二章

第1話



 織之助から教えてもらった店で店員さんに勧められるがままドレスを選んだ(なぜか支払いはしてあった)日曜日から五日。

 迎えたパーティー当日。

 美容室で髪をセットしてもらい、気合十分で鈴は正成が運転する車に乗り込んだ。


「おつかれさまです」

「おつかれ。……へえ、いいんじゃないか」


 さっと一瞥をくれた正成の端的な感想に、鈴は小さく頭を下げる。

 サックスカラーのロングドレスはスカート部分がプリーツになっている甘めのドレスタイプで、鈴の顔立ちによく合っていた。

 首元はややハイネックで、高めに切り替えられているウエスト部分までは花柄に刺繍されたレースを重ねられている。

 剥き出しの肩と透け感のある胸元が少し心もとなくて、落ち着かない気持ちになっていると正成が何も言わずジャケットを差し出した。

 車の運転には邪魔になるので脱いでいたんだろう。


「ありがとうございます」


 お礼を言いながら腕を通さずに羽織ると、正成がハンドルに手を置いた。


「本当に私が運転しなくていいんですか? それか代理運転とか手配しますけど……」

「いい。おまえの運転は信用できない」


 ぴしゃりと言いのけられて、思わず眉を寄せる。

 運転技術に自信があるわけではないが、ここまで否定されるとちょっと腹が立つ。


「帰りは代理の手配を頼む」

「……はい」


 そんな鈴の心境など知らず、正成は滑らかに車を走らせ始めた。


(正成さま運転上手いな……)

 

 思えば、運転手を手配しようとしたら自分で運転していくと言って断られたことがある。

 ――運転するの好きなのかな。

 なんとなくその整った横顔を見ていると、正成が「なんだ」と苦く吐き捨てた。


「いえ……、そういえば正成さまは馬に乗るのもお好きだったなあと」


 見すぎたことを誤魔化すように話題を振る。

 正成は怪訝そうに眉をひそめたが、やがて懐かしむように口元を緩めた。


「鈴吉は馬に乗るのが下手だったな」

「……それは、そうですけど」

「だから運転も信用できない」


 なるほど、と納得してしまう自分が悔しい。

 剣術や学問についてつまづくことはほとんどなかったのに、馬術だけはすこぶる苦手だった。

 

「いつも織之助がハラハラして見てたぞ」


 その光景はよく思い出せる。

 やわらかい春の陽が差し込む穏やかな昼時。

 士郎や正成が先駆けていく中、織之助だけは鈴の速度に合わせてくれていた。

 心配そうな瞳がこちらをじっと見ていたのも、はっきりと覚えている。


「……織之助さまは過保護でしたから」


 言いつつ胸が小さく軋んだ。

 ――今も昔も、織之助にとって自分は妹のような存在なんだろう。

 もともとの気質が世話焼きな織之助である。

 私生活はともかく仕事では隙がないし、面倒見が良く皆に慕われていた。

 鈴のことは拾った責任がある手前、ひときわ面倒をみなくてはと思っていたんだろう。


「織之助の過保護は相変わらずか」


 訊かれて鈴は苦く笑った。


「そうですね。今日のドレスを買ってくれる程度には」

「ドレスか」


 へえ、と正成がなにやら感心したような声を出す。

 

「じゃあ今度ネクタイでも贈り返してやれ」


 首を傾げた鈴に正成は言葉を重ねた。

 ――なんでネクタイ?

 いや、贈り物としては一般的かもしれないけれど。

 意図を読み取れず眉をひそめた鈴を、正成は機嫌良く見た。

 ちょうど信号が赤になったらしい。


「昔から贈り物には意味があるとされている」


 珍しく楽しそうな正成に鈴はゆっくり頷く。

 この手の話は学生時代に友人としたことがある。

 たとえばネックレスやブレスレットは独占欲のあらわれだとか――。

 けれど、学生時代にドレスを贈ってくるような彼氏を持つ友人はさすがにいなかったので、正成が言うドレスとネクタイの関係は知らない。


「その意味を了承する際に返すのがネクタイらしい」


 それは初耳だった。

 学生時代に教えてもらっていたら盛り上がりそうな話題だ。

 

(正成さまが知ってるっていうのがちょっとおもしろいけど)


 と、鈴が小さくにやついたところで信号が青に変わり、正成は再び前を向いた。


「ま、どこぞの狸から聞いた話だけどな」


 どこぞの狸ってまさか徳川さまのことじゃないよな……、と思いつつ鈴は納得したように頷いた。

 ネクタイの件はわかったけれど、肝心のドレスについては言及されていない。


「ドレスにも意味があるってことですか?」


 正成の顔を覗き込むようにして訊いてみる。

 するとさっきまでの上機嫌はどこへやら。


「織之助に聞け」

「ええ……」


 冷たくあしらわれて肩を落とした。

 つついてもいいが、正成は基本的に言い切ったら聞かない。

 早々と諦めて窓の外を眺めることにした。





     ◇ ◇ ◇ ◇






 圧倒された。

 超有名ホテルを会場にしたパーティーに一歩足を踏み入れた鈴は、その規模の大きさと華やかさに圧倒されて声を失った。


「おい鈴、倒れるなよ」

「……ちょっと自信ないです」


 正成の腕に置いた手に力が入ったのを感じ取って正成が小声で忠告する。

 弱々しく答えた鈴を正成は軽く蹴飛ばした。


「ふざけるな。前世のときの威勢の良さはどうした」

「これとそれを一緒にしないでください。わっ、あのひとテレビで見たことある……」

「馬鹿やめろ恥ずかしい」


 ひそひそと顔を寄せて会話していると、一人の男性がすっと正成に近づいた。

 きりっとした美人を連れ添っている。


「お久しぶりです、桐野さん」


 なんとなく見たことあるような顔の男性だった。

 慌てて鈴は背筋を伸ばし口角を軽く持ち上げる。隣でにこにこしてろ、というのが正成からの命令である。

 正成は一言二言男性と言葉を交わして、最後に軽くお辞儀をした。


「行くぞ」

「はい」


 倣って小さく頭を下げ、正成に導かれるまま歩き出す。

 滑り出しとしては上々じゃないだろうか。


「今の感じでいい。話を振られたらそれっぽく答えろ」

「……はい」


 なかなか難しいことを言われた気がするが、ひとまず頷いておいた。


「ちなみにさっきのは真田殿だな」

「……えっ」

「兄のほうだ」

「信之さま⁉︎」


 どうりで見たことがあるわけだ、と鈴は口元を引き攣らせる。

 けれどなるほど。徳川ホールディングス主催のパーティーなら彼がいても不思議ではない。


「じゃあ隣にいらっしゃったのは……」

「家康公の養女、小松姫だろうな」


 正成が鷹揚に頷いた。


「もっとも今世では本多殿の娘御のままだが」

「へええ……今世でもご結婚なされたんですかね」

「そうらしい。前世を覚えてはいないようだけどな」


 答えつつ、ウエイターからグラスを受け取った正成はそれをそのまま鈴に手渡す。

 受け取って鈴は軽く口をつけた。

 ――前世と同じ人と結ばれるって、素敵だなあ。

 先ほど見た二人の姿が脳裏に浮かぶ。


「いいですね。ロマンチックで」

「……そうだな」


 思いがけず同意されて鈴は驚いたように正成を見た。

 

(そういえば、正成さまの御正室……)


 前世では若くして政略結婚をした正成である。

 その関係は良好だったかというと微妙なところではあるが、正成が愛を持っていたのは知っている。

 ただ――、正成の性格のせいでうまく本人に伝わっていなかったようで。

 関係が微妙だった理由もそこにある。


「伊都さまにはもうお会いに……?」

「いや」


 正成が顔を苦くしてグラスを呷った。

 その様子を見て、鈴が織之助を探していたのと同じように正成も妻を探しているのだと悟った。


「前世とはやっぱり違いますからね……」


 同じだったら鈴は五歳のときに織之助に会っていたはずだ。


「私は織之助さまに出会うまで23年かかりましたから……差引18年です」


 それがいいのか悪いのかは、まだわからない。


「そうだな。……その計算でいくとあと5年か」

「意外とあっという間ですよ」


 励ますように笑えば、正成は「生意気だな」と言って鈴の頭を小突いた。


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