第3話

 帰宅したら兄が遊びに来ていた。兄は結婚して実家を出ているがよく遊びに来る。

 四年前に父親が他界し、実家では現在私と母親の二人暮らしだった。


「梨もらったから、いくつか持っていくといいよ」


 私は兄に梨を分けた。皮が黄色の梨だ、しゃりしゃりしているタイプ。兄の子どもはこの梨が好きなはずだ。

 うちで食べる分は三個だけ残した。あとは姉にもあげようと思った。姉も結婚して実家を出ている。メールをしておこう。


 他人によい振る舞いをする私、神様にポイント加算されたかな。


 夕食のあと、梨を切ってみる。まん中が少し茶色くなっていた。れすぎたのだろうか。

 兄に渡した分はどうなっているだろう。もらいもののもらいものなんだから、文句を言われることはないと思うが。

 腐っているわけではないので、茶色い部分を除去して白い部分を美味しくいただいた。


 あ、お弁当作りはどうしよう。お弁当箱は食器棚にしまったまま何ヶ月も使っていない。これから洗う気力はない。忘れなかったら明日洗おう。




 ついに裏起毛のアウターを着る。快適だ。少し寒いが今日はよく晴れている。

 岩木山が紅く色づいている。紅葉の時期か。車のなかなのに、なんだか空気が新鮮に感じられる。岩木山の表情ひとつでこんなにも気分の変化があるのか。


 今朝はいつも通り会社に着いた。私の朝のルーティンは会社の休憩室で水を飲むこと。サーバーからお茶も出るのだが、お茶は喉が渇く。

 始業時間よりも四十分ほど早く来て休憩室で音楽を聴く。他にも同じようなひとがいる。みんな一人でスマホを見ている。

 誰にも干渉されないこの時間が、きっと必要なのだろう。


 スマホから不穏なアラーム音が鳴る。イヤホンをしている私の耳にも届く。

 他国からのミサイル発射のメールだった。休憩室は騒然となった。私も心が穏やかではない。メールの本文を読み、確か以前も同じことがあったと記憶がよみがえる。


 メールには建物内に避難してくださいと書いてある。会社内にいるのでその条件はクリアしている。もう私にできることはないだろう。一応片方のイヤホンを外しておく。


 ああ、ミサイルがもし私に直撃したら死ぬのかな。一瞬で死ぬんだったらそれでいい。

 そうじゃないのが厄介だ。窓の外を見て少し胸がざわついた。もし今、ここに直撃したとして覚悟を決める。このまま音楽を聴くことにした。

 直撃するかもしれないししないかもしれない。後者だった場合、音楽を聴くのをやめていたら後悔するだろう。いや前者だったとしても同じか。どのみち死ぬのだ。


 ピンポンパンポーン。社内放送の合図が鳴る。どうなるんだろう。まさか休業だろうか。

 放送内容は、受信したメールと同じ文章を読み上げただけだった。


 しばらくしたら、ミサイルは海に落下したと情報が入る。そしてなにごともなかったかのように今日も仕事が始まるのだろう。


 職場に着くと、意外にもミサイルの話題一色だった。

 初めてではないので、ここまで話題になるとは思っていなかった。有事の際、その人の本性が出ると思っている私は周りを観察した。


 マダム達は感情のおもむくまま、自分の感想を言い合っていた。みんな同じことしか言わないのに疲れないのだろうか。


「なにが辞世の句になるか分からないよね」


 雫は冷静だった。さすがだと思っていたところに「辞世の句ってなに?」と輪に加わるマダムが出現。単語の意味から説明するのは面倒なので私はすっと席を外す。雫が丁寧に説明をするだろう。


「美里さん、びっくりしたねミサイル。俺怖かったよ」


 声をかけてきたのは神栖かみすくんだった。神栖くんは機械に強くて、仕事では装置スタッフを担当している。


 怖いと素直に言う神栖くんを前に、私は少し恥ずかしくなった。

 本当は私も「直撃で死ぬかな」とか考えてどきどきしていたのに、なんでもない風を装っている。そして本心を隠すために他人を観察していた。


「許せないよね、いきなり打ち込むなんてさ」


 神栖くん、今度は怒っている。本当に素直な子だな。こんな風に、私も素直に本心を誰かに喋れる人間だったらもっと楽に生きられたのかな。

 なんだか切なくなってきて神栖くんの言葉がただの音になってゆく。


 今朝のミサイルが頭から離れない。武力行使。国、国家。抗えないもの。これも世の理の一部になるのだろうか。


 歴史を見ると争いばかりな気がする。歴史だけじゃなく現代の情報媒体だってそうだ。

 古代人の日常生活なんて教科書と、新発見があったときにたまに新聞で見かける程度だった。これも受け入れなくてはいけないのだろうか……?

 受け入れるとは、肯定することなのか? いや、声を上げることだってできるはず。黙っているのはイエスと同じだ。


 不可抗力で想定外なことはこれからも起きるだろう。それに対応する力が欲しい。けれどもどうやったら力がつくのかすら分からない。

 今できるのは、せめてノーの意思表示ができるようになることだろうか。


「だからさ、チーフはその場しのぎで生産数だけを優先してるじゃん」


 神栖くんが顔をゆがめて訴えてきた。色白の神栖くんの顔が赤く染まってゆく。珍しい表情に私は驚いた。

 ここまで怒りに染まっているひとには何を言っても通じない。私はとりあえず「うん、うん」と相槌あいづちを打っておく。


 神栖くんは色白でぼっちゃん刈り、ひょろっとしていて背が高い。素直でよく喋るけれど攻撃的な性格ではないと思っていた。

 初めて見る神栖くんに驚いて、彼を凝視していた。

 髪型はオシャレだし色白できれいな顔をしてるし、結構モテるんじゃないのか? などと思っていた。いけない、話を聞かなきゃ。



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