ユーヤイコの子供たち(北部アルゼンチン②)

 アンデス山脈の中にユーヤイコという山がある。標高は6723mとアンデスの中では7番目に高い。4000mを超えると高山病を発症する私にとってはまさに雲の上の頂、である。しかし500年以上も前に、その場所で生活をしていたインカ民族がいた。

 インカの民はインカ帝国の繁栄を讃えるため「カパコチャ」という儀式を営み、聖なる少女と従者の子供がふたり、神への生贄として捧げられた。子供たちは、1999年に発見されるまでユーヤイコ山頂の土中で眠り続けたのだが、高所という寒冷の気候に加え、アンデス特有の乾燥した環境のもとにあったため、亡くなった瞬間の状態をほとんど保ったままの「完璧な」ミイラとして発見された。


 アルゼンチン北部のアンデス山脈の麓にサルタという街がある。大晦日の夜に花火大会があると聞いて楽しみにしていたのだが、想像とは違い一般市民がめいめい打ち上げる花火大会だった。とはいえまあまあ大きな打ち上げ花火が街のあらゆる場所から好き勝手に打ち上がるのは色んな意味で迫力があった。

 街中の広場の横にサルタ高地考古学博物館がある。昔のお金持ちが住んでいたようなクリーム色をした瀟酒な建物の中が博物館だ。規模は大きくないが、ここの一室にミイラ–ユーヤイコの子供たちが展示されている。非常にデリケートなためガラスの箱で囲われておりそのガラスにも触れることができないようになっている。

 

 三体のうち私たちが見ることができたのは幼い子供*(推定5−7歳)の姿だった。その表情はまるで眠っているように見えた。顔や手などの皮膚に皺はなく、肌は押せば弾き返しそうな弾力すらありそうだ。黒く豊かな髪は小さな顔の周りを縁取っている。眺めていると今にも長い睫毛を動かして目を開けそうな気さえする。今までのミイラの印象は頭蓋骨に表皮が貼り付いたものだったが、こちらは違う。勿論顔に血の気はないのだが、粘土で形造り上から蝋で塗り固めたような“肉付き“の良い状態で、つい昨日亡くなったと言われてもおかしくない。僅かに開けた口の中に小さな歯列まで見える。

 ミイラを前にして可笑しいかもしれないが、生命力を感じた。人身御供となった子供たちは生後数年から十数年でこの世の生を終えたが、その姿形は500年以上も保っていたのである。


 研究では神の元へ召される一年ほど前から特別な食事を与えられており、実際に儀式が始まると自分の足で6723mの高さまで歩いて向かった。死の直前までコカの葉や酒を定期的に摂取しているのは、高山病対策や身を清める意味の他に恐怖を無くすためだったのではないかと言われている。

 死に向かい6723mの山を登っている時の気持ちはどのようなものだったのか。唯一無二の生贄の身を名誉と感じていたのだろうか。逃げ出したくなる瞬間はなかったのだろうか。

 表情を見ているとついそんなことを考えてしまう。

 

 サルタ市に首都ブエノスアイレスの都会的な洗練さはない。無骨な石造りの街並みに、市場の喧騒、街行く人たちは生活感に溢れ、広場にはいつも人が集まりお喋りをしている。典型的な地方都市にある博物館の円筒状のガラスの中で、500年以上の時を超え彼らは今も眠り続けている。 

*注釈:ミイラ三体は状態保持のため半年ごとに一体ずつ交代で展示されている。

(2017年渡航)

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