第4話
「織之助さん!」
抱え込むようにして鈴を庇ったのは織之助だった。
悲鳴のように名前を呼んで、古賀の手元を見る。いったい何を振り下ろされたのかは確認できなかったが、織之助は難なく避けたらしい。
特に怪我はないようで安心した。
「感情的になりすぎだ」
苦言はおそらく鈴に対するものだ。
的確な指摘にぐうの音も出ない。冷えた頭で小さく頷けば、織之助の腕が緩められた。
その腕から抜け出して改めて古賀に向き直る。
「なんでここに……」
さすがに古賀の顔にも動揺が滲んだ。
ちらと窺ったその手に握られているのは普通のハサミで、ちょっと拍子抜けする。あのハサミを振り下ろされたとしても、刺し傷ではなく打撲がいいところだろう。
(まあそうだよね。戦国時代と違って刃物を持ち歩いてる人なんていないよね……)
ひとり胸を撫で下ろしていると、織之助が厳しい顔のまま古賀のほうを向いた。
「雪広――雪が、古賀のパソコンから請求書を改ざんした痕があるのを見つけた」
まさか、と古賀が目を見開く。
織之助はそれをまったく意に介さず、淡々と言葉をつなげた。
「おまえが徳川と繋がっていた証拠もきっちり揃えてある。社長が今徳川にそれを突きつけているところだ」
一息ついて、ゆっくりとその唇が動く。
「――わかるな?」
その威圧感に思わず鈴も息を呑んだ。
圧倒された古賀が一歩後ずさり、同じだけ織之助は足を踏み出した。
「侮ってもらっちゃ困る。こっちも、もう二度と大切なものを失くしたくなくて必死なんだ」
「そういうこと」
「士郎さん!」
織之助の言葉に頷いたのはドアに寄りかかってこちらを見ていた士郎だった。
いつのまに、と思いつつその名前を呼べばいつも通りの爽やかな笑顔が返ってくる。
「古賀。あとは俺が詳しく話を聞かせてもらうから、な」
その笑顔が潜められると、途端に空気が緊迫した。
忘れがちだが、士郎も織之助と並んで正成の両腕と比喩されていた人物である。
古賀は二人から睨まれてようやく観念したらしい。悔しそうに唇を噛んで持っていたハサミを床に投げ捨てた。
古賀が士郎とともに秘書室から出ていくのを見送ると、残された織之助と鈴は二人きりになる。
緊張が緩んで、いまさら体が強張っていたことに気がついた。
心臓はまだ少し速いけれど、やがて落ち着くだろう。力の入っていた指を握って開いてを繰り返している鈴に、織之助は大きく息を吐いた。
「慌てて来てみれば……、おまえは本当に無謀がすぎる」
鈴がぐっと言葉を詰まらせた。
半分考えなしだったことは否定できない。感情的になってしまったのもある。
弁明できない状況に唇を引き締めた鈴の、その細い腕を織之助が引いた。勢いを殺せず、あまり高くない鼻が織之助の胸板にぶつかる。
痛、と抗議の声を上げようとして――
「間に合ってよかった」
背中を確かめるように大きな手が覆って、何も言えなくなった。
その掠れた声がどれだけ心配してくれていたかを浮き彫りにして、胸の奥が熱くなる。
きっと自分が思っているよりずっと。
「鈴」
名前を呼ばれて思考が止まる。
顔を上げると、形容し難い瞳が鈴を見ていた。
「織之助さん……?」
窺った鈴の唇を一瞬熱が掠めた。
「――諦めないでくれ。これからも、ずっと」
キスされたと気づくより先に織之助の低い声が鼓膜をくすぐる。
その言葉の意味を噛み砕く前に、また唇が奪われた。
背中にあった手はいつの間にか後頭部にまわっている。
「ん……お、おりのすけさ……! ここ会社……!」
深くなりかけたキスの合間に鈴が織之助の胸を押した。
名残惜しげにもう一度だけ触れて、織之助はあっさり鈴を解放した。
「そういえばそうだったな」
さらっと言い吐いた織之助に目を剥く。
「わ、わかっててやってますね……⁉︎」
熱くなった頬のまま睨みつけると、わかりやすく視線を逸らされた。確信犯だ。
――というか。
「諦めないでくれ……って、織之助さんいつから聴いてたんですか!」
「さあ」
肩をすくめた織之助は白状する気がないらしい。
別にいまさら聞かれたからといって困ることは特にないけれど――、
(恥ずかしいんですが!)
両手で顔を覆った鈴の背中を織之助が軽く叩いた。
「正成様がもうすぐ帰ってくる」
一瞬で緊張感が戻り、背筋がぴんと伸びる。
徳川との取引はどうなったのか。鈴が無意識に指を握り込んだ。
最悪の展開にはならないだろうけれど、徳川が食えない相手だというのはよく知っている。
固くなった鈴に、織之助がそういえばと付け足した。
「おまえが黙って古賀と二人きりになったこと、かなり怒ってたぞ」
「へ」
思いがけない話の流れに間抜けな声が口から飛び出る。
「まあ、それは俺もだが」
にこりと口角を上げつつもその目はまったく笑っていない。
(あれ……? なんか徳川との取引結果を聞くより怖いな……?)
緊張の方向性が変わり、鈴は小さく身震いをした。
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