第7話
「え……、えっ⁉︎」
突拍子もないプロポーズ(?)に鈴があんぐりと口を開けた。
心臓がドッドッと聞いたことない音を出している。
――け、結婚?
混乱しないほうが無理だ。織之助と結婚なんて。ついこのあいだ両想いという事実に卒倒しかけたのに。恋人、という立ち位置にもまだ慣れていないのに。いきなり結婚なんて。
ぐるぐる目をまわす鈴と対照的に織之助は驚くほど冷静に言葉を続けた。
「さすがに徳川だって離婚させてまで奪おうとはしないだろう」
「そっ、それはそうでしょうけど……!」
そんな理由で、と口から出しかけて止める。
熱っぽい瞳がじっと鈴を見ていたからだ。
いつのまにか左手は織之助に取られていて、その薬指を節くれた指が優しくなぞった。
「一緒になりたい。鈴」
甘く囁かれて――そのあまりの破壊力に鈴のライフは限りなくゼロに近くなった。
持ち前のガッツでKOは免れたものの、虫の息なのは変わりない。
そんな瀕死の状態でなんとか頭を回転させながら言葉を探す。
「で、でも、会社は……」
そうだ。会社。
三つ目の選択肢が無くなったら、残された道は二つしかない。
そのどちらも到底簡単に呑み込めるものじゃないことは、織之助のほうがよく知っているはずだ。
そう思って織之助を見上げると、すいっと視線を逸らされた。
「正成様だってわかってくださる」
わざとらしいほどさらりと言い吐いた織之助に違和感を覚える。
話した感じ織之助以上に鈴の婚約を反対している正成のことだ。織之助と結婚する、と言っても否定はしないだろう。……しないだろうけれど。
「……そんなの織之助さまらしくないです」
ぽつりとこぼすと、織之助の手に力が入った。
「私が好きなのは、いつでも正成さまや桐城のことを一番に考えている織之助さまです」
薬指に触れたままの大きな手を握り返すと織之助は少し驚いて、それからそっと鈴の手を解いた。
「俺はそんな大層な人間じゃない」
眉を下げた織之助が鈴の頬を指の背でなぞる。
冷たい指が頬から熱を奪っていく。
「おまえのことが好きで、鈴さえいれば他は……と思ってしまうような男だよ」
「……嘘です」
好き、という言葉に流されそうになったのを堪えて真っ向から否定をする。
「織之助さまはそんな人じゃありません」
「買い被りすぎだ」
「いいえ!」
強く断言すると、垂れ目がちな瞳が丸くなって鈴を見た。
「織之助さまはたしかに私のことを大事にしてくださっています。ですが、同じだけ正成さまや士郎さんのことを気にかけていることも、知っています」
そう簡単に切り捨てられるものだとは思えない。
だから。もう一つ引っ掛かっているのは。
「それに――織之助さま、私の代わりになろうとしてませんか」
訊かれた織之助が一瞬怯んだのを、鈴は見逃さなかった。
疑念を確信に変えて声を続ける。
「私を差し出さない代わりに自分が徳川の元で働こうと思っていませんか」
鈴と信吉との婚姻を結ばない代わりに、四つ目の選択肢として織之助がパウロニアを辞めて徳川ホールディングスで働くと言ったら、十中八九徳川は頷くだろう。
織之助の有能さは徳川も知っている。
「それだけは絶対嫌です」
個人的な感情かもしれない。
でも、織之助に伝えたい。
「私は正成さまの右腕でいらっしゃる……、正成さまの横で楽しそうに仕事をしている織之助さまが好きなんです」
士郎も含めた三人がああでもないこうでもないと軍議するのを見るのが好きだった。
夢に向かって話す三人はいつも輝いていて、少年みたいで、――自分が決して混ざることのできないことに少し羨ましさも感じていたけれど――好きだった。
今世でもその様子を見られただけで、もう十分幸せだ。
「お願いです織之助さま」
震えるな。大丈夫。ちゃんと言える。
視線を上げてまっすぐ織之助を見た。感情の読めない瞳が鈴を映して動かない。
「私を、信吉さんのところに行かせてください」
一字一句はっきり伝えると、織之助は大きく息を吐き出した。
少しの沈黙。
「……それが、おまえの選択か」
恐いほど冷静な声が鈴に訊いた。
「はい」
その問いを受け止めて、真摯に応える。
すると織之助はぐっと眉間に皺を寄せ――
「――だめだ」
「……え?」
「ふざけるな。おまえはなにもわかってない」
「おり、」
掴まれた肩に指が食い込む。
その強さに顔をしかめると、なぜか織之助は自分よりも痛い顔をしていた。
「俺がどれだけ――」
絞り出すような低い声が唇に触れた。
触れて、そのまま食らいつくように唇が重なる。
「ん! ん!」
強引に奪われた唇で抗議をするも、塞がれたままでは言葉にならない。
肩を掴んでいた手に力を入れられて、あっけないほど簡単に背中が床につく。
シャツ越しでもわかるひやりとしたフローリングの感触に自然と体が強張った。
ぺろり、と自身の唇を舐めた織之助が鈴を見下ろす。
「前世とは環境も関係も、何もかも違う」
肩からなぞるように手が滑り、手首を掴む。
その細さを確かめるように親指が少し出っ張っている骨をさすった。
「おまえは俺の恋人で、従者じゃない」
「――――っ!」
喉元に噛み付かれて声にならない悲鳴が口から漏れた。反射的に腕を突っ張ろうとしたが、手首を押さえつけられていて抵抗もできない。
もちろん甘噛みだけれど、急所に歯を立てられている状況で落ち着いてなんていられなかった。
焦る鈴の首を唇が這い、時折甘く吸い上げられる。その刺激に背中がぞくぞくと震えた。
「ん、ちょ、……おり、のすけ、さま……!」
たぶん、その呼び方が良くなかった。
「いっ」
痛い、と喉が引き攣る。
噛まれたのはちょうど首と肩の境のあたりだった。
まあまあな痛さに目を白黒させていると、織之助の苦しそうな顔が視界に入る。
「いつまでも主従関係を引きずるな」
思わず息を呑んだ。
引きずってない、と言おうとした声が音にならず口の中で消える。
(……ほんとうに?)
本当に自分は織之助を主人としてではなく、恋人として見ていただろうか。
逡巡してすぐに言葉を発せなかった鈴のシャツを織之助が思い切り捲った。
そこでようやく思考が戻る。
「ま、まってくださ……!」
「待たない。あの雨の日からずっと、俺だけのものにしたかった」
制止の声も振り払って、織之助が体の輪郭に沿って手を滑らせる。
その手の冷たさに、ぴり、と頭の端が焼けたようにひりついた。
(あの、雨の日?)
思い出せそうなのに、思い出せない。
思い出したいのに、織之助の手がそれを邪魔する。
鈴の肌を撫でて熱を帯び始めた手のひらが、ぐっと胸のふくらみを押した。
「あんな思いをするのは前世だけでいい」
見てるこっちが痛くなるほど苦しげな表情で吐き出した織之助に何も言えなくなる。
「鈴も、――俺も」
独り言のように囁かれた声は切実な響きを持っていた。
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