第5話



「失礼します」


 しばらくして正成が帰ってきたという知らせを受けた織之助とともに社長室を訪ねると、上機嫌でも不機嫌でもない正成がいた。

 無言で促されて目の前に立った鈴と織之助に、座ったままの正成がデスクに頬杖をついて二人を見上げる。

 最悪の展開はないだろうと思っているが、緊張で指先が疼いた。


「徳川との話だが」


 ゆっくりと口を開いた正成の言葉を一字一句聞き漏らさないよう耳を澄ます。


「古賀との繋がりを認めた。信吉の元婚約者で、取引のデータは古賀から受け取ったと」


 ということは。

 期待して鼓動が速くなる。けれど正成の表情は変わらないままだった。


「……だが古賀は、うちの秘書でもある」


 ぎくりと体が強張った。疼いていた指先を握り込めば、爪が手のひらに刺さる。

 感情の読めない声で正成は話を続けた。


「パウロニアの社員が勝手にやったことで、徳川に非がないと言われたらそれまでだったが――手討ちになった」


 それを聞いて、安心したように隣の織之助が息を吐いた。


「古賀から渡されたデータが改ざんされたものだとは知らなかった、の一点張りだったが……気づいていたんだろうな」

「……まあ、認めないでしょうね」


 苦い顔の正成に織之助が頷く。

 んん、とひとつ咳払いをして、正成は鈴をまっすぐに見た。


「そういうわけで、鈴の婚約も会社の買収も全部無しだ」


 握り込んでいた指から力が抜ける。

 目頭に熱がこもり、誤魔化すようにぎゅっと目を閉じた。


「――今回は、守れた」


 正成が顎を上げて天を仰ぐ。

 その切実な響きに、また目の奥がじんじんと熱くなった。


「正成様……」


 やわらかく目尻を下げた織之助がそっと鈴の背中に手を置いた。

 堪えていた涙が頬に落ちる。

 慌てて指で拭うと、目の前の正成はすっと視線を逸らして口を開いた。見ないふりをしてくれているのだとわかってまた少し泣いてしまう。


「信吉にも会った。……父を止められなくて悪かった、土屋さんにも申し訳ない――と」


 言われて、気弱な笑顔が脳裏に浮かぶ。

 思い返してみれば信吉はいつだって鈴に優しかった。前世でも、今世でも、なにかされたわけではない。


「……信吉さんはなにも悪くないのに……なんか……」

「鈴」


 咎めたのは織之助だった。


「おまえは信吉殿と婚約してもいいのか」

「それは……嫌です」

「なら下手な同情はするな」


 たしかに、織之助の言うとおりだ。

 納得して頷いた鈴の背中を織之助が優しく撫でる。その手つきにうっかりまた泣きそうになった。


「おまえらがさっさと結婚すれば、俺の心労がひとつ減る」


 その様子をじっと見ていた正成がケッとでも言うように吐き出し、鈴がそれに対して目を剥く。


「けっ……⁉︎ まだ今世で会ってから半年もないのに⁉︎」

「うるさい。前世から数えれば何年だ」

「それとこれとは別――」

「結婚するときはご報告しますので」


 鈴の声を遮ったのは織之助で、鈴はぎょっとして隣を見上げた。

 ひどくあっさり結婚を肯定した――と震えて、この間のことを思い出す。


(え、この間のプロポーズ(仮)は冗談とかその場しのぎとかじゃないってこと……?)

 

 涙が引っ込んだ代わりに今度は顔中が熱くなる。

 心臓がさっきまでとは違う意味でぎゅうっと痛んだ。


「にしても……徳川め。いつかあの会社潰してやる」


 わたわたする鈴を放って、悪役かと思うほどの悪い顔で正成が吐き捨てた。

 

(怖……)


 熱くなった頬を覚ますように手で仰ぎながら正成と織之助を窺う。

 織之助もなにか思うところがあるのか眉間に皺を寄せていた。


「今回みたいなことを割と頻繁に行なっているようであれば、いずれ自滅すると思いますが」


 織之助が言っているのは、身内を他社に忍び込ませて不正をでっちあげたりすることだろう。

 今回は古賀が自発的に行なったと言っているが、あの狸のことだ。そう思うように仕向けた可能性だって十分ありえる。

 もし本当に何度もやっているのであれば、なまじ徳川が大きいだけに言うことを聞かざるを得ない、という会社は少ないはずだ。


「自分の力で潰してやりたい。自滅されるのは困る」

「怖……」


 今度は声に出ていたらしい。睨まれて慌てて口を閉じる。


「おまえは茶を淹れてこい」

「……はい」


 正成に命令された鈴は渋々頷いて、正成と織之助の二人分のお茶を淹れに席を外した。


 部屋から出ていく直前二人が笑い合っているのがちらっと見えて、心がぽかぽかとあったかくなる。

 思わず緩んだ口元はそのままに、鈴は軽い足取りで給湯室へ足を踏み出した。




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