第2話
「美女二人とランチなんて午後頑張れちゃうなー」
「またまたー」
目尻を下げた士郎に雪が軽く返す。
ほとんど食べ終わっていた鈴はそっと士郎のほうを向いた。
「専務も食堂使うんですね」
てっきり役員の人たちは使わないかと思っていた。
秘書になる前はほとんど毎日食堂を使っていたが、士郎の姿は見たことがない。
小さく首を傾げて訊いた鈴に、士郎が鷹揚に頷く。
「まあな。たまには顔見せてやらないと」
(……誰に?)
傾ける首の角度を大きくした鈴が尋ねるよりはやく、雪が納得したように口を挟んだ。
「あ、奥様にですか」
「そうそう。仕事してますよーっていうアピールしとかないとなー」
雪の言葉を肯定しつつ、なんてことない顔で箸を口に持っていく士郎に鈴が固まる。
(おくさま……おく、さま……奥様⁉︎)
「士郎さ、えっ、結婚⁉︎」
驚きすぎて文章にならなかった鈴の声を聞いて、士郎が笑った。
「言ってなかったけ。結婚五年目でーす」
五年。
思っていたより長い年月を突きつけられて思わず大きく息を吐いた。
「食堂で働いてる……あれ、奥さん」
「ほあ……」
士郎が示した先には笑顔で配膳をする女性の姿。
ちょっと遠くてよく見えないが、優しそうな人だということはわかった。
「士郎さんって本命はしっかり捕まえておくタイプだったんですね……」
「どういう意味だそれ」
言われてみればたしかに士郎は前世でも恋愛結婚をしていた気がする。
(いや、でも知らなかった……)
二ヶ月間士郎と顔を合わせる機会も多かったというのに。
自分が知らないだけでもしかしたら――と、ふと思い起こす。
「……え、実は副社長にもそういう相手がいるとかあります?」
結婚はしていないだろうけれど、彼女の一人や二人くらいいてもおかしくない。
あの顔に大企業の副社長という肩書き、穏やかな物腰――逆に恋人がいないほうが不自然だ。
それに前世では一時期女性を取っ替え引っ替えしていたのも知っている。
これらを考慮すると、やっぱり恋人がいるんじゃないだろうか。
(……最悪)
たとえ織之助が自分のことを犬猫のように思っていたとしても、相手の女性からしたら腹立たしい小娘に違いない。
――私だって彼氏の家にほかの女が住んでたら嫌だ。嫌を通り越して無理だ。別れを突きつける。
(でもこの場合最低なのって織之助さまじゃ……?)
何も知らされていなかったのは鈴も同じだ。
なんとかして結託して怒りの矛先を織之助さまに向けることができないかな――と鈴が真剣に考えていると、士郎が憐れむように目を細めた。
「……たまにおまえのその鈍感さがむごい」
「えっいるんですか!」
鈍感、って言われるということはつまり、一緒に住んでるのに恋人の存在に気づかなかったのか、と暗に言われているんだろうか。
(退去、引っ越し、さよなら給料……?)
たった二ヶ月のために運び出した荷物たちと銀行からお札が飛んでいくイメージが鮮明に浮かぶ。
しかもこの二ヶ月徒歩圏内の良さに気づいてしまったせいで、とても通勤片道一時間半かける生活に戻れる気がしない。
再び考え込んだ鈴を見て笑ったのは雪だった。
「あはは、苦労しますねえ」
「向こうも向こうで拗らせてるからお互いさまなところはあるけどなー」
その気安い訳知りのようなやりとりに、おや、と思う。
「雪と士郎さんはお知り合いなんですか?」
鈴の問いかけに二人が顔を見合わせた。
先に答えたのは雪である。
「んー、まあ少し」
「知らない仲ではないなあ」
曖昧な回答に再び首を傾げる。
前世で鈴は雪に会ったことがないはずだ。一度でもこんなキラキラ美女である雪の顔を見ていたら忘れない。
となると鈴の知らない今世で出会ったのか、もしくは――
(私が死んだ後、とか)
自分の死因について詳細なことは何ひとつ思い出せていない。けれど織之助や士郎、正成よりも先に死んだということだけはなぜか確信に似たものがある。
「あっ、そうだった。鈴に正成から伝言」
「え?」
わざわざ士郎さんを通さなくても、携帯にチャットひとつ投げてくれればいいのに。
思いつつ、耳を傾ける。
「午後鈴は秘書室で待機、応接室には顔出すなーってさ」
それはつまり……。
「クビ……?」
「いやいやいや」
士郎が困ったように眉を下げて笑う。
「来客が来客だからだって」
「……来客って、徳川様、ですよね? なにか私じゃ問題があるんですか……?」
周りに聞こえないよう声を落として訊く。
大物の来客対応にまだ秘書歴二ヶ月の新米はお呼びじゃないってことかな、と考えていた鈴を見て士郎は目を小さく瞬いた。
「……おまえ、覚えてないのか」
「え?」
なにを、と訊こうとしたところで社用のスマホが震えた。
表示された名前は――正成だった。
「ちょっと失礼します」
「おー」
珍しく苦い顔の士郎が立ち上がった鈴を見送る。
鈴の背中が遠くなったところで雪が小さく呟いた。
「失言ですねー」
その言葉に士郎が頭を抱える。
「やっぱ? やばいなあ、織に怒られそう」
がっくしと肩を落とした士郎をくすりと笑って、雪は遠くにある小さな背中を見た。
「どこまで覚えてるんでしょうね、鈴」
「……徳川とのことを覚えていないとなると……結構ぼんやりとしか記憶ないのかもな」
苦い顔でハンバーグを突きながら士郎がため息を吐く。
「そうですね。私のことも気づかないし」
残していたプチトマトを手に取った雪がもったいぶりながらそれを口に含んだ。
士郎が「いやいや」と首を横に振る。
「おまえには気づけないって」
「えー。織之助さんと正成様はしっかり気づいてくれましたよー」
「あいつらは特殊!」
「ひどいなー」
けらけら笑う雪に士郎は顔を顰めたまま箸を進めたのだった。
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