第4話

 神栖くんはチーフのやり方に疑問を抱いているらしい。スタッフの立ち位置はチーフの次点になる。一番チーフと絡む立場だろう。


 仕事は基本、チーフの指示になる。しかし、もちろん百パーセント納得がいくわけはない。神栖くんの不満はごく一般的なものになると思う。


 けれど代替案も出さずに文句を言うのはちょっとなーと思う。そしてこれは正論なので、正面から言ってはいけない。


 それに私だってそうだ。いや自分の気持ちに素直なだけ、神栖くんのほうがよっぽど人間らしくてよいと思う。

 私は「代替案もないのに文句を言うことができない」を理由にして自分の気持ちを発することすらできない。


 不満や愚痴なんかを極力言わずに平穏に過ごせればいいと思っている。それが私が「ふつう」に過ごせる術だと思っているから。


「どうしたの?」


 神栖くんのあまりの白熱ぶりを気にしてか、雫と同僚が会話に加わる。神栖くんは再びチーフへの不満を彼女たちに説明していた。


 雫は落ち着いているしよい意味でテキトーな感じがあるのでうまくなだめてくれるかもしれない。もう一人の同僚もおっとりしているひとなので円滑に進むと思う。私は安心してこのグループの会話に残った。


「手順が正確なのが正しいのか、やりやすく自分流にこなすのが正しいのか」


 論点はそこに移っていた。


「結果が同じならどっちでもよいでしょ」


 同僚は言う。


「一応手順も気にしたいな。監査のひとってほら、つっこみたいひと多いみたいだし」


 雫が言う。


「監査のことを考えるとどうしてもね。理由があっての手順だろうし。でもスピードも必要だから許容範囲で自分流だってよいと思いますが」


 私は言う。ほら、折衷案だ。どっちの意見も肯定する。要は決められないのだ。どちらの言い分も分かるから。


「監査のために仕事してるんじゃないんだけどね」


 神栖くんが言う。全くだ。

 そして、私たち製造チームだけで仕事しているわけでもない。どうしたって他部門が絡まなくてはいけない。


 もし製造チームだけで生産していたら同僚の言う通り「結果が同じ」を目指して製品を作るだろう。

 きっとみんなが自己流になり「結果」ではなく「見た目が同じだとよい」にすり替わる。そうした思い込みが積み重なり、「中味」が違うものになる。

 それに気づくのは市場に出回ったあと……。顧客からのクレームでようやく間違いに気づき、全製品を回収。

 それらを全数組み直す、現実的ではないが、そうするしかなくなる。それが会社のルールだ。その他にも理由があって様々な部門が存在するのだろう。


 一部だけを見て非難するのはよろしくない。かと言って全体を見渡すスキルも役職も持っていない。そうなるととりあえず自分の仕事をこなしてときどき仲良しの子に愚痴を言ってさっぱりする。そんなルーティンがあるだけなのだ。


「美里さん……?」


 雫の声で我に返る。


「美里熱いねー」


 同僚がいつもの笑顔で言う。


「美里さん、そこまで真剣に考えてたんだ。かなわないな」


 神栖くんが引き気味の表情で言う。


「いやーそこまで行く? てかそこまで考えつかなかったなーさすが美里さん目のつけどころが違うね」


 雫が軽い調子で言う。なんということだ、心のなかで思っていたはずが声に出ていたようだ。恥ずかしい。


 私は一つのことに熱くなりすぎて周りが見えなくなってしまう。だから不満なんかはあまり考えたくないのだ。反省。



 リセットをしたい。平穏に過ごせていたのに、今日の出来事で台無しだ。普段そこそこは知的に見えるだろう私が実は狭い見解だと露見してしまった気がする。いや自分が知的に見えると思っている時点でアウトだ。落ち込む。だめだ、楽しいことを考えられない。

 振り出しに戻る。心を殺して、平日をやりすごす。



 ようやく来た休日。私は部屋にこもることにした。安心して落ち込めるし考えられる。先日の失敗を思い出して引きずって、やっぱり振り出しに戻った。


 なぜ生きる? 私はなぜ死にたい? なぜ、なぜ。まさか同僚に「なんのために生きてる?」などとは聞けない。私にもその程度の常識はあるつもりだ。


 自分で考えろ。自分のことを考えてみろ。


 私はなぜ生きる? 一番最初にでてくるのは「推し活をするので」

 この回答は、他人に聞かれても同じことを言うと思う。最初というか、むしろこれ以外の理由が見つからない。


 私はアイドルが好きだ。アイドルを見ていると楽しい気分になれる。なにも難しく考えなくてもよい、楽しくて可愛くてきれいなことだけ考えていても許される気がする。


 全肯定してくれる。いや、全肯定してくれていると、自分が思っているのだ。

 アイドルがインタビューやラジオで喋ったこと以外の言葉を、自分に都合よく追加で記憶しているだけなのだ。

 そうして今や社会的に認められた「推し活」これは堂々と使える単語になった。


 世間の目を気にして答えるならば「生まれてきたから」とでも言うのだろうか。

 じゃあ、なぜ死にたいのか。生きるのが面倒だから。理由はこれだけだった。

 どうしたことか、生きる理由のほうが多い、たとえ嘘っぽくても。


 こんなことを考えているだけで、よろしくない。アイドルに見られたらきっと軽蔑される。


 こうなったときの私はひどくイケていない。何をしてもうまくいかない。それは三十九年間自分とつき合ってきた自分が思うので、ほぼ確かなことだ。


 こういうときは頭をからっぽにする。何を考えてもネガティブになるのだから。どんどんネガティブになり、思考が肌を突き破る。私の知らないうちに言葉になって、他人に台詞をたれ流している。恐ろしい。


 対策としてSNSを巡ることにした。写真中心のSNSだと文字通り流して見ることができるので都合がよいと思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る