第7話


「で。もうひとつ訊きたいことがあるんだろう」

「あ、はい。あの……」


 ひとつ目が思っていたものとは少し違ったので、鈴がいったいなにを知りたいのか皆目見当もつかない。

 もごもご口籠る鈴に、頭上に浮かんでいた疑問符の数が増える。

 なにか言いにくいことなのか。

 じっと鈴を見ていると、ようやく決心したらしい鈴が視線を上げた。


「織之助さんって恋人とかいらっしゃったりしますか……?」

「は?」


 思わず食い気味に声が出た。

 ――なにがどうしてそうなった。

 しかも鈴はどちらかといえば肯定されるのを待っているような表情だ。


(……こいつ)


 痛む頭を指で押さえると鈴が慌てたように言葉を発した。


「いやあの、私、士郎さんが結婚していることも気づけなかったので……。もし織之助さんにそういった方がいるなら」

「あのなあ……」


 とても聞いていられなくなり、途中で声を挟む。


「いたらおまえを家に住ませたりしない」


 その答えをどう思ったのか――鈴は一瞬驚いたような顔をして、それからぱっと表情を明るくした。


「ですよね! 織之助さんがそんな最低野郎なわけないですよね」


 本当に安心したのかほっとして胸を撫で下ろす様子は、悔しいことにちょっとかわいい。が。


「……そう言うわりに疑っていたようだが」

「……いやいや……はは……」


 痛いところを刺された鈴が気まずげに視線を逸らす。

 ここで否定しきれない正直なところがなんとも鈴らしい。

 

(にしても――)


「心外だな、いろいろ」

「え……わっ」


 油断しきっている鈴を軽く持ち上げて、向かい合う形で自分の膝の上に座らせる。

 目を白黒させる鈴の首筋に鼻先を擦り寄せれば、ぎくりと体が強張るのがわかった。


「鈴」

「あ、の……?」


 腰に手を添えてほとんど抱き込むような体勢になると、行き場を無くした手を鈴が宙で彷徨わせる。

 

「……かわいいな」


 うっかりこぼれた本音に鈴の体が小さく震えた。


「まっ、待ってください! キャパオーバー……!」


 堪えきれなくなったのか、鈴が織之助の肩に手を置いて必死に距離をとろうと力を入れる。

 その抵抗を無視して唇を耳に寄せた。


「慣れろ」

「無理です⁉︎」


 あまりの即答具合に少しムッとなる。


「犬やネコじゃないんですから……!」


 続いた言葉がさらに不本意で、思わず顔を見れるだけの距離をとった。

 困ったように眉を下げた真っ赤な顔が近い距離で瞳に映る。


「今まで俺がおまえのこと犬とかネコだと思ってると思ってたのか?」

「それかぬいぐるみとか……?」

「……おまえは本当に」


 ため息混じりの声に今度は鈴がムッとした。

 どうやら呆れられるのは腑に落ちないらしい。


「異議あり!」

「なんだ」


 勢いよく挙手した鈴を促す。

 鈴はちょっと口を尖らせて文句のように吐き出した。


「だって、ベッド一緒なんですよ?」

「……だから?」

「そんなの恋人か、なんとも思ってない相手じゃないと無理じゃないですか」


 だから、織之助が鈴をベッドに入れるのはペット感覚だろうと言いたいらしい。

 理屈はわからないでもないが――


「……その理屈でいくと、鈴は俺のことをなんとも思っていない、と」

「いや丸め込んだの織之助さんじゃないですか!」

「律儀に守っているのは鈴だろう」

「なっ」


 いっそう鈴の頬が赤くなった。

 だってそうだ。初日は半分無理やりだったが、そのあと鈴に無理強いした覚えはない。

 従順に自分からベッドに入っていたじゃないか。


「なんとも思ってないというか……!」

「――じゃあ鈴はどう思ってるんだ、俺のこと」


 反論しかけた鈴に声を被せる。

 まっすぐに見つめて訊けば、近距離で鈴の大きな瞳が揺れた。


「……ず、ずるいです、その訊き方……!」


 赤を滲ませた鈴の目元をゆっくり親指でなぞりながら、その頬ごと手のひらで覆う。

 泣きそうに潤んだ瞳に余裕のない自分の顔が見えた。


「知ってるだろう、俺がずるいのなんて」

「そうですけど……!」


 ――聞きたい。

 鈴の声で、鈴の言葉で。

 400年抱え続けたこの気持ちに、終止符を打ってほしい。






     ◇ ◇ ◇ ◇





 熱のこもった瞳に見つめられて反論する声が止まる。

 ――ずるい。織之助さまはいつもずるい。

 どうすれば言うことを聞くかなんて織り込み済みで、それを踏まえて行動しているんだから、本当にずるい。

 

(……そうやって織之助さまのせいにする私もずるい)


 鈴は織之助の肩の上でそっと手を握って、静かに吐き出した。


「織之助さまは……」

「うん」

「織之助さまは、私を救ってくれた人です」


 命の恩人だ。

 前世で織之助に出会わなかったら、きっとすぐに死んでいた。


「ずっと織之助さまのためになりたくて……必死で」


 はじめは、拾ってくれた恩に報いるためだった。

 性別を偽っていることがバレるまでは、ただただ必死で周りを見る余裕もなかったと思う。

 その隠し事がバレて少しできた心の余裕が、織之助と向き合うきっかけになった。


 仕事は完璧なのに私生活はびっくりするくらいダメなところとか。

 厳しいくせに変に過保護なところとか。

 正成さま至上主義なところとか。

 ――たまにとっても優しく笑うところとか。


(そうやって織之助さまのことを知るたびに、胸がぎゅってなって)


 救ってくれたからじゃなくて、ただ織之助のためになりたいと思うようになって。

 その想いが大きく大きく膨らんでいつの間にか恋慕に変わっていた。

 でも、こんな気持ち小姓が持っていいものじゃない。

 懸命に抑えつけた想いは誰にも告げず、今世でもなお燻って胸の奥にある。

 

「私は……ずっと」


 頬を包む大きな手にそっと触れる。

 触れたくて、触れられたくて、恋焦がれていた手。

 

(言ったら戻れないかもしれない)


 気まずくなるかもしれない。一緒にいられなくなるかもしれない。

 でも、嘘はつきたくない。

 はやる心臓の音がなぜか遠くのほうに聞こえる。目の前の優しい瞳から視線を逸らせない。

 ――告げることの許されなかった想いを、ようやく口にできる。


「ずっと、織之助さまのことが好きで……」


 言い終わる前に唇が熱で塞がれた。

 それがなにか理解するよりも先に、まつ毛が絡む位置で織之助が口を開く。


「……鈴」


 まばたきをする間も無く再び唇が触れる。

 熱くてやわらかい感触に――ようやくキスをされていることに気がついた。


「え……と」


 触れるだけで離れた熱がじんじんと唇に残っている。

 至近距離に見えた織之助の色素の薄い瞳が熱っぽく揺れていた。


「好きだよ」


 低い声で甘く囁かれて胸の奥がきゅうっと痛くなる。

 暴れ出した心臓はさっきの比じゃないくらいうるさい。

 ――それと同じくらい、脳内もうるさかった。


(すき? 織之助さまが、好きって……私を?)


 そんなことあり得るんだろうか。


(織之助さまだよ? 本当に?)


 そんなことをぐるぐる考えている間にも織之助の顔が再び近づいてくる。

 鼻先が触れて、唇がくっつく――直前に鈴が「ストップ!」と声を上げた。

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