3.


 それからひと月も経たない頃。

 伏見城に呼ばれた正成は、徳川公を前に姿勢を正して言葉を待っていた。

 内密の話があるからと人払いをしたのがついさっきのことである。

 いったい何を言われるのか。

 正成は微かに緊張を滲ませて徳川を見る。

 鷹揚な態度で正成に視線を向けた徳川は、やけにもったいぶった口調で話し始めた。


「急に呼び出してしまって申し訳ない。城主の交代は無事に済んだと聞いているが……」

「はい。つつがなく」

「それはよかった。なにかと大変だろう、なにかあればいつでも遠慮せず言ってくれて良いからのう」

「ありがとうございます」


 頭を下げつつ、正成はこっそり眉をひそめた。

 ――そんなことを言うためにわざわざ呼び出したのか。

 城を継いだ後の様子は先月徳川の代わりに信吉が来たとき話している。

 改めての確認なのか。それとも。

 訝しみつつ顔を上げると、徳川が唇を歪めて笑みを作った。


「聞けば正成殿。貴殿の城に仕えていた者三人に有無を言わせず暇を出し、領地から追い出したようだが――」

「は……?」


 思わず声が漏れた。

 自分が城主になってからをざっと振り返るが、まったく身に覚えがない。

 先代が亡くなった際に暇を願い出た数人にはたしかに望むまま与えた。けれど領地を追い出すなんてことはしていない、はずだ。


「話を聞くと小姓の一人に少し悪戯をしただけだと言っておる」

「何の話でございましょう……?」


 かけらも話が読めない。

 正成が怪訝な顔をしたのに対して、徳川は下瞼を持ち上げて嫌な笑みを浮かべた。

 その表情に悪寒がする。


「たしか……橘殿の御小姓相手に、と言っていた」

「!」


 正成の反応を見るようにゆっくり告げられた言葉に目を剥いた。


「あの三人は徳川に由縁のある者たちでな……。それを問答無用で処罰したという貴殿を許せなんだ」

 

 震える拳を抑えて、声を絞り出す。


「……二年以上前の話で……」


 その件については良く覚えている。正秀が存命のときの話だ。

 織之助がわかりやすく憤慨していたし、自分も弟分に乱暴を働かれて腹が立った。

 しかしなぜ今さらその話を持ち出すのか。


(……徳川に由縁があるだと?)


 そんなはずはない。こうして徳川直々に言ってくるほどの縁者ならすぐわかる――反論する隙を探りながら徳川の顔を窺う。

 大袈裟に眉を下げる様子がひどく癪に障った。


「追い出された者たちの傷は深い」


 ――馬鹿な。


「それ以上に悪戯された小姓は傷ついて――」

「口答えする気か」


 鋭い口調で跳ね除けられ、口をつぐむ。

 ここで逆らえるほど正成の位は高くない。


「……いえ」


 静かに目を伏せた正成に徳川は数度頷き、わざとらしいほど困った顔をした。

 その瞳の奥に嫌なぎらつきが見える。

 

「あまり大事にする気はないが、何もしないというわけにはいかなくてのう」


 徳川が自身の顎を撫でて――


「橘殿の首で許してやろう」


 きっぱりと宣告されて喉が引き攣った。


「な、にを……」


(織之助の首だと? こんなことで?)


 どう考えても非があるのは向こうである。

 それがなくとも、下男三人を領地から追い出しただけで重臣の首を寄越せというのは釣り合いがとれない。

 押し黙った正成を見下ろすように見た徳川が表情を変えず言葉を足した。


「もしくは――その美青年らしい小姓をこちらによこせ」

「!」

「どういたす、正成殿」


 意地の悪い瞳が正成を映して細められた。

 

(……最初から狙いは鈴吉か)


 徳川がわざわざ二年前の件を持ち出してまで鈴吉を欲しがる理由に心当たりはひとつもないが、話の流れからしてそういうことだろう。

 だからと言って簡単に了承する気はさらさらない。

 格上だろうがなんだろうが、家族にも等しい者を二つ返事で渡すわけにはいかない。

 

「……ひとつ。その件の小姓ですが」


 勝手に告げることは少し躊躇われたが、徳川の元に行くのならいつか露見することだ。 

 正成は小さく息を吐いて、まっすぐ徳川を見つめた。


「男装をした女人でございます。隠していたこと誠に申し訳ありませんが――」

「なんと」


 さすがに驚いたのか、徳川が目を見張った。

 そのまま視線を逸らさずに言葉を続ける。


「はい。ですので、徳川様のご意向に沿いますかどうか……」


 これで思い直してくれたら僥倖。

 またなにか吹っかけられるかもしれないが、それはそのとき考えればいい。

 頼む、と正成が拳を握ったのを嘲笑うかのように徳川がひどく楽しそうな声を発した。


「いや、女人であるなら都合が良い」

「は……?」


 意味をうまく理解できずにいると、徳川がにんまりとして正成を見た。


「実は以前桐城に行った折に、信吉がその小姓を大層気に入ったようでな」


 知らない話だ。そもそも信吉と鈴がいつ会った。

 必死に脳を回転させるが正成に思い当たる節はない。


「信吉の小姓として仕えるよう命ずる予定だったが――」


 嫌な汗が背中を伝う。

 脈は速く、喉が乾いて張り付いている。


「側室として迎えよう。信吉には子がおらぬので心配してたんじゃ」

「そ、れは……」


 脳裏に織之助と鈴の顔が浮かぶ。

 本人たちは頑なに認めないが、二人が想いあっているというのは士郎と正成の間で共通の認識だ。

 そしてそれを認められない理由は鈴が男装して生きていくと決めたことにある。

 

(……簡単にそれを覆して奪っていくのか)


 ふつふつと怒りのような感情が腹の底に沸き上がる。

 こんなことになるなら無理矢理にでも男装を解かせてしまえばよかった。

 そうすればもしかしたら二人が結ばれた未来があったかもしれない。

 やり場のない感情を堪えて唇を噛んだ正成に徳川が鋭い視線を向けた。


「よいな、正成殿」


 強く念を押すように問われ、正成は何も言わず頭を下げることしかできなかった。



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