カウナスの杉原千畝記念館(リトアニア)

 早朝リトアニアの首都ヴィリニュス駅から電車で1時間半。カウナスの駅舎は朝陽に照らされ淡いベージュ色のシンプルな佇まいが尚更清々しく見えた。その正面玄関の横に、杉原千畝さんを紹介するパネルが埋め込まれている。


 杉原千畝記念館は駅から徒歩15分程歩いた住宅街の中にある。当時の日本領事館の建物がそのまま記念館になっていると聞いていたが、大きさは少し広めの一般住宅くらいだった。到着時はちょうど日本の旅行会社のバスが数台停まっていたので外で時間を潰し、団体客が出てきたころで中に入った。

 各部屋に杉原さんのゆかりの品々、使用していた執務机や電話機、ご家族との写真、迫害されていたユダヤ人の方々を救った当時の記録とその後の人生が所狭しと並べられている。


 母国の命令か人命か。当時リトアニアの日本領事館に国の代表として勤めていた外交官として、そして国同士が互いの沽券に凌ぎを削る戦時下において、究極の選択をしなければならなかったのだろうと思い込んでいた私はとても浅はかな人間だ。

 当時日本政府は日本を経由して第三国の避難先へ渡航できる人のみに日本入国の許可を出していた。避難民たちが日本に留まってしまうことを避けるためだ。しかし実際に杉原さんがビザを発給した人たちは第三国の避難先への渡航資金やビザのない、所謂日本入国ビザの受給資格を持たない人たちだったという。それでも「大したことをしたわけではない、当然のことをしただけです」という言葉の通り己の人道性に則りカウナスを離れる当日、駅を出る電車の中でもビザを発給し続けた。

 

 記念館の壁には彼がビザを発給したことで生き延び、その後の人生を全うした方々の写真も飾られている。私たちはカウナスを訪れた翌年にアウシュビッツ強制収容所に行く機会が出来た。そして舌筆に尽くし難い所業の跡を見て回り、この地獄に送り込まれる事を逃れた人々の写真を思い出した。杉原さんがとった行動がどれほど素晴らしいことだったかを改めて思い知らされた経験だった。


 今この瞬間、何が一番大切なことか、何をすべきか。自身の裡なる思いに従い行動するということは簡単そうでそうでもない。「当然」のことが当たり前のように出来ないことの方が多い。ましてや上名下達を絶対とする戦時下で、自らを顧みずに働いた杉原さんが外交官である前に人として素晴らしい信念と勇気を持つ人であることは疑いない。

 

日本政府は訓名に背いたこの行動により彼を免官し、また当然の如く長年の間公表することもなかった。戦後数十年が経ち日本で功績として認められていない事を知ったイスラエルやユダヤ人からの度重なる声により、杉原さんの没後10年以上も経った西暦2000年にようやく名誉が回復されたのだ。

 物事の本質の捉え方は人それぞれだと思うが、「生きる」ということ以上に大切なことや守るべきものがこの世にあるのだろうか。そして「生きる」ために今できることは何か。各人がそこに思いを馳せることができたらどんなに良いかと思う今日この頃である。

(2018年9月渡航)


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