第3話
かかってきた電話は士郎からの伝言を受け取ったかの確認だった。
鈴が食堂にいるのを知っていた正成が、ちょうど食堂に行こうとしていた士郎を見つけて伝言を頼んだらしい。
念を押すように電話でも午後は秘書室にいろと命じられた鈴は、言葉どおり一人秘書室で伸びをした。
「で……資料作成かあ」
先輩二人は応接室でお茶出し等をしている頃だろう。
べつにひとり残されたことに不満があるわけではない。正成が昼まで不在だったので急な予定変更もしょうがない。
ただ――
(士郎さんが言ってた『覚えてないのか』ってなんのことだろう)
それだけが引っかかっている。
鈴はキーボードを叩きながら頭を捻らせた。
(なにか大切なことを忘れてるっていうのはわかるんだけど)
そしてそれが徳川と関係があるというのは薄々気づいている。
以前パーティーで徳川と相対したときの正成と織之助の様子からして、おそらく間違いない。
ここまではわかるのに。
(……私どうやって死んだんだっけ)
たぶんこれがキーだ。
自分の死因を探るのはなんとも珍妙なことだが、それさえ思い出せれば全部繋がる気がする。
考えつつ、鈴は大きく息を吐き出した。
キーボードを打つ手を止めて首をまわす。心地よく伸びを感じながら、静かな秘書室を見渡し――一点で目が止まった。
共有のデスクに置かれた数枚の書類。特段気にすることもないように思えるそれだが。
席を立ち、その書類を手に取る。
「……これ、午後必要だって言ってた資料じゃ……?」
午前中に古賀が用意していたものだ。データの収集を手伝ったから覚えている。
パッと時計に目をやれば13時45分。アポイントの時間からちょうど15分ほど経ったところだ。
誰も取りに来ないところを見ると必要なかったのか。
(それか、まだ誰も気づいていないか……)
自分の勘違いで、この資料は今日使うものじゃない可能性もある。
と、鈴が手に持っていた一枚を元の場所に戻し――、その横に落ちた付箋に気が付いた。
書かれているのは今日の日付と、『徳川様 資料』の文字。
(これ絶対今日の資料じゃん!)
思わずツッコミをいれてしまう。
慌てて、置いてある資料を手に取り秘書室のドアを開けて廊下に出た。
資料がないことをまだ誰も気づいていないのなら、本格的な話し合いはまだ始まっていないのだろう。
幸い秘書室から応接室は大した距離がなく、ちょっと小走りをすればすぐに辿り着く。
そうしてあっという間に応接室の前まで来た鈴は少しだけ乱れた息を整えて、ノックをするために拳を作った。
そこで一瞬躊躇う。
(……応接室は絶対来るな、って正成さまに言われたけど)
事態が事態だし許してくれる……はずだ。
資料だけ渡してさっさと退散すれば失態を犯すこともないだろう。
よし、と改めて手を握り、目の前の扉を叩いた。
「……どうぞ」
扉越しに正成の声が聞こえ、鈴はすっと姿勢を正してドアを開いた。
「失礼します」
薄く微笑んで、背筋は伸ばしたまま丹田に力を入れ腰を折る。
なるべく姿勢良く感じ良く。頭を下げるときより上げるとき時間をかけて。視線は最後にゆっくりと戻す。
応接室の中央に置かれた机を囲うように正成、織之助、徳川、と、もう一人鈴の知らない男性がソファに座り、その後ろにそれぞれの秘書が立って控えていた。
「お話中申し訳ございません」
徳川の隣に座る男性がハッとしたような表情になったのが少し気になりつつ、織之助の後ろあたりにいる古賀に目を移した。
「……古賀さん」
無駄がないよう最低限の動きで古賀の横まで行き、資料を手渡す。
「今日の資料です。秘書室にあったので持ってきました」
小声で告げると、古賀は驚くこともなく「ありがとう。助かります」と言って綺麗な笑顔を作った。
その様子に安心する。
(よし、ミッション完了。あとはこの部屋をさっと出れば――)
焦っているように思われないよう落ち着いた速度で扉の前まで戻る。くるりと振り返って退室の挨拶を――と、口を開いたのを遮ったのは徳川の隣に座る男性だった。
「あのっ」
突然声を張った男性に驚いたのは鈴だけではない。
なにより、本人が一番驚いていた。
「あ……すみません。ええと……」
注目されてみるみる萎んだ男性に疑問符が浮かぶ。
(な、なに……? 私なんかした?)
立ち去るに立ち去れなくなった状況で、なおも「あの、その……」と口籠る男性へ助け舟を出したのは徳川だった。
「ああ、どこかで会ったことがあると思っていましたが……先日のパーティーで桐野くんのパートナーだった方ですね」
まさか覚えられていたとは思わず、一瞬言葉に詰まった。
「は、はい。先日はご招待いただき、ありがとうございました」
「いえ。楽しめましたかな」
「はい。とても貴重な経験をさせていただきました」
お礼の意味を込めて小さく頭を下げつつ、必死に頭を働かせる。
視線を上げて徳川を窺えば、徳川はにっこりと笑って隣の男性の背中に手を添えた。
「倅の信吉です。信吉、挨拶を」
「はっはい。あの……徳川信吉です。25になります。趣味は……」
「信吉、見合いではないぞ」
徳川に叱責され信吉が縮こまった。その顔が真っ赤で、自然と笑みがこぼれてしまう。
「ご丁寧にありがとうございます。秘書の土屋です」
最低限の自己紹介をすれば、信吉は鈴をまっすぐ見たまま固まった。
(よくわからないけど、別にもう退室していいのかな……?)
何か徳川は考えているような表情だが、信吉は何も言わないし、正成たちも苦い顔をしているだけで特に口を挟む様子はない。
鈴が改めて背筋を伸ばした。
「話の腰を折ってしまい申し訳ございません。……失礼致します」
もう一度頭を下げて今度こそ退室の挨拶を口にする。
指先まで綺麗に見えるよう意識しながら部屋から出て、扉をゆっくり閉め――
(き、緊張した!)
完全に扉が閉まったところでようやく息を吐いた。
心臓がばくばくと脈打っている。
(大丈夫だよね?)
出る直前に見た織之助の苦い顔が少し引っかかるが、大きなミスはしていないはずだ。
それにしても。
(信吉さん……かあ)
秘書室へと足を進めながら、さっきの男性を思い出す。
あの嫌な雰囲気をまとった徳川の息子とは思えないほど、いい人オーラが滲んでいた。
目が合ったときも、以前徳川と対峙した時のような変な汗はかかなかった。
(……前世で信吉さんは関係なかったってことかな)
どことなく見たことがある気はするけれど、そもそも前世の鈴は徳川と会えるような身分じゃない。
その息子も然り、である。
なのになんでこんなに胸がざわつくのか――。
(考えたって思い出せないんだし、訊いたほうが早い)
幸い今日は織之助の帰りは遅くならない予定だ。
――多少強引にでも聞き出してしまおう。
そう決意を心に刻んで拳を握る。
秘書室に戻る足が意識せず早くなった。
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