2.



「鈴吉」


 振り向いて、予想外の人物が立っていたことに目を丸くする。


「織之助さま! 早かったですね」


 てっきり帰ってくるのはまだまだ時間がかかると思っていた。

 予期していなかったとはいえ、ここ最近連日深夜遅くまで仕事をしていた織之助がこうして早く帰ってくるというのは単純に嬉しい。


「まあ……。というかおまえ、なにしてるんだ」


 心の中でこっそり喜んでいると、織之助が歯切れ悪く応えてから鈴とその隣にいる男性を見比べた。

 男性の顔を確認した織之助が目を見張ったことに鈴は気づかなかった。

 掴んでいた袖を慌てて離した男性が織之助に頭を下げる。

 

「迷っていたところを助けていただいていました」

「そうでしたか」


 安心したように息を吐いた織之助に、男性は顔を上げて穏やかに目尻を緩めた。


「はい。とても助かりました。ありがとうございます」

「いえ、困ったときはお互いさまですから」


 その台詞は先ほど鈴が男性に告げたものとまったく同じで。


「……仲がいいんですね。さっきこちらの方からも同じことを言われました」


 眉を下げて男性が笑う。

 なんとなくくすぐったいような気持ちになって織之助を窺うと、織之助は困ったような顔で苦笑いをしていた。


「ええ。幼い頃から面倒を見ているので」

「なるほど。ご兄弟のようで羨ましいです」


 そのやりとりにちくりと胸が痛む。

 織之助の言葉は正しい。正しいのだけれど――兄弟、かあ。


「……それで信吉殿は、どうしてここに?」


 ちょっぴり切ない気持ちになっていた鈴は、織之助の口から出た名前に目を剥いた。


(の、信吉殿⁉︎)


 ちょうど今日桐城に来ていた客人と同じ名前である。

 もし同一人物であるなら、身につけている物の上等さも理解できる――でも、そんな位の高い人がひとりでふらふらと城下町を歩いたりするだろうか。

 

(なんか偵察、とか?)


 そろっと信吉を窺うと、照れたように頬を掻く姿が見えた。


「さきほどおすすめしていただいた飯屋に行こうかと思いまして」


 まさかの理由に織之助が一瞬眉を顰めた。


「……従者の方々はどうなされたのですか?」

「先に行っててもらったんですが……」


 苦い顔で信吉が店内を覗く。

 すると、ちょうど良く中から三人ほど飛び出してきた。


「信吉様! ご無事でしたか!」

「……すまない、ちょっと道に迷ってしまった」

「だから一緒に行ったほうが良いと言ったではありませんか!」


 その気安いやりとりにほっこりする。


「橘殿も……、そちらの方も。お騒がせして申し訳ありませんでした」

「いえ。私の小姓が信吉殿のお役にたてたのならよかったです」


 信吉が改めて頭を下げ、それに応えて織之助も腰を折った。

 慌てて鈴もお辞儀をする。


「では、また機会があれば」

「ええ。また」


 そう言って信吉たちが店内に消えるのを見届け――織之助が鈴を向いた。


「……失礼なことしてないよな」

「なっ……してませんよ!」


 疑われてむくれると、織之助は噛み殺したように笑って一歩踏み出した。





     ◇ ◇ ◇ ◇





「それにしても、珍しいですね」


 簡単なお茶と茶菓子を用意した鈴は、ぱらぱらと本をめくる織之助に声をかけた。

 織之助の部屋に人の姿があるのは久しぶりな気がして、つい感慨深くなってしまう。


「ん?」


 視線を持ち上げた織之助が鈴を窺った。


「織之助さまがこんなに早く帰ってきてくれると思ってなかったので」

「ああ……」


 そのどこか歯切れの悪い様子に首を傾げる。

 じっと見ていると観念したように織之助は息を吐き出した。


「正成様に追い出された」

「えっ」

「おまえが休まないと下はもっと休めないと言われてな……」


 なるほど――と頷きかけてはっとする。


(うわ、私しっかり先に帰ってきてた……)


 先に帰っていいと言われて二つ返事で帰路についたのは、よくよく覚えている。

 たしかに上役が残って仕事をしているのにそそくさと帰るのはよくなかった。


(……気をつけよう)


 鈴が落ち込み気味になったのを察した織之助が小さく笑って本を閉じた。


「鈴吉は屋敷のことをやってくれているだろう」

「そうですが……」


 なんとなく腑に落ちない。

 でもその納得いかない理由はわからず、言葉が続かなかった。


「おまえが家にいるから集中して仕事ができるんだ」

「うーん……」


 まだ頷かない鈴に、織之助は頬杖をついて苦笑いを浮かべた。

 

「不満げだな」


 言われて「不満というわけでは……」と言葉を濁す。

 考え込むように眉を寄せている鈴を見て、織之助が目を眇めた。


「おまえもなかなか仕事が好きだな」

「え、それを織之助さまが言いますか」


 思わず咄嗟に反論してしまう。


(誰よりも仕事が好きなのは織之助さまだと思うんだけど……)


 仕事のしすぎで正成に城から追い出されるほどである。

 そんな人に指摘されるのはいささか不本意だった。


「長い時間一緒にいたからか」

「……は、い……?」


 穏やかに見つめられて心臓が跳ねる。

 あまり見ないその表情にひどく落ち着かない気持ちになって、つい指を握り込んだ。


「いや。いろいろ似てくるものだな、と思って」

「あ……」


 そこでようやく織之助の言いたいことがわかった。


(さっきのことを言ってるんだ)


 信吉に告げた言葉がたまたま同じだった、たったそれだけのこと。

 けれど、たしかにそれは織之助と鈴が過ごした時間を表していて――


「……本当に、そうですね」


 思わずしみじみと返す。

 これから先、もっともっと時間を重ねたらさらに似てくるんだろうか。

 

(それはそれで楽しみかもしれない)


 まだ見えない未来を思って、鈴は静かに微笑んだ。


 

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