第2話


 

 鈴が雪に呼び止めれられる数十分前。


 至急話したいことがあると言って正成に呼ばれた織之助は、慣れた手つきで社長室のドアを開けた。

 社長室には士郎がいて、正成はまだ来ていないようだった。

 その士郎がぱちりと瞬きをして織之助を捉え――「織之助」と神妙な声で呼んだ。


「……なんだ」


 珍しく真面目な顔つきの士郎に自然と緊張感が生まれる。

 普段は調子のいい男だが、へらへらとした笑みを潜めるとそれなりに威圧感が出る。

 正成とはまた違うオーラを持つ士郎を織之助はまっすぐに見た。

 視線を受け止めた士郎はすうっと息を吸い、真剣な表情のまま口を開く。


「おまえ、鈴に手ェ出したな」

「……は?」


 真面目なトーンで訊かれた内容がまったく予想外のもので、思わず眉を寄せた。


「あー! 否定しない!」


 織之助を指差して士郎が叫ぶ。「うるさい」と言った声はたぶん士郎に届いていない。

 ――否定しなかったというよりは、呆気に取られていたのが正解なんだが。

 とはいえ、士郎の言っていることはあながち間違いでもない。かといって肯定するのはなんとなく癪に障るのであえて何も言わないでおく。

 そんな織之助に気づいているのかいないのか、士郎はなにやら興奮した様子でまくしたてた。


「絶対そうだと思った! 鈴めっちゃかわいくなってんだもん。なんか腰のあたりが色っぽくなってんだもん!」

「……おまえはどこを見てるんだ」


 織之助がため息を吐く。

 勘がするどいのは結構なことだが、その視点がやや気に食わない。


(なんだ腰が色っぽいって)


 そんな目で鈴を見るな、と言いかけた口は、ガチャリというドアの開く音によって止められた。

 ノックなしに社長室に入ってくるのは一人しかいない。

 士郎はその姿を確認するや否や、飛びつく勢いで正成の元に走った。

 

「正成! 正成ー!」

「何事だ……」


 その勢いに圧倒されて正成が怪訝な顔をする。

 もちろんそれに怯む士郎ではなく。


「鈴が食われた! 鈴が織之助に食われたぞ!」

「は……? は⁉︎」


 士郎の発言を噛み砕いて、正成が目を剥いた。


「士郎、その言い方やめろ」


 下品な言い方に苦言を呈すも、その声は士郎どころか正成にも届いていないようだった。


「織之助! おまえ、今の話は本当か⁉︎」


 ツカツカと焦ったように距離を詰める正成に思わず後ずさる。

 前世でも似たような展開があった――というのは三人共通の認識だったらしい。

 まずそれを持ち出したのは正成である。


「いつかみたいに鈴を守るための嘘だとかなんだとか言わないな……⁉︎」

「そういえばそんなこともあった……!」


 士郎が思い出したように手を叩き、それから「いや」と短く否定をした。


「今回はガチだろ。じゃなきゃ鈴のあの顔の説明がつかねえ」


 一人で勝手に納得して頷く士郎を横目に、正成は強い眼光で織之助を見たまま逸らさない。

 ――いずれ言おうとは思っていた。

 けれど、なんというか。


(……変に気恥ずかしいな)


 過去からのあれこれを知られているから余計。

 恋愛下手だとか、拗らせてるだとか、散々からかわれたのも苦い記憶としてしっかり残っている。

 

 正成と士郎の二人からまっすぐ視線を向けられて、織之助はなんとなくいたたまれない気持ちになった。


「まあ……そういうことです」


 観念して肯定した瞬間、社長室がシン……と静まり返る。

 あれだけ騒がしかった士郎と正成がぴくりとも動かない。織之助はこの部屋で備え付けられた時計の音を初めて聞いた。

 それから五秒ほど経って、ようやく士郎が息を吐く。


「……う、わ……」


 呻きにも似た声が士郎の口から漏れ、正成も「織之助……」と一字一句噛み締めるように言葉を出した。

 大きく呼吸をしながら、士郎がいつもより早いスピードでまばたきをしている。

 くりっとした瞳が潤んでいるのは見間違いじゃない。


「待って、俺泣いてない? 大丈夫? まだ涙こぼれてない?」

「大丈夫だ、ギリギリ」

「よかったー。泣くのは結婚式まで取っとかないと……、って正成」

「泣いてない」


 言いつつ正成が目元を雑に指で拭った。


「正成様……」


 思わず驚いて名前を呼んでしまう。

 泣かせるほどのことだったか。

 すん、とちょっと赤らんだ鼻を鳴らした正成は、ぽつりぽつりと感慨深げに言葉を紡いだ。


「いや……、織之助が引くくらい拗らせてるからどうなることかと思ってたんだ」

「え」


(引くほど……?)


 拗らせてるとは再三言われてきたが、まさか引かれているとは思わなかった。それも正成に、だ。

 予期しない角度からの攻撃にショックで動けなくなった織之助を置いて、士郎は正成の言葉にうんうんと頷いている。


「ほんとになあ。よかったよ……俺も前世のときからずっと心配で……やばい、泣く」


 言葉途中で感極まったらしい士郎が手で顔を覆ったところで、三度ほどドアがノックされた。


「おはようございまーす。……え、士郎さん泣いて……?」


 正成が許可を出す前にドアを開けて入ってきたのは雪である。

 一番ドアの近くにいた士郎の目元が赤くなっていることに気づいて、驚いたように目を瞬かせた。


「雪広ぉ……!」

「雪です。……なんですかこれ?」


 縋りつきそうな士郎を冷静に流した雪が正成と織之助に助けを求める。

 さらりとそれに応えたのは正成だった。


「放っておいていい。調査の報告をしに来たんだろう」

「そーですけど……」


 いまいち納得がいかなかったらしい。雪は少し考え込むようにして三人をそれぞれ見渡し――


「あ、もしかして鈴絡みでなにかありました?」


 人差し指を立てた雪に、士郎が我が意を得たりとばかりに食いついた。


「そうなんだよ! ついに!」

「えっ! ついに!」


 主語がないのに伝わっている様子に織之助が眉を顰めた。


「……なんでそれだけでわかるんだ」


 怪訝そうな織之助に近寄った雪は質問を無視して、その肩をバシバシと叩いた。


「織之助さん遅いですよー。あれで案外鈴モテるんですから」

「かわいいもんなー。年上に可愛がられる感じ」


 肩を叩く手を振り払った織之助ではなく、なぜか士郎が頷いて応えた。


「そうですそうです。実際開発部にいたとき、先輩に告白されたりとかしてましたよ」

「あー、やっぱ?」


 なぜかわかったふうの士郎に腹が立つ。

 

(鈴がモテるのは前世から知ってる)


 ころころ変わる表情はわかりやすくてかわいいし、なにより鈴は人の懐に入るのがうまい。

 本人は無自覚だろうが、ついつい世話を焼きたくなる――そんな雰囲気を持っている。


(やっぱりもう少しわかりやすく牽制しておくか)


 織之助が心の中でひっそりと思っていると、正成がパチンと手を打った。

 

「無駄話はそこらへんにしろ」

「ええー、正成もノッてたくせに」

「うるさい。で、雪。なにかあったから報告に来たんだろう」


 士郎の文句を軽くいなして、雪のほうを向く。

 視線を受けた雪は今までの明るい表情を消し、神妙に口を開いた。


「そうなんです。実は――」

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