第6話
「織之助さん! 正成さま!」
ノックもせず早足で来た勢いのまま扉を開くと、中にいた二人が驚いたように鈴を見た。
机の上にはなにやら書類が大量に散らばっている。
「……鈴」
声を出したのは織之助で、鈴はキッとそれを睨みつけた。
「いったいどういうことか説明してください」
「……なんのことだ」
「とぼけないでください。さっき信吉さんに会いました」
織之助と正成が息を呑む。
――ああやっぱり。
信吉が伝えてくれなかったら、きっと自分は何も知らないままだった。
「不当請求とか、婚約とか――どういうことですか!」
「鈴」
「信吉さんから聞きました。不当請求を無かったことにする代わりに、私と信吉さんが婚約することになったと」
「は?」
一息で捲し立てると、織之助が怪訝そうな顔をした。
「え?」
その予想外の反応に勢いを削がれる。
しばらく織之助とお互いに妙な表情で見つめ合っていると、正成が机の上に拳を置いた。
「婚約なんてさせない」
静かに言い切った正成に視線が向く。
「絶対にそれだけは選ばない」
「選ぶ? ちょ、ちょっと待ってください。話が……」
混乱する頭で正成にストップをかけ、必死に考えを整理する。
(信吉さんはもう婚約は決まってるみたいな言い方をしてた)
けれど目の前で怖いくらい真剣な顔をしている正成は、婚約なんか絶対にさせないと言っていて。
(私はてっきり、決まってしまった婚約を私に知られる前にどうにかしようとしてるのかと――)
なのに正成はいま「選ばない」と断言した。
つまりそれはほかにも選択肢があるということだろうか。
「不当請求なんて嘘だ。徳川が小細工して作り出したに違いない」
眉間に指を当てながら、正成が苦々しく吐き出した。
「だが、それを理由に選択を迫られてる」
「選択……」
「大人しく会社を買収されるか、不当請求を公にし刑事罰を受けるか――」
ここで正成は不自然に言葉を止めた。
その不自然さにピンとくる。
「……もしかして、三つ目の選択肢が」
「三つ目なんてない」
食い気味に答えた正成に確信する。
――選択肢の三つ目が信吉との婚約だ。
信吉の口ぶりからして、徳川は正成がその三つ目を選ぶと信じて疑っていないのだろう。
普通に考えれば、会社を運営する上で一番被害がないのは三つ目である。
「正成さま」
「織之助、今日はもういい。鈴を連れて帰れ」
「正成さま! 本当のことを言ってください!」
取り付く島もない。鈴と視線を合わせようともしない。
悔しさに唇を噛むと、織之助が鈴の隣に来てその腕を掴んだ。
「鈴、帰るぞ」
「織之助さま!」
――ここで帰ったら。
そう思うのに強い力で引っ張られて抗えない。
社長室から追い出される、寸前で鈴はなんとか声を絞り出した。
「婚約くらいいいです! します! そんなことで会社が救えるなら――」
「おまえは!」
鈴の叫びに負けない怒声が部屋に響く。
その勢いに思わずびくりと肩が震えた。
「おまえは織之助と付き合ってるんだろう!」
「そ……、この際そんなこと関係ありません!」
売り言葉に買い言葉で放ったひとことに正成がいっそう怖い顔になった。
(なんで織之助さまじゃなくて正成さまが怒るの⁉︎)
織之助が怒るならまだわかる。けれど正成がなんでこんなに怒るのかは理解ができない。
「おまえ……本気で言ってるのか」
「言ってます」
即座に返すと正成がなにか続けようと口を開く。
「正成様」
それを静かな声で遮ったのは織之助だった。
「……織之助」
熱の引いた正成が握っていた拳を緩める。
鈴も同様に熱くなっていた頭が冷えていくのを感じた。
「鈴。家で話そう」
「……わかりました」
感情のない低い声は、いっそ怒ってくれたほうがマシだと思わせるには十分すぎた。
◇ ◇ ◇ ◇
「おまえ、正成様に対しては遠慮がないな」
「そんなこと」
「ある」
否定しようとしたのを即座に斬られ、一瞬言葉に詰まった。
「……織之助さまと士郎さんみたいなものです、たぶん」
我ながらいい例えだな、と思う。
織之助と士郎は同い年だからかお互いに遠慮がない。二人が言いたい放題言い合っている場面には鈴もよく遭遇したものである。
同じように、鈴と正成は同い年ではないものの、不思議と言いたいことを言い合える仲だった。――感覚的には兄妹喧嘩にちかい。
「いや、俺と士郎は今でいう同期みたいなもので……、正成様は上司だろう」
「そ……、そんなことどうでもいいんです!」
小言が飛んできそうな流れに鈴は慌てて声を張った。
帰宅して早々、夕飯も取らず膝を突き合わせているのは理由がある。
「織之助さん。教えてください」
姿勢を正し、まっすぐに織之助を見つめた。
色素の薄い瞳に自分の緊張した顔がうっすら映っている。
「徳川から提示された選択肢の三つ目が、私と信吉さんの婚約なんですよね?」
ゆっくり確かめるように訊くと、織之助は観念したように頷いた。
「――そうだ」
予想していたとおりの答えだ。
であれば、考えていたことをそのまま伝えればいい。
「なら、その三つ目を選んでください」
迷いなく告げた声に織之助が目を伏せる。
何も言われないのをいいことに、鈴は言葉を続けた。
「たとえ不当請求がでっちあげであっても、その証拠を掴むまでどうすることもできません。会社を守るためなら婚約くらい――」
「ダメだ」
言い終わる前に織之助が短く拒否を示す。
「織之助さま……!」
「おまえは、そうやって感情が揺れると昔の呼び方に戻る」
縋り付くように名前を呼ぶと、織之助が冷ややかに笑った。
自嘲じみたその笑いに心の奥がひりつく。
「そ、それは今関係な――」
「……結婚してしまおうか」
鈴の声を遮って、織之助がなんてことないふうに呟いた。
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