一生に一度は行くべき場所、アウシュビッツ強制収容所(ポーランド)

 –ARBEIT MACHT FREI 働けば自由になれる−

 アウシュビッツ強制収容所の入り口に掲げられた言葉である。踊るようにアーチを形どった文言の扉の横には高圧電流の流れる有刺鉄線の壁がある。3M程の高さの壁は1Mほどの間隔をあけて2重になっており、仮に1つ目の壁を突破しても2つ目の壁まで生きてたどり着くことは不可能だったと思われる。

 一度この門をくぐったら生きて出られることはなかったと言われる。自由はおろか、夢や希望や人権、人としての尊厳の最後の一滴まで根こそぎ奪うための施設だ。人が人を殺すためだけに作られた建造物であることを展示された資料だけでなく流れる空気からも感じる。歩いているだけで肌がヒリヒリとするような緊張感と絶望感に溢れた場所に来たのは初めてだ。

 施設内は広く、展示物を見て回るだけでも時間は相当かかる。しかも施設は2つありアウシュビッツからバスで3分ほどのところにあるビルケナウ収容所はうんざりするような広さがあるが、こちらもぜひ見てほしい。


 数ある展示物の中で記憶に残ったのは収容者の遺物と銃殺用の壁と絞首台、診療所と呼ばれていた施設だった。収容者から剃り落とした髪の毛の山、遺体から外した義足や義手の山、メガネ、収容者が持っていた鞄や私物の数々。カテゴリごとに分けられてガラスの向こう側に展示されている。無数にあるそれらの1つ1つに持ち主がいたのだと考えることすら苦しくなる光景だ。ここへ着いてから使うはずだった必要最低限の荷物に違いないのに、それすら一度も使うことなく殺されてしまった人々の大切な品々は、展示されているというよりも何かを訴えかけてくるほどの物量と迫力がある。

 またある収容所の建物を見学していたときに、片側の方角にある窓全てに外側から板が打ちつけられていて開かないようになっていることに違和感を抱いた。逃走防止かと思ったが、外から見て納得した。その建物と隣の建物の間は広場になっていて、広場の奥側の壁の前にさらにコンクリートの分厚い壁が設置してある。そこは銃殺用のスペースだった。分厚い壁の前に何人か並んで立たせ銃殺に処したという。板張りはその光景を見せないための目隠しだった。

 診療所と書かれた建物に束の間、人としての情けを見た気がしたのだがそれすらも人体実験を行う実験施設とされていた。薬物を投与し死に至るまでの時間や投薬の量などの研究を行っていたのだという。毒物注射と呼ばれる注射を心筋に打ち、当然麻酔などないから苦しんで亡くなっていく様子を医師が記録していたと説明があった。

 絞首台では収容所の初代所長が1947年に大量虐殺の責任追及を受け、この絞首台で死刑を受けている。だがそれでここで亡くなった人々の命が報われるのかというとそうでもない気がする。どういう理由であれ結局はこの絞首台で人々が死んでいる、その事実がなんとも説明のつかない気分の悪さをもたらす。


 資料のどれもが筆舌尽くしがたいが、一番辛かったのはガス室だった。厚いコンクリートの建物の中に入ると明らかに空気が変わった。つい先程まで何かが蒸されていたようなむわっとした生暖かい空気が全体に立ち込めている。それと共に漂う匂いは今まで嗅いだこともなく説明もできない匂いだ。臭いのではなく湿気ともカビとも違う、奥の方に生物の痕跡が僅かに感じられる異質な匂い。コンクリートの中に染み付いてしまった匂いが出口のない建物の中で行き場をなくし何十年も漂い続けている、そんな古さも感じさせる匂いだ。

 天井には所々に穴があり、その穴からガス缶を差し込み有毒ガスを建物内に送り込んだ。倒れ込むような隙間もないほどに詰め込まれた人々の上から注がれる毒ガス。コンクリートの壁の表面の剥がれ落ちたところも彼らが苦しみの中でもがきながら削った跡なのではないかと思えてくる。

 その隣の部屋は焼却炉になっていて、倒れた収容者はすぐに焼かれたのだという。確かに合理的ではある。だが人が人を殺すことに労力を費やし、それが合理的で完璧であればあるほど戦慄を覚える。この収容所全体の中に人を生かす希望となるものは1つも見つけられなかった。

 すぐ近くにあるビルケナウ収容所は更に簡素で目的が明確化している。展示物は少なく資料として見るべきものはあまりないが、殺戮が行われていた事実を感じる場所としてぜひ見てほしいと思う。


 人が人の権利や尊厳を奪うことがあって良い理由は1ミリもないはずだ。そう強く感じさせられる施設だった。

(2019年7月来訪)


  

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