第7話


 よくよく考えたらパジャマも替えの下着もない。

 

(詰んだ)


 脱衣所に案内された鈴は、シャワーを浴びてから気づいたこの状況に頭を抱えた。

 ぼんやりしていたのは認める。

 織之助に促されるまま脱衣所に入って、なにも考えずにシャワーを浴びてしまった。


(……半分くらいは織之助さまが悪い気が)


 ぼんやりしていた理由の八割は織之助の不可解な行動にある。それに着替えも何も持たず脱衣所に入ったのを見ていたのだから、止めてくれたっていいじゃないか。

 と、半ば八つ当たりのようなことを考えるが、織之助のせいにしたからといって事態が好転するわけでもない。

 鈴はため息をついて脱衣所を見渡した。


(もう一回ドレスを着る、か、バスタオル……)


 どう考えても前者しかない。

 バスタオル一枚で出ていくのは無理だ。痴女認定されるし、下手したらセクハラで訴えられる。


(いやそれを言ったらさっきの織之助さまは完全にセクハラでは?)


 同意もなしに脱がせにかかって、しかも――

 思い出して熱くなった頭を慌てて横に振った。


(……織之助さまの真意が読めない)


 首筋に触れた唇の感触は鮮明に思い出せる。その熱さも、息遣いも、全部。

 でもその意味はなにひとつわからない。

 ――むしろ、今世で出会ってからの織之助さまがわからない。

 昔の織之助といえば、鈴に不用意に触るようなことは決してせず、どちらかといえば若干(物理的に)距離を置かれていたまである。

 いったいどういう心境の変化があったんだろう。


(今世でなにかあったのか……それとも私が死んだ後になにか……うん?)


 考えて――引っかかる。

 

(そういえば私、なんで死んだんだっけ) 


 しかしいくら頭を捻らせたところで、まるでそこだけモヤがかかったように思い出せない。

 鈴が腕を組んで首を傾げていると、脱衣所のドアが三度叩かれた。


「鈴?」

「はいっ!」


 呼ばれて背筋が伸びる。

 扉越しなのでもちろん織之助から見えてはいないが、なんとなく慌てて体に巻き付けていたバスタオルを押さえた。


「コンビニで下着買ってきた。替え持ってないだろう」

「おあ……」

「パジャマもないだろうから、俺のスウェットでよければ脱衣所の前に一緒に置いておく」

「ありがとうございます……!」


 勢いよくお礼を言った鈴に、織之助の小さな笑い声が聞こえた。

 まさに渡りに船。

 下着を買ってきてもらったのは少し……いやかなり恥ずかしい気がするが、この際気にしたら負けだ。


「ん。じゃあ風邪ひかないうちに早く着替えるんだよ」

「はい。あの、本当にありがとうございます」


 改めてお礼を告げ、織之助の足音が遠ざかるのを待つ。

 完全にいなくなったのを見計らってから、そっと脱衣所のドアを少しだけ開けた。

 綺麗に畳まれたスウェットと新品の下着を手に持って再び引っ込む。

 すっかり冷たくなった体を温めるためにも急いでそれぞれ身につけた。






     ◇ ◇ ◇ ◇





「織之助……さん」


 着替えを終えてリビングへ行くと、タイを外してシャツのボタンをいくつか開けた織之助がソファに寄りかかっていた。

 その気の抜けた格好に思わず心臓がきゅっとなる。

 ズボンを押さえる手に力が入ったところで、織之助がゆっくりと鈴に視線を向けた。


「うん? あー、やっぱりでかかったか」

「押さえてれば大丈夫なので! ありがとうございます」


 平均より背の高い織之助と、平均より小さい鈴ではどうしても体格差がある。ゆるめのスウェットのズボンは油断すると腰から落ちてしまうので、手を離すことができなかった。

 片手が使えないのは少し不便だが、さすがに上一枚だけでは心もとない。

 へらりと笑って見せた鈴に、織之助も口元を緩めた。


「じゃあ、俺もシャワー浴びてくるかな」


 立ち上がって伸びをした織之助を横目に見つつリビングに視線を走らせる。よく見ると脱ぎ捨てたらしいネクタイが床に落ちていた。


「……織之助さん」

「……ジャケットはハンガーにかけた」

「私がですよね」


 シャワーを浴びる前に借りていたジャケットをハンガーにかけたのは鈴だ。

 じっと織之助を見つめると、何気なく視線を逸らされた。

 

「なんで脱いだらポイしちゃうんですか」

「あとで片付けようと……」

「そう言って片付けたことあります?」


 思い当たる節があるのか織之助は苦い顔で明後日のほうを向いている。

 鈴は小さく息を吐いて、その放られているネクタイを屈んで拾い上げた。


「せっかくカッコいいのに」


 思わず本音が口からこぼれ落ちる。

 以前見た私服の破壊力も凄まじかったが、きっちりスーツを着てネクタイを締めている織之助は正直鈴のストライクど真ん中なのだ。

 

(……私、結構重症かもしれない)


 前世からの想いを募らせすぎて若干拗らせている気がする。

 鈴がかすかに頬を引き攣らせていると、織之助が鈴のすぐ目の前に立った。

 

「鈴」

「……はい?」


 強い瞳に射抜かれて自然と心音が速くなる。

 なにかがせめぎ合っているような視線に鈴はこっそり息を呑んだ。


「煽ってるなら、全力で煽られてやる」

「え?」


 どういう意味、と訊くより先に織之助が耳に口を寄せた。


「さっきも随分腰を押し付けてきて――」


 低く囁かれてようやく言葉の意味を理解した。

 顔に一気に熱が集まり、慌てて織之助の胸を押す。


「煽ってないです! 押し付けてないです!」


 口を挟む隙を与えないよう鈴が一息に続けた。


「はやくお風呂入ってきてください!」


 必死な鈴を喉の奥で笑って、織之助はあっさり身を引いた。

 鈴は恥ずかしさと混乱でとてもその顔を見れそうにない。


「先に寝ててもいいからな」


 余裕綽々に告げ、織之助が鈴の頭を軽く叩く。

 応えることもできず下を向いた鈴にそれ以上何も言わず背を向けた。

 リビングから織之助がいなくなったのを確認して、鈴は静かにその場にへたりこむ。


「わからない……!」


 織之助の行動の意味が何一つわからない。

 熱の引かない頬と痛いくらい鳴っている心臓に、どこか取り残されたような気持ちになった。


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