chapter 3: BRAVE NEW WORLD(1)







 起きたら、全てが夢だった。という夢を見ていた。


「ヨハンネス、起きな」


 老女の声に目が覚め、そのしわだらけの顔を見た。


「ア? なんで俺の名前知ってんだよ?」


「昨日、面倒見てた連中から聞いたよ。いいから早く起きな。朝ご飯だよ」


「……ババア、名前教えろや」


「あたしはフオイヤって名さ。さ、行った行った」


 亜麻布を老女に促されて返し、少年は食堂に向かった。

 朝食は、昨日の煮込み汁の残りに、人参にんじんを加えた物だった。

 独特の香りと歯応えが食欲を誘う。

 少年はそれを、よく噛みしめながら飲み込んだ。

 朝食の間に、昨晩同床だった少年と挨拶を交わした。

 アルノーという名で、三ヶ月前に、この施療院に来たらしい。

 それ以前の事は尋ねなかったし、彼も話さなかった。


 聞けば、施療院は大きく三つの部門に分かれているらしい。

 一つは、病に侵されている人の宿坊。

 一つは、巡礼の為の宿坊。

 最後が、家の無い孤児の為の宿坊だった。

 病人は別として、それ以外の者は施療院の雑務を割り振られるのが習いだそうだ。

 アルノーが菜園仕事をするというので付いて行こうとした。

 その時、ホアキム・メイヤーに声をかけられた。

 彼は、棒を革で包んだような道具を二本、小脇に抱えている。


「来たな。少し、話をしようか」


 アルノーはホアキムを見ると、目を輝かせた。

 羨ましそうにヨハンネスを見ながら、菜園の方に去っていった。

 青年は、ヨハンネスを菜園を望む木立の下に連れて行った。

 十一月の陽射ひざしが、青年の柔らかい金髪の上で淡く輝く。

 角度によっては白髪に見えるな、とヨハンネスは思った。


 不意にホアキムが、革で包んだ棒を一本、ヨハンネスに放って寄越した。

 そして残った一本を振りかぶり、少年に打ち掛かる。

 ヨハンネスは、棒を宙でつかんだ。

 ホアキムの打ち込みを下から受け、左腕を青年の右腕に内側から絡めようとした。 

 それは、青年が、市門の橋の上で行った技の再現。

 だが、大人と子供の体格差がある。

 稚拙な技は、青年の上手投げであっさりとひっくり返された。


「今の、どこで覚えた?」 


「あんたが、ヤーコブにやったのを見てた」


 見上げて答える少年に、ホアキムは顔をほころばせて笑った。


「やっぱりお前、こういうの好きだろ? そうだと、思ったんだ」


 今の受け方は、“フィドル・ボウ”と呼ぶんだと、ホアキムは少年に教えた。

 受ける時は小刀の峰を左肩の辺りで支えると、力負けしなくて良いと助言する。

 ヨハンネスも興味深そうに青年の話に耳を傾け、教わるままに身体を動かした。

 二人は剣術談義に花を咲かせた。

 やがて頬を紅潮させた少年が、青年に尋ねた。


「アンタやっぱり、剣の腕ぇ見込まれて、ここの用心棒やってんのか?」


 少年の問いに、青年は微妙な表情になった。


「まず、一つ間違ってる。これは、剣じゃない、”メッサー”という小刀こがたなだ」


 ホアキムは、腰紐に吊るした短剣を抜いた。

 軽く湾曲した、幅広の刃が陽光にきらめく。

 いわく、中子なかご、つまり剣のつばより手元側の刃の付いてない部分が、刃と別材質のつかに埋め込まれてるのを剣と呼ぶそうだ。

 対して、ホアキムの武器は、中子が大きめで、それを別の材料で上下に挟み込んで握りと成している。

 それは小刀の造り方だとの事。

 しかし二尺近くある立派な刃を見ると、小刀と言われても釈然としないヨハンネスだった。


「いや、この造りが大事なんだ。小刀は市民でも持ち歩けるが、剣は大店の旦那衆しか帯びる事ができない決まりになっている。ついでに言えば、俺は小刀職人だから、剣を鍛える事は許されない」


 そういう事になっているんだ、と言われれば、ヨハンネス少年にはうなずく事しかできなかった。


「それと、用心棒かと言われれば、それも違う」


 青年は、メッサ―の刃をさやに叩き込んだ。


「僕も、親がいなくて、ここで育った。小さい時から、施療院の奉公人が作る兄弟団にも入ってる。そのうちに、紹介してくれる人がいて、小刀職人の徒弟になった。一人前の職人になってから、色んな街に行って修行してたんだけど、実は僕は、武術が好きで、半分くらいは鍛冶仕事じゃなく、武芸者を訪ね歩いてる。そんな事をしてたら、やからに絡まれて困ってるんで助けてくれと、兄弟団に呼び戻されたんだ」


 ホアキムは、そんな風に少年に語った。

 少年は、ホアキムを見上げた。

 ここに来た孤児は、みな何かの職人になるのか、と尋ねた。

 必ずしもそうではない、と青年は答えた。

 施療院は職人を都度紹介するが、選ばれるのは半分ぐらいとの事だった。

 選ばれなかった者は、十五歳でここを出ていく。

 半分ぐらいは修道院に入り、あと半分ぐらいは港で日雇い人夫になる。

 その話を聞いて、少年は、しばし考える表情になった。


「なあ、俺によぉ、そのメッサ―教えてくれよぉ。舎弟になっからよぉ。……何やんにしても、ヤッパの一つも扱えなきゃナメられちまう」


 少年が頼むと、青年はにやりと笑った。


「じゃあ、君が、僕の最初の弟子だ。最初だから教え方は下手かもしれない。その分、ただでいい」


 ホアキムが片手を差し出した。

 ヨハンネスは、その手を強く握った。





 畑に、春小麦が撒かれる季節になった。

 ぶな林も今年の葉が開き、毛玉のような花が咲いている。

 その下でヨハンネス少年が、革に包まれた棒を振っていた。

 これはメッサ―の練習用の物で、デュサックと呼ばれる。

 服装は、羊毛の不織布のつば無し帽子に、亜麻布の肌着と股引。

 脱色してない羊毛の長靴下を履いて腰紐に吊っている。

 同じく脱色してない羊毛の上着は脱いで、腰に結び付けている。

 改善された食生活が、少年の背丈を年相応に伸ばしていた。

 あばらの浮き出るばかりだった胸板にも、筋肉が付き始めている。


 少年の前のぶなの木には、板が打ち付けられていた。

 板には炭で十字が描かれ、それが分割する各象限に数字が書かれている。

 少年が、右上から左下にけさがけに斬った。

 そして手首を返し、刃を上に向け、同じ軌道を戻すように斬り上げる。

 それを一つの単位として、四方向それぞれから繰り返す。

 板に書かれた数字は、その順番を示していた。


 素振りをしていると、斜面の下の方の小道を行列が歩いてくるのが見えた。

 施療院で働く奉公人たちが裸足で歩いている。

 施療院の母体である聖霊修道院に、灯明を捧げに行った帰りだ。

 施療院で働く人の半数は、修道院から派遣されてくる僧だ。

 残り半分は、彼らのような在俗の奉公人だった。


 彼らは日曜日、神の慈悲を乞うて裸足で修道院に向かう。

 そして、ろうそくを納めて礼拝を行ってもらう。

 怪我や病気の時は助け合い、仲間が亡くなれば葬儀を行い、施療院が保有する墓地に埋葬した。

 この時代、彼らのような集まりが盛んだった。

 兄弟団、同胞団、同宗会など、呼び方は様々だった。

 

 そんな聖ヘアーツ施療院の兄弟団に、少年は手を振った。

 老フオイヤが、孤児舎監のベティーナに引かれている手を抜いた。

 そのまま、少年に手を振る。

 そして、手を振るという体で立ち止まって一休みしていた。

 彼女にも面子があって、自分から疲れたとは言わない。

 しかし最近は、歩くのが相当辛いらしい。

 ベティーナも判っていて、無理に手を引かない。

 施療院の女性の奉公人のほとんどは、独身婦人会の宿舎から施療院に通っている寡婦だが、フオイヤは特例として院内に寝室が与えられている。


 ホアキム・メイヤーが、持っていたろうそくを隣を歩く者に手渡した。

 そして列から離れ、ヨハンネス少年の方向に歩いてきた。

 不織布の帽子に、腰のところでくびれた胴着。

 胴着の裾は短く、長靴下との間に股引が見えている。

 それが当世風の若者の身なりらしい。

 ホアキム青年は、いつも小ざっぱりした格好をしている。













※……「メッサ―」参考イメージです

https://youtu.be/FXXKj0gSP1s


※……ヨハンネス少年がやっていた数字板前での素振りのイメージ

https://youtu.be/xXYPX6dmbX0


※……独身婦人会:半聖半俗の姉妹団。

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