第5話
「お待たせしました!」
車の手配を終えて外から戻るともうすでに古賀は戻ってきており、自分待ちだったことを悟る。
待たせてしまったことに少し罪悪感を覚えつつ借りていたジャケットを織之助へ返そうとしたが、なぜか手で制されてしまった。
(まだ借りてていいってこと?)
どうするべきかとそわそわしていると、正成がゆっくりと腰を上げた。
「さて、帰るとするか。……鈴、おまえはどうするんだ」
「え?」
唐突に訊かれて首を傾げる。
正成は一度鈴を通り越して古賀を見た。
「古賀はたしか新宿のほうだったな」
「はい。ですので自分でタクシーを呼びます」
古賀の答えを聞き、ようやく質問の意図を理解した。
納得した鈴に再び正成が視線を合わせて訊く。
「で、鈴はどうするんだ」
「私は……電車で帰ります」
「終電あるのか」
「……えっ」
言われてたしかに、と思い直す。
慌ててスマホを確認すると今から駅に向かったところで終電にはとても間に合いそうにない時間だった。
「ええと、じゃあ、どこかのホテルに泊まります……」
「馬鹿」
「大馬鹿だな」
項垂れた鈴へ呆れ気味に声を投げたのは織之助で、それに同意するように正成が頷く。
正成のために代理運転手を手配することに気を取られて自分のことまで気が回らなかった――というのはたしかに馬鹿と言われてもしょうがない。
(いや、でもタクシー代払うくらいならビジネスホテルに泊まった方が安いはず……)
安さで有名なホテルを思い出していると、鈴の背中に織之助が手を回した。
「社長、ひとまず私が土屋のことは責任持って送ります」
「そうか?」
ぎょっとして織之助を見上げるも、ちょうど照明の光と重なってうまく表情が読み取れない。代わりに正成がにやりとするのがよく見えた。
「え、いやそんな」
「古賀も気をつけて帰れよ」
断ろうとした鈴を遮るように織之助が古賀へ声をかける。
――拒否権は無しか。
鈴は諦めて唇を引き締めた。こういうときの諦めの早さというか、織之助に逆らえないのは前世が少なからず関係している気がする。
「ありがとうございます」
丁寧な所作でお辞儀をした古賀は同性でも見とれてしまうほど綺麗で、引っ込んでいた羨望が小さく顔を出した。
(……大人っぽくなりたいって思うだけじゃダメだ)
それは些細な仕草だったり、言葉遣いだったり、はたまたきちんと自分の帰る方法を整えておくことだったり。
(もっとちゃんと周りのことを見れるようにならなきゃな……)
顔に出さないようにして落ち込みつつ、正成を車へ案内する。
11月中旬の夜はしっかり冷え込んでいて寒さが肌を刺した。
「ああそうだ。鈴」
車に乗り込む直前の正成に呼ばれて、きょとんと小首を傾げる。
手招きされ近づくと耳元に口を寄せられた。
「……行きに言った贈り物の意味だが」
そういえばそんな話をした。
すっかり忘れていたが、結局ドレスを贈る意味はわからずじまいだったはず。その話を持ち出すということは、教えてくれる気になったんだろうか。
鈴は小さく頷いて正成の言葉を待った。
「男が女に服を贈るのは『その服を脱がせたい』かららしい」
「ぅえ⁉︎」
「せいぜい食われないように気をつけろよ」
「ま、ちょ、正成さっ、正成さま!」
上機嫌で車に乗り込んだ正成に唖然とする。
――いや。いやいやいや。
(からかわれた。これは完全にからかわれた)
一気に熱くなった頬を覚ますため冷えた手を当てている間に、正成を乗せた車が出発した。
文句を言う間もなかったな……と車を見送って振り返ると織之助がすぐそばに立っていた。その隣に古賀はもういない。
「古賀さんは?」
「タクシーが来てたから先に帰ってもらった」
「はやっ」
「さっき二台タクシーを呼んでおいたらしい」
「なるほど……」
(自分のことまで頭が回っていなかった自分とは大違い……)
自分の仕事の出来なさを突きつけられた気がして小さく息を吐く。白く濁った息がゆらりと夜に溶けた。
その白さに寒さを思い出し――
「あっ、ジャケット!」
「いい。土屋よりは寒くないよ」
「副社長が風邪ひいたらシャレにならないので……!」
一度返そうとしたが断られ、そのままずっと肩に羽織らせてもらっていた。
これまでは室内にいたからまだいいが、今は織之助も外に出ている。鈴より着込んでいるとは言ってもジャケットなしでは寒いだろう。
いっこうに受け取らない織之助にジャケットを羽織らせようと試行錯誤していると、耐えかねたように織之助が笑った。
「タクシーに乗ったほうが早くないか?」
「……たしかに」
それもそうだ。
(私ってこんなに気が回らなかったっけ……?)
前世ではもうちょっとこう……うまく小姓として仕事をしていた気がする。
それも思い込みかもしれないけど、差し引いても今日の自分はさすがに酷すぎた。
「あの、副社長」
「ん」
古賀が手配してくれていたタクシーに二人で乗り込みつつ、織之助にそっと声をかける。
車内の暖房が冷えた体に染みた。
「さすがに千葉までタクシーはちょっと」
織之助がどんなつもりかは知らないが、このまま織之助の家に寄ったあと千葉の自分の家までタクシーという説が濃厚だろう。
けれど給料日前の今、千葉までのタクシー代は財布に痛すぎる。
おそるおそる窺った鈴に織之助がさらりと返した。
「誰が千葉まで送ると言った」
「え?」
「どうせ明日から一緒に住む予定だっただろう。一日ずれたところで変わらない」
――そういえば。
パーティーに気を取られすぎてすっかり忘れていたが引っ越し予定日は明日だった。
もちろん荷造りはしてあるし、明日の午後にはカーシェアでも利用して荷物を運ぼうと思っていたけれど。
今日はパーティーのことで頭がいっぱいで、思い出す暇がなかった。
「……お邪魔していいんですか?」
厚かましいのは承知で訊いてみる。
返事の代わりに目を細められて、小さく心臓が跳ねた。
それを誤魔化すように思考を無理やり切り替える。
(このまえメイク落としとか買ったっけ?)
どきどきと鳴り始めた心臓を必死に抑えながら織之助の家にあるものを思い出している鈴に、「それに」と織之助が低く告げた。
「おまえには言いたいことがある」
珍しく不機嫌なその声に頬が引き攣る。
(やっぱり今日の私やらかしすぎた?)
途端静かになった車内にエンジン音だけが響く。
もはやメイク落としの有無やときめきなど頭から抜け落ち、家に着いたら叱られるであろう内容を必死に考える鈴だった。
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