第二話
chapter 8: THE NEEDLE LYES(1)
ごろつき
痩せぎすで、目付が悪い。
年の頃は、十四、五歳に見える。
出入口の
昼間から、酒場は盛況だった。
日雇いの仕事にありつけなかった人夫や下男下女、都市間を渡り歩く芸人などが、たむろしている。
出入りする時に、たまに浮浪児を見やる者もいた。
しかし、大多数は気にも留めない。
路地裏には似たような浮浪児が大勢いるからだ。
日暮れ時が近づくと、浮浪児は立ち上がった。
酒場の主人と視線を交わすと、ひとつうなずく。
それから、彼は酒場を出た。
店の前の通りを歩き始めた彼は、向こうから歩いてきた浮浪児に気付いた。
顔見知りらしい二人は、挨拶をして路地裏に入っていった。
酒場から出て来た少年は、道で出会った少年に尋ねた。
「妹、元気かよ?」
「ああ。もらった薬と食い物のおかげだ。いつもすまねぇな、ヨハンネス」
尋ねられた少年は、帽子を脱ぎ、ヨハンネスと呼んだ少年に感謝した。
「あ? 気にすんな。ほんとはもっとお前らを施療院に入れてやれれば良かったんだけど。寝床がもう無くてさ」
「それこそ、気にすんなよ。死にそうな奴らが先なのは仕方ねえよ。それより、今日は、何の事を聞き耳立てておけばいい?」
「いつも通りでいいよ。イエルクリングの事とか、施療院やホアキムの兄貴の事。何か話してる奴がいたら、何うたってんのか知りてぇ」
ヨハンネスの言葉にうなずくと、少年は“踊るニシン亭”に向かって行った。
それを見送った後、ヨハンネスも路地裏を立ち去った。
ヨハンネスは、リューベック市内の施療院に帰宅した。
正面の建物は赤い焼き煉瓦造の五階建てで、鋭い三角の切妻屋根が五つ連なった立派な造りだ。
他にも敷地内に、幾つもの棟が建っている。
ここは、市民有志の寄付で運営されている慈善施設で、療養が必要な病人や、行く当てを失った孤児を受け入れている。
ヨハンネスは、この施療院に雇われている奉公人だった。
ヨハンネスは、戻るとすぐに井戸で身体を洗った。
炭でわざと汚していた顔や手足は、簡単に綺麗になる。
同様に汚していたボロ着は丁寧に畳み、普段着に着替える。
腰帯を締めないゆったりした短衣に長靴下。
素材はいずれも、木綿と羊毛の混紡。
それに、不織布の帽子をかぶる。
最後に短衣の下に、メッサ―と呼ばれる小刀を隠して吊るした。
小ざっぱりした格好になっ少年は、施療院の食堂で夕飯にありついた。
本日の献立は、そら豆の煮込み汁と、ルールマンの店のパンだった。
パンは小麦の全粒粉パン。
ルールマンの店を示す星型の押し印が付いている。
真っ白なパンでこそないが、大変に滋味豊かな味わいだった。
そら豆の煮込み汁との組み合わせも素晴らしい。
ヨハンネスは欠片の一つも卓にこぼさないよう、ゆっくりと食べた。
食事の途中で、金髪の青年が隣に座った。
「ホアキムさん、ちーっス」
ヨハンネスが、青年に挨拶をした。
青年は流行りの刺し子縫いの詰め物入り胴着(元々は鎧の下に着る)を着て、メッサ―を腰に
「今日は、何か面白い話は聞けたのかい?」
ホアキムと呼ばれた青年は、ヨハンネスに尋ねた。
彼も自分の器とパンを持っており、そら豆の煮込み汁を
武器を携えているが、誠実な印象が強い青年だった。
「今日も特にないっすね」
「そうか。これだけ噂も聞かないって事は、イエルクリングの残党、もう心配しなくて良さそうかな」
「そんな気ぃするっス。仇討ちしようなんて立派な舎弟、あいつにいたとも思えねぇ」
ヨハンネスとホアキムは、食事をしながらそんな会話をした。
「面白しれーっていえば、なんか俺の事、話してる奴いるんスよ。結構パン職人の連中がうたってるみたいで、俺がイエルクリングをやった話が広まってるみたいっス」
ヨハンネスは、口を引き結んでへの字にした。
しかし小鼻が広がり、目元が笑っている。
「いい話じゃないか。
ホアキムは、微笑んでそう言った。
「けど、多少腕が立とうが囲んでしまえば……って輩は、いくらでもいる。夜道、気を付けろよ」
「……ッス。気ぃつけるっス」
ホアキムに言われて、ヨハンネスは表情を引き締めた。
「ああ、そうだ。来週から出かけるから」
思い出したように、ホアキムはヨハンネスに告げた。
この青年は、放浪癖がある。
「またスか? 今度は何スか?」
「うん。聞いてくれよ。何と草刈り鎌だ。近くの農民を集めて鎌の扱いを教えている達人がいるらしい」
「か、鎌かぁ……」
ちょっと面白そうだな、とヨハンネスは思った。
東に達人がいると聞けば会いに行き、西に変わった武器があると聞けば見に行くホアキムほどではないが、気持ちは判る。
「今度は、どれくらいの予定スか?」
「一カ月ぐらいかな」
ホアキムの返事に、二カ月ぐらいはかかりそうだとヨハンネスは思った。
翌週、またヨハンネスは浮浪児に扮して“踊るニシン亭”に張り込んだ。
酒場の主人は、ヨハンネスの情報収集を黙認している。
彼の女房が病を得た時、施療院で診療を受けた事を恩に着ているからだ。
その日はめぼしい収穫はなく、そろそろ引き上げようと少年は考えていた。
その時、
「星印のパンさえ用意してくれればいい。あとは俺が上手くやる」
という会話が、耳に残った。
この都市のパン屋は、商品に店の印を付ける事が義務付けられている。
そして星を自らの印とするルールマン親方は、この夏に肩を並べて戦った間柄であり、少年の想い人の父親だ。
ヨハンネスは、とっさに出所を探した。
窓際の丸机。
男が二人、向かい合って座っている。
一人は三十路ぐらいの、何かの親方職人のような身なり。
もう一人は、四十絡み。
ヨハンネスには、この男の生業の見当が付かなかった。
この場末の飲み屋にいてもおかしくない程度に、みすぼらしい服装。
しかし人好きのする笑顔や自信に満ちた話しぶりが、どうにもそぐわない。
そういった印象を脳裏に刻みながら、少年は男たちの机に忍び寄った。
「だが、あいつだって自分が焼いた奴かどうかぐらい気付くぞ」
「構わん。実際にブツがあるんだ。誰にも物言いは付けさせやしない」
「……わかった」
自信家の男が、相方を説き伏せる事に成功したようだ。
二人は、顔を寄せて小声で話していた。ヨハンネスの鋭い耳は内容を聞きつけていた。
だが、男たちの実質的な会話は、それで終わってしまった。
二人は、残った杯をあおると、席を立った。
勘定は、自信家の男が払った。
立ち上がると、背が高く、分厚い身体をしていた。
店の前で二人は別れ、それぞれ別の方向に向かって歩き出した。
どちらを追うか、ヨハンネスは一瞬迷った。
しかし自信家の男を追う事に決め、距離を置いて跡をつけはじめた。
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