ、そうだニコ! トラックから弾持って来てくれ!』

『10番ゲージのバックショットでいいんだよな、分かった』

『念のためダッシュボードにある45口径も持って来てくれ! ――クソっ! まだ来やがるのかファッキンモンスターどもめ!』


 農場を守るために侵入してくるモンスターと戦闘している場面を撮影しているようだが、種族のことよりも気になるところがある。

 俺の英語能力は一般的な大学生程度で、日本の受験英語の域を出ない。ネイティブな会話など聞き取れないはずなのだが、動画の中で交わされている会話は日本語と同じ感覚で聞き取れている。この動画だけなのでは、あるいは英語だけなのでは、と他の海外の動画も見てみるけど、他の動画でも言葉の壁を感じないレベルで聞き取れている。英語だけではなく、ロシア語らしき言葉も、フランス語らしき言葉もドイツ語、イタリア語も問題なく日本語感覚で聞き取れている。

 この現象は俺だけではなく、SNSや掲示板を覗けば言葉の壁が無くなったことを発信している人も見られる。信心深い人の中にはバベルの塔とか言っている人まで現れている。

 文章に関しても同様で、日本語の文章を読む感覚で外国の文章が読めてしまう。アラビア語が読めた時には感動さえ覚えた。どうやら言葉の面で世界がボーダレスになってしまったらしい。


 どういう仕組みなのかはまるで分らないが、取り合えず世界が某ネコ型ロボットの所有するコンニャクを食べてしまったと思うことにした。言葉の壁が無くなったおかげでネットを使った情報収集に弾みがつく。これを利用しない手はない。テレビを見ても手に入らない情報を入手しようと海外の情報サイトや掲示板も覗いていく。

 どこもモンスター出現を騒ぎ立てるものがほとんどで、中には宗教を絡めて終末の時は来た、とか言い出す輩まで現れる始末だ。

 とりわけお祭り騒ぎなのは俺の同類、プレッパーの皆さんだ。終末や破局に備えるのが生きがいなだけあって、みんな元気にイキイキと活動している。気が早いことにモンスターと戦うためのハンターを募る呼びかけまで行われている。この行動力の高さにはことの良し悪しは別として感心してしまう。

 俺の目的である種族やステータスについての情報から逸れつつも情報収集はそれなりに順調だ。もちろんネットの情報は鵜呑みにせず精査する必要がある。それでも参考程度にはなるはずだ。

 海外のめぼしいところを一通り見終わって、日本の掲示板に戻る。いくつか気になるスレタイが出ているので、覗いてみる。


 ――


 ステータスの力でモンスターあふれる世界を生きていこう 総合スレ part50


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 ・

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 100:名無しのヒューマン


 変異があったのは日付が変わったタイミングだよな、それからまだ半日もしない内に50スレ目とか回転早いなぁ、オイ


 101:名無しの英国ヒューマン


 グリニッジ標準時では午後3時。イギリスではアフタヌーンティーの時間。英国紳士たちはこの事態に紅茶フイター


 102:名無しのドワーフ


 回転が早くて当たり前だろ、全世界でモンスターハザードっていうラノベみたいな展開がリアルで起こっているんだから。

 掲示板の界隈なんて大盛り上がりのお祭り状態に決まっているだろ。



 ただし、身の安全が確保されていないとモンスターのエサな


 103:名無しのセリアン


 ヒェッ


 104:名無しのヒューマン


 ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル


 105:名無しのヒューマン


 ここにいる諸君はどうやって身の安全を確保してここに書き込んでいるのかな? 参考までに聞いておきたい

 ちなワイは避難場所に指定されている近所の公民館からスマホで書き込んでいる。まだ電波は大丈夫だけどその内混雑してくるかも


 106:名無しのハーフリング


 避難所って暴動起きたり、襲撃受けたりするフラグ満載の場所じゃないですかヤダー

 ちな俺氏、自宅のタワマンに引き篭もって籠城中。ここ20階だけど、窓の外をワイバーンが飛んでいる  オワタ\(^o^)/


 107:名無しのヒューマン


 >>106合掌。


 108:名無しのセリアン


 >>106ナーム(-人-)


 109:名無しのヒューマン


 これ以上は他スレ行けになるので、前スレからの本題な。

 結局日付変わるタイミングで出てきたキャラメイクをしないとステータスは出てこないでいいんだな。


 ちな俺も籠城組。マンションの10階だけど>>106が言うように空飛ぶモンスターがいるので安心できない


 110:名無しのドワーフ


 >>109だろうな。ワイの友人でもキャラメイクを無視したから素の人間のままだぞ。

 ワイ自身の場合は面白がってドワーフの職人系にした。


 ちな自宅で籠城中。田舎の一軒家で土地が広いから庭にモンスターが入ってくる。なのでじっちゃが猟銃で狩っている


 111:名無しのヒューマン


 >>110じっちゃスゲーwwww


 112:名無しのセリアン


 モンスターハンターG(ちゃん)


 113:名無しのドワーフ


 >>112じっちゃG級ハンターなのか。納得だわwww


 114:名無しの英国ヒューマン


 日本だとキャラメイクが出たタイミングが真夜中だからな、寝ていてキャラメイクが出来なかった人が多そうだ。

 俺の場合は出先が海外で、午後のティータイムを楽しんでいるときポップした。リアルに紅茶吹いたぞ


 ちな逗留しているホテルで籠城中。たぶん日本に帰れない


 あ、今テムズ川から馬鹿みたいに巨大なモンスターが出てきた。シン・ゴジラかよ!


 115:名無しのドワーフ


 >>114イギリスかぁ……この状況だとブリテン島の外に出るのも無理そうだ。イキロ、いやマジで


 って、テムズ川からゴジラ!? イギリス終了かよ


 116:名無しの英国ヒューマン


 おう、こっち夜だから暗くてよく分からないけど体長がかなり長い。浮いてた船が次々沈んでいる。しかもロンドン橋が落ちた。リアルに


 117:名無しのハーフリング


 ロンドン橋落ちたwwwww草すぎてヤバイ


 118:名無しのヒューマン


 草に草生やすな。でも衛星放送でBBCの中継見ているけど、マジで歌のように落ちてる。そしてそれを落としたモンスターの巨大さよ……人類は終了ですね


 ・

 ・

 ・


 ――


 英国はどうもえらいことになっているようだ。同時に日本でも大変なことになっているだろう。この先を考えるとこんな風にネットを使える状態は長くないな。

 変異発生から時間もそれほど経っていないせいか、どのスレッドでも危機感よりもモンスターに対する好奇心の方が勝っており、馬鹿なことを考えた奴がモンスター相手に凸する書き込みがチラホラ見られる。そういう奴はもう二度と書き込みが出来なくなるのがオチだが、中には運良く生還してモンスターがヤバイと書き込んでいる者もいた。

 そういう生還者の書き込みを見ると、ゴブリンみたいな姿形の奴や、スライムらしき不定形生物や、オーガらしき巨人もいたそうだ。証拠として画像も添付されているけど、撮影したのがまだ暗い時間帯だからか不鮮明だったり、現実味が薄くて合成乙とか言われたりしている。

 さらに今日は暦の上では平日。朝の通勤通学の時間帯になろうとしており、外がこんな状態でも会社に行こうとしている人が現れている。会社から通達とかが無いので確認に行こうとしたり、中断できない仕事がある、あるいは店の様子を見に行く、など日本人の社畜ぶり、平和ボケぶりが前面に出ている書き込みがあった。

 こういうのも正常化バイアスっていうのだろう。きっと彼らはモンスターに捕食される瞬間まで平和な日常気分でいることだろう。俺はこいつらの事を他山の石として真摯に受け止め、危機感をもってこの事態に当たろう。ビバ自由人の身の上だ。


 情報収集はこのぐらいで充分と思いパソコンをシャットダウンさせた。処理が早いのでシャットダウンもあっという間だ。このタイミングで、それも近い距離から人の悲鳴が聞こえた。

 とっさに窓から距離をとって、耳だけで外の様子を窺う。手元に武器になる物がないので軽く舌打ち。俺もまだ平和ボケが抜け切ってはいないようだ。

 先も言ったが、俺の身体がエルフになったせいか耳がとても良くなっている。外の音を拾うのは簡単だ。車のクラクション、警報装置が出すブザー、緊急車両のサイレン、モンスターらしき聞き慣れない獣の鳴き声、そして人の悲鳴だ。

 女性の悲鳴が割と近い距離で聞こえてくる。様子を窺うため、窓に近寄って薄く窓を開ける。冷えた外気が吹き込んできて顔を撫でていく。悲鳴の聞こえた方向はこの窓のあるところからだ。


 ――見えた。この周辺は住宅街の端っこで田畑と雑木林に家屋がちらほらという風景だけど、畑の中を通る農道を走っている女性の姿が見えて、その後ろを追いかける三つの影も見えた。

 耳だけではなくこの身体は目も良いようで、それなりに離れた距離にあるその光景を俺はハッキリと見ることが出来る。

 女性を追いかけているのはモンスター、なのだろう。人型で、低身長、どういう遺伝子の働きか暗い緑色の肌、この寒空の下なのに身に着けているのは腰布一丁……夜明け前にもその姿を見かけた、ゲーム世代の人々がイメージする典型的なゴブリンの姿がそこにあった。


 そしてゴブリンは3人? 3匹? 3体? ――こういう時、助数詞がある日本語を俺は不便に感じる――とにかく3体いて、女性を追いかけている。その追いかけられている女性はこちらに向かって走っていた。

 どうやら面倒事が向こうからやって来たようだ。気が付けば、俺は顔をしかめてため息を吐いていた。



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