第6話

「それは」


 硬い声を出した鈴に頷く。


「件の三人のことだ」

「そんなの……!」


 言いたいことはわかる。

 そのときのもどかしさと悔しさは今だって忘れていない。


「処罰を受けた当時、あの三人に徳川の息がかかっていたはずはない――が、それを証明できるものもない」


 鈴が唇を引き締めた。

 織之助は一息置いて、静かな声のまま続ける。


「なにより、徳川に逆らえるほどの力はなかった」


 思わず握った拳に力が入る。


「理不尽な条件を呑むしかなかったんだ」


 あのとき悔しかったのは織之助だけじゃない。

 誰より苦い思いをしたのは正成である。自分の力が足りなかったせいだと責める姿を間近で見た。

 視線を落とした織之助の拳に鈴がそっと手を添えた。


「――それが、私の死因と繋がってたりしますか」


 冷えた指先が手の甲に当たる。

 思わず鈴の顔を見ると、その瞳に迷いはなかった。


「……直接的には繋がってない。が、発端はそうだ」


 正直、鈴が死んだときのことはあまり口にしたくない。

 けれど鈴は知りたいだろう。

 感情的にならず説明できるか――と織之助の眉間に皺が寄ったところで、鈴が小さく頷いた。


「わかりました」


 静かな部屋に鈴の声が響く。

 てっきり追求されると思っていた織之助はやや驚いて鈴を窺った。

 鈴は動じることなくまっすぐに織之助を見ている。


「だから正成さまは徳川を警戒してるんですね。……今世でもなにか無理難題を引っ掛けられるかもしれないから」

「ああ」


 頷いた織之助に、鈴が視線を鋭くした。

 部屋を散らかしたときや、朝なかなか起きない織之助を起こすときとはまた違う――凛とした表情が胸を突く。


「そういう大事なことはもっと早く言ってください。私だってもう大人です。徳川に下手な情報を与えないよう動くことくらいできます」

「――鈴」


 その強い瞳に言葉が詰まる。

 まっすぐ刺されたような気分だった。

 鈴をなんとかして徳川から遠ざけなくては、と躍起になっていたのを。守るべき存在だと信じて疑わず、壊れ物みたいに大事に閉じ込めておこうとしていたのを――全部見透かされた気がした。

 前世で守られたのはむしろ自分のほうだというのに。


「織之助さまも正成さまも、私のことを侮りすぎで――」


 ちょっと怒ったような口ぶりになった鈴を腕の中に閉じ込めた。 

 驚いて声を止めた鈴の小さくて少し骨の浮いた背中を強く抱きしめる。


「……そうだな」


 こんなすっぽり収まってしまうような体躯で、鈴は怯むことなくいつも自分を守ろうとしてくれている。

 昔も、今も。


「おまえは強いよ」


 たしかめるように背骨をなぞって、こめかみに唇を寄せた。


「強くて、まっすぐで、まぶしい」


 その強い眼差しに惹かれた。

 覚悟を決めてまっすぐ立ち向かう姿に惹かれた。

 ――花が咲いたようなまぶしい笑顔に惚れた。


「織之助さま……?」


 戸惑う声に、織之助は名残惜しくもゆっくり体を離す。

 ぱちぱちと大きな瞳を瞬かせる鈴の顔が近くで見えた。その頬がほんのり赤い。

 もうこのまま気持ちを伝えて、目の前の薄く開いた唇を奪ってしまいたい。


(……いや、だめだ)


 自分から伝えるのと、鈴から伝えられるのとでは、まったく違う。

 織之助は小さく息を吐いて、空気を変えるように軽い調子で口を開いた。


「正成様から伝言だ。『背後には気をつけろ』と」

「えっ、不穏すぎて怖いんですが! 私正成さまに命狙われるような失態しましたっけ⁉︎」


 途端に慌てだした鈴のわかりやすさにホッとする。

 こんなのはわがままだろうけれど――あまり急に大人になられるとこっちが焦る。

 もう23歳になる鈴に言うことではないとも思うが。


「あの、ついでにもうひとつ……いやふたつほど訊きたいことがあるんですけど……」

「え?」


 てっきりもう話は済んだとばかり思っていた織之助が首を傾げた。

 

「なんだ……?」


 訊くと鈴はちょっと言いにくそうに口籠もりながら織之助を見上げた。


「雪と士郎さんってなんの知り合いかご存じですか?」

「雪と士郎?」

「あっ、ご存じじゃなかったらいいんです」


 想定外の質問につい疑問形で返してしまう。

 鈴はそれを知らないと受け取ったらしく慌てて手を横に振った。

 そんな鈴に織之助は「いや」と否定を投げた。

 知っているには知っているが、鈴の口からまさか雪の名前が出るとは――そう考えたところでふと思い当たる。


「……ああ、そうか。鈴と雪は同期か」


 腑に落ちた声に、鈴が目を丸くした。


「織之助さまも雪のことご存知で……?」

「気づいてないのか」


 こくこくと頷く鈴に織之助は苦く笑って続けた。


「雪……いや前世では雪広だったな」

「ゆき、ひろ……」


 反芻した鈴が考え込むように眉間に皺を寄せた。


「……忍の雪広さんなら知ってますけど……」

「その雪広だ」

「えっ、ええ⁉︎ だって雪広さん男性でっ、しかも織之助さまより年上でしたよね⁉︎」


 鈴の言うとおりだ。

 雪――もとい雪広は男で、織之助よりふたつほど年上だった。


「なんであいつだけ若くなってるのか……。腹立たしいよな」

「そ、それは気づかない……! 気づけないです……!」


 まあそうだろうな、と織之助は心の中で頷いた。

 雪広はもともと中性的な顔立ちではあったが、性別が違うだけでああも変わるんだから気づけなくてもおかしくない。


「士郎も最初気づいてなかった」


 入社後すぐに社長室を訪れた雪広に気づいたのは正成と織之助の二人だった。

 もちろんその変貌ぶりに驚きはしたが。


「相変わらず情報収集が得意だと言うから、社内のことを探らせてる」


 徳川のこともあるが、単純に社内の状況を色眼鏡なしで見るのに雪はちょうどよかった。

 雪もそのつもりだったらしく、にっこり笑って頷いていたのはまだ記憶に残っている。


「それでか……!」


 腑に落ちたように鈴が天を仰ぐ。


「いろいろ納得しました。雪広さんも言ってくれればいいのに……」

「おおかた鈴の反応を見て楽しんでいたんだろうな」


 前世でもそういうところがあった。

 鈴も思い当たる節があるのか口角を引き攣らせていた。

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