存在証明 1
001
「ふーん、なるほどねぇ……。それは不思議な体験をしたもんだ」
土曜日。午前中の修行が終わり、リビングで一緒に昼食――今日は僕が作ったうどん――を食べているとき、僕こと源和斗は三日前にあった不思議な出来事の話を師匠にしていた。
師匠。本名は
「君の眼を疑うわけではないんだが……、その少女、本当に生きていた、幽霊ではなかったのかい?」
「はい、それは間違い無いと思います。上着も羽織らせることができましたし、何より、霊特有の、固定化された目的意識、みたいなものは感じ取れませんでした」
そんな僕の言葉に師匠は眉毛をピクリと動かす。
こういうときは大体、僕が解釈違いなことを言って、師匠の長い訂正と説明が来る前兆であることを、僕は身をもって知っている。
「和斗。それは勉強不足だぞ? 霊っていうのは、この世界に刻まれた精神情報体の一種だ。
確かに全体の九割を占める霊体は死ぬ直前に残す強い未練が、現世に影響を及ぼすことで、その未練を解決させる為の行動を行う。例として分かりやすいのは……、そうだなぁ、戦国時代とかにあった、殺される大名が死に際によく言ったとされる、『末代まで呪ってやる〜』というのが分かりやすいかな。
死後、こういう念や呪いが、人を呪う精神情報体となったのが、俗に言う怨霊、その中でも死霊と呼ばれるものだ。
しかし、生前から精神体の扱いに長けたものや、感受性が高い人間、または、存在強度が高すぎる人間は、死してなお、自我を保ったまま精神体だけで三次元世界にいることができる。つまり、『幽霊=目的意識が固定化されている』じゃないからな? だから……、こういってしまうのは申し訳ないが……、君の言い分では、その少女が霊であった可能性がゼロではないんだよ」
「……でも僕の眼は――」
「『感じ取れなかった』は、『
そう言われると自分の意見に自信がなくなる。
生きていた、幽霊ではないと思うのだが、幽霊ではないと胸を張って説明出来るほどの知識は持ち合わせていなかった。
「目を離した隙に、その少女は消えたんだろう? 生きている人間であるなら、それはあり得ない。幽霊じゃ無いとしても、その娘が何かしらの精神情報体であることは間違いないと思うのだが?」
「……でも、彼女は生きていた、と思います。確かに彼女は虚ろな目をしていましたけど、彼女に上着を羽織らせることが出来た時点で、それは精神情報体の性質を逸脱してるんじゃありませんか?」
師匠は僕の反論に、顎に手を当て、眉間に皺を寄せた。
「……そうだなぁ。そこが問題だなぁ。そこだけが問題と言っていいほどに……」
師匠は箸を置き、真剣に考え始めた。
「精神情報体は、その名の通り、精神の情報の身体だ。つまり、物理世界に干渉できる筐体である、肉体と呼べるものがない。
確かに、精神情報体の存在強度が高いと、擬似的な肉体を得ることは可能だろうが……、それは徳川家康レベルの知名度を持つ人間か、日本三大怨霊レベルの念がないと無理だろうなぁ……」
考えをまとめるための独り言なのか、僕に対しての説明なのか判別できないような話し方で、師匠はしゃべり始めた。
と、僕のそんな反応を見たのか、師匠は恥ずかしそうに顔をそらし、咳ばらいをした。
「すまない、ブツブツと一人でしゃべって……。なぜ上着を掛けることができたかの話だったな。
知っての通り、精神情報体というのは、現世に顕現できても、原則として実体はない。だからこそ、精神情報体は現世に干渉出来ない。
干渉は何も能動的なことじゃない。受動的なことも含まれる。今回のことで言うと、上着を羽織らせるとかだな。
本来なら、上着を羽織らせようとしても、上着はすり抜けて地面に落ちるはずだ。なのに、その少女は上着を羽織ることができた。……そういえば、君の上着には、なんらかの魔力、魔術がかけられているか?」
「いいえ、スーパーマーケットで買ったただのジャンパーですけど」
「そうか……、例外として、魔力をまとったものなら、精神情報体に干渉可能だから、あるいは、と思ったのだが……。
はぁ……。お手上げだ。私の知識では答えを出せない。実物を見れば何か分かるのかもしれないがな。すまんな、力になれなくて」
師匠は両手を合わせ「ごめーん」と謝った。
「いえ、謝らないで下さい。相談に乗ってくれただけでも嬉しいです」
「なおさらだよ、私を頼ってくれたんだろう? 可愛い弟子の質問に答えられない指導者など、いる意味がないだろう」
「師匠はいつも修行に付き合って下さっています。僕にはそれで十分です。むしろ、専門外のことを聞いて申し訳ありませんでした」
「いや、あながち専門外でもないんだ。魔術師の原型ともなった呪術師は元来、呪いや、まじないで降霊したりしたものだからな。……これは単に、私の勉強不足ね」
気恥ずかしそうに頬をかいている師匠は、一瞬だけ元の口調に戻ってしまっていることに気づかないまま、食事を再開した。
しかし、師匠にでも理解できないということは、僕はとんでもない異常現象に遭遇したということなのだろうか。
師匠でもわからない、『霊なのに生きている』つまり、『肉体がある様な振る舞いをする精神情報体』というのは、一体……。
「あ、生霊っていう線はありませんか?」
師匠はうどんをすすっていた手を止め、
「いや。それは的はずれだよ。生霊っていうのは生きている霊って意味じゃあない。生きている人間の怨霊という意味だ。
つまり、生きている人が、友人とか、ある特定の人物に対する、妬み、嫉み、恨み、憎しみといった、激しい負の感情が、他者を害することが出来るレベルにまで昇華されたことで、精神情報体として現世に顕現するんだ。
余談だが、生霊というのは死霊よりもタチが悪い。死霊は一度祓ってしまえばもう念を送る存在がいないから霧散するが、生霊は恨んでいる人間がいる限り半永久的にエネルギーが供給されるからな。祓っても祓ってもきりがないらしい。
話を戻そう。つまり、生霊というのは他人を呪うことに特化した精神情報体であり、霊特有の『固定化された目的意識』の典型だ。それに干渉するとなれば……、魔道具の一つや二つないと無理だな。恐らく、魔術的な付与なしの上着を羽織らせるには最も難しい相手だよ」
文章にすれば一行程度の質問を十一行超で論破された経験があるのは僕くらいなものだろう。
と、そんな話をしていると、二人のどんぶりからうどんが消え失せていた。
「さてと、じゃあ歯を磨いた後に修行再開だ。この話はまた後でだな」
「分かりました」
僕と師匠は立ち上がり、使った食器を片付けた後、共に洗面所へと向かった。
■■■
昼から始まった修行は午後六時に終わり、僕は帰宅の準備を進めていた。
「あ、明日はちょっと野暮用が入っちゃったから、明日の修行はナシね」
髪をほどいて暖房の前に座り、温まっていた英美里さんは思い出したようにそんなことを言った。
「え? あ、そうなんですか。分かりました。気を付けてくださいね」
「ごめんねー突然。それとありがと。心配には及ばないよ。そんなに難しい仕事じゃないから」
それでも、心配というものはしてしまうものである。
英美里さんが言う『野暮用』というのは、大体が魔術師を相手取る仕事の時だ。
英美里さんが強いのは、身をもって知っている。しかし、それでも僕は身内が殺し合いに行くと聞いて手放しに安心できる程、異常の世界には染まっていなかった。
「……そういえば、センター試験どうだった?」
そんな僕の考えが顔に出ていたのだろうか、英美里さんは明るい口調で、僕の受験の話を聞いてきた。
「先週受験したんでしょ? 手ごたえはどうだった?」
「……まぁ……マーク試験なので、たぶん全問正解、間違ってたとしても全体で一問二問くらいだと思います」
意識したわけではなかったのだが、僕は自分でも暗いと思う声色でそう答えた。
「……分かってると思うけど、罪悪感を抱いてはダメよ。あなたはあなたが持っている力を最大限活用しただけで、それは不正ではないからね?」
英美里さんの優しい言葉が、僕の心にしみわたるのを感じる。
「……はい。ありがとうございます」
「うん。それでいい。明日はゆっくり休むと良いわ」
「ありがとうございます。でも、明日は地主に許可が取れたので、さっき話した少女が、指をさしていた小屋に行ってみたいと思います」
「……は? 地主に許可?」
「はい。あの小屋の調査をしたいと、父の権力で頼んだらオッケーが出たので」
「……そういえば、和斗くんの御父上は警察の人だっけ? 職権乱用ね」
「まぁ……それは……ハハハ。で、さっきの話の続きなんですけど、地主さんが言うには、先週の日曜日にパトロールした時には、そんな小屋は立ってなかったみたいなんですよ」
「小屋……か。気が付かなかった、という線もありそうね。『意識して見なければ見えない』みたいな軽い結界が貼られていた可能性が高い。
和斗くん。気をつけてね。あなたが行こうとしているところは、私でも理解不能な謎の存在が導こうとした場所。私たちの様な非常識の世界を知っている人間が行くと何に巻き込まれるか分からない。十分注意して行くようにね」
「はい。分かりました。でも、多分大丈夫です」
「? それは何故?」
「あの娘、罠とか危害を加える気はなさそうでしたから」
「いや、だから何で断言でき……あぁそっか。晴眼でわかるのか。……でも、さっき言ったように、ただ視えなかっただけかもしれないから、用心に越したことはないわ。ちょっと待ってて」
と、英美里さんは二階に上がって行ってしまった。
数分後、英美里さんは「あったあった、コレコレ」と階段を駆け下りてきた。
「はい、コレ」
英美里さんが手渡してきたのは真ん中に白い宝石が収められたブローチのようなものだった。
「ダイヤ? 高そうですね。何ですか? コレ?」
「魔道具よ。その石に魔力障壁を展開させる術式を刻印しておいたの。魔力を流せば術式が起動するから、お守りとして持っていきなさい」
試しに、僕はブローチに魔力を流してみる。
すると、僕の身体に白い光がまとわりついた。
「……全身⁉ 魔力障壁って不可視の盾を作り出す術式じゃありませんでしたっけ?」
「私レベルになればその程度お茶の子さいさいよ」
別に鼻高々に自慢するわけでもなく、師匠は何でもないように言い放った。
その様子に、改めて目の前にいる人がどれだけ人類とは次元が違う生命体なのかを静かに実感する僕なのであった。
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