第6話




「おじゃまします……」


 おそるおそる窺うようにしながら玄関に上がると、織之助が困ったように笑った。


「明日からおまえの家でもあるだろう」

「いやっ、今日はまだ私の家じゃないので!」

「真面目なんだか頑固なんだか……」


 この家に来るのは二回目だが、やっぱり緊張はする。

 また速くなり始めた心音を抑えながら、織之助の背中を追う形でリビングに入った。暖房のスイッチを入れる織之助を見ながら室内に視線を走らせる。


(相変わらず物がないなあ)


 あると散らかすから、と言って最低限必要な物しか置いていないというのは前回訪ねたときに聞いた話だ。

 それゆえ調理器具はおろか皿すらなかった家である。もはや最低限以下の物しかない家に、なんとか必要な物を買い揃えたのがつい先週。


(本当に明日から一緒に住むのか……)


 前世でも同じ屋敷で暮らしていたとはいえ、現代とは勝手が違うし事情も違う。

 じわじわ緊張が増したのを拳を握って抑え込んだ。

 

「そういえば私に言いたいことがあるっていうのは、なんでしょう……?」


 気がかりは先に潰しておきたい。怒られるなら早めに怒られてしまいたい。

 そう思って視線を合わせると、織之助が静かに鈴を見下ろした。

 

「……おまえは」


 感情を見せない低い声で吐き出した織之助の眉がぐっと寄った。


「正成様と随分仲がいいな」

「え?」


 てっきり怒られるとばかり思っていた鈴は、思いがけない指摘に目を丸くした。

 特段仲良くした覚えはないし、むしろ――


「仲がいいと言うか……ただ単に遊ばれているだけのような」


 今日だけでも何回からかわれたことか。

 それも別に織之助が気にするほどのものでは……と、ふと思い当たる。


(もしかして嫉妬?)


 織之助さま昔から正成さまのこと大好きだからなあ、と一人納得して頷く。

 すると織之助が鈴の肩を掴んで、くるりと体を反転させた。

 視界がまわり織之助の姿が見えなくなる。

 

「鈴」

「織之助さ……ん?」


 ジッと背中のジッパーがあっさり下ろされる音が部屋に響いた。

 ぎょっとして咄嗟に振り返ろうと身を捩ったが、織之助が腰に腕を回してそれを阻む。

 力勝負で叶うはずもなく、背中を無防備に晒したまま鈴は小さく息を呑んだ。


(なにこれ? なにこれ? なにこれ⁉︎)


 状況が飲み込めず音もなく口を開け閉めする。

 いったい何が起きたと言うのだろうか。鈴が硬直していると長い指が背骨を辿るようになぞった。


「ひっ」


 短い悲鳴を漏らして鈴の体が跳ねる。

 

「……かわいいな」


 吐息混じりの低い声が耳を掠めた。きゅうっと胸が締め付けられて顔が熱くなる。

 行き場を失った手が宙に浮いたのを織之助が背後から握りしめ、裸の背中に織之助のシャツが擦れた。心臓が痛いほど大きく鳴っている。

 ドキドキしすぎて目頭に集まった熱をごまかすように、意を決して口を開いた。


「織之助さん、酔ってます……?」

「まさか」

「……ですよね」


 即答されて撃沈。

 その間にも織之助はやや身をかがめて、髪の隙間からのぞく白い首筋に顔を寄せる。

 息が素肌を撫でて、鈴の肩が揺れた。掴まれた手は解放されることなく強く握り込まれたまま、もう片方の手は腰に巻き付いたままである。

 到底、逃げることはできない。


「……正成様と」

「ひゃっ、そこでしゃべらないでください……!」


 唇の動きをダイレクトに肌で感じてしまい、鈴が即座にストップをかける。

 言葉を遮られたことにムッとしたのか、一瞬織之助が動きを止めた。――止めて、その白いうなじに噛み付く。


「いっ……⁉︎」


 噛み付いたと言っても、もちろん手加減はされている。それでも鈴には十分衝撃的だった。

 思わず跳ねた体を押さえつけるように手に力が込められ、自然と腰が密着する。

 どうしようもなくて、恥ずかしくて、逃げ出したい。なのにそれを許してくれない大きな手に、顔だけじゃなくて全身が沸騰するように熱くなる。


「おり、織之助さま……っ!」


 肌の感触を歯で確かめるように甘噛みを続ける織之助に、鈴が悲痛な声で叫んだ。

 そこでようやく織之助が口を離す――と安堵したのも束の間。

 今度は噛んだ箇所をなぞるように舌が這った。


「っ⁉︎」


 濡れた熱が首筋に伝う。何度も念入りに舌で首裏を撫でられて鈴が背中を丸めた。

 触れている部分が全部熱い。触れられていない部分にも熱が侵食して、あつい。

 織之助が舌を動かすのに合わせてぴくぴくと体が揺れてしまう。無意識に下半身を押し付ける体勢になったことに鈴は気づいていない。


「……は」


 低く織之助が堪えるように息を吐き出した。

 それすら鈴には毒で、指先からお腹の底までどんどん熱くなっていく。

 離してほしいのに、離れたくないなんて――おかしな矛盾を抱えながら鈴は反射的に織之助の手を握った。


「鈴」


 掠れた甘い声に耐えられないくらい心臓が締め付けられる。

 こんなに甘く呼ばれたことなんてない。


(死んじゃう……!)


 やわらかい唇が首から上がって耳たぶを食む。

 小さな水音ですら拾ってしまうその距離に、鈴はぎゅっと目をつぶった。


「ほかの男と、あんまりくっついてくれるな」


 懇願するような低い声が耳に響く。

 いっぱいいっぱいの脳みそではもう何を言われているかなんて理解できない。

 ただただ、固くまぶたを閉じて時が過ぎるのを待った。


「なあ」


 腰にまわっていた手が、下腹部に移動してなにかの場所を確認するようにぐっと薄い腹を押した。


「ぐえ」


 耐えきれず、カエルの鳴き声みたいな呻きが喉からこぼれた。

 それまでの甘い空気を引き裂く音に一瞬の静寂。


「……あー、ハハ。さすが」

「なっ、なにがですか……!」


 押し殺したような笑い声に鈴は顔を真っ赤にしたまま噛み付いた。

 霧散した甘さに安心と、ほんの少しの拍子抜け。

 織之助は小さく笑って、潔く鈴を解放した。力が入らずそのまま床にへたり込んだ鈴に織之助が驚いた顔をする。


「……大丈夫か?」

「全然なにも大丈夫じゃないです」


 いったい誰のせいだと思ってるんだ。

 反抗の意味を込めて睨むも、織之助は余裕の表情で鈴に手を差し出すだけだった。


「悪かった。早く着替えておいで」

「……はい」


 まだ納得はいってないが、このままここにいても埒が明かない。

 鈴はひとまず頷いて伸ばされた手を掴んだ。

 

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