4.



「全部織之助のせいにしよう」


 まさかの提案に鈴が「士郎さま!」と悲痛な顔をした。

 

「だってそうだろ、織之助が最初に気づいてればこんなこと起きなかった」

「……ああ」


 同意を求めるような視線を士郎から投げられて、織之助は静かに頷く。


「そんでもって織之助の一番の被害者は鈴吉――いや、鈴なわけだ」


 軽い調子で肩を叩かれた鈴が慌てて首を横に振った。


「それはちが、」

「だからこの件の処罰は鈴に一任するってことで、どうだ正成」

「好きにしろ」


 それでいいはずがないのに、正成は士郎の言葉に間髪入れず是を示した。

 鈴が正成と士郎を交互に見て眉を下げている。

 士郎は我が意を得たりとばかりに満面の笑顔で、改めて鈴に向かい直った。


「よし。若殿の許可も得たことだし、鈴」


 呼ばれて背筋を伸ばす。


「どうしたい。おまえが望めば、これから女として生きていくことだってできる」


 笑みを潜め、士郎が真剣な顔で訊いた。

 先ほどまでと一転して静かになった部屋では呼吸のひとつさえ悟られる。


「私は……」


 言いかけて唇を噛んだ。

 士郎は心情を察して目を細め、鈴の細い肩に手を置く。


「もちろん、これまでどおりがいいって言うなら俺らは喜んで協力するさ」


 俺ら、が誰を含んでいるかは聞くまでもない。

 しかし心強い言葉をもらってなお、鈴は踏ん切りをつけられずにいた。


「……ご迷惑ではないのですか」


 性別を偽ったまま城に出入りするなんて、とは口にしなかったが三人ともしっかり感じとったらしい。

 士郎がにやりと笑って織之助を見た。


「なんせ鈴吉がいないと誰かさんの部屋は散らかりっぱなしだからな」


 言われて織之助は顔を苦くした。

 思い当たる節は大いにある。

 わかりやすく視線を外した織之助を喉奥で笑い、士郎は正成に向かう。


「正成もだよな? 数少ない年下のかわいい家臣だもんなー」


 正成は鈴を一瞥し、それから顔を背けて鼻を鳴らした。


「べつに鈴吉の代わりなんていくらでもいる」

「おまえね……」

「――が、弟のようには思ってるのは鈴吉だけだ」


 士郎が呆れて諌めようとしたのを断ち切った正成の声は凛として部屋に響いた。

 驚いた鈴が小さく息を呑む。

 正成の視線は横を向いたままだったが、思いの丈はしっかり鈴に届いたらしい。


「んで、肝心の織之助はどうなんだー?」


 士郎に突かれてようやく織之助は鈴を正視した。

 おそらく、鈴が一番気にしているのは織之助の反応だろう。

 大きな瞳が不安そうに織之助を映して揺れた。


「――迷惑だなんて、そんなわけないだろう。……おまえがいてくれて、この十年助かっている」


 紛れもない本心だった。

 過度な期待はしていなかったはずなのに、気づけばすっかり鈴吉に甘えている部分がある。

 それは仕事の雑務然り、私生活然り。

 鈴が小姓をやめて女として生きたいと言うのならもちろん尊重はするが――、できれば今のままそばにいてくれ、と身勝手に思う。

 そんな心境のままゆっくり手を伸ばし、力を入れすぎて震えている拳を解くように掴んだ。

 鈴はびくりと大きく肩を揺らしたが、もう触れることを拒まれることはなかった。


「おまえのいない生活は考えられない」


 言ってから少し気恥ずかしくなる。

 

(……なにか言葉を間違えたような)


 視線を感じて振り向くと士郎がにやにやとこちらを見ていた。


「見たか正成、あれが織之助兄さんの口説き方だぞ」

「おい」

「しっかり見た。城の女中たちが騒ぐわけだな」

「正成様まで乗らないでください」


 苦虫を噛み潰したような顔になった織之助に二人の笑い声が降る。

 鈴はここでようやくほんの少し息を吐いた。

 それから意を決したように、織之助の手を握り返す。


「織之助さま」


 いつかと同じように強い眼光を宿した瞳がまっすぐに織之助を捉えて離さない。


「織之助さまが許してくださるなら、これまでどおり小姓としてお仕えしたいです」


 小さな手から伝わる熱が鈴の意志が固いことを表している。

 十四歳の女子にしてはまめが多くて硬い手だった。


「おそばに、置いてくださいますか」


 窺う瞳は大きくて丸くて、強い。

 心を揺さぶられる瞳だ。この強い瞳に惹かれて拾い上げたと言っても過言ではない。


「……ああ、頼む」


 自然と口元が綻び目尻を緩ませた織之助に、鈴が安心したように肩の力を抜いた。

 ――その様子を見て、織之助は静かに正成へ向き直る。


「正成様。正秀様へは……」

「まあ一応話すが……、あの父がなんて言うかは目に見えているな」


 正成が苦い顔で吐き出す。

 それを見た鈴が心配そうに眉を下げたのを、士郎は見逃さなかった。


「大殿様の性格は知ってるだろ? 心配するだけ無駄だって」

「……はい」


 それについてはこの十年でよくよく実感している。

 朗らかで闊達な城主には散々助けられている鈴だ。


「多少の減俸はあるだろうがな。織之助」

「それはもちろんです」


 むしろそれだけで済むほうがおかしい。

 本来であれば織之助と鈴、揃って斬り捨てられても文句は言えないのだ。

 ――それでも織之助さまが減俸になるのは申し訳ない。

 鈴が心苦しく思っていると、やはり目敏く見つけた士郎が鈴の肩に腕をまわした。


「生活が苦しくて嫌になったらいつでも俺のとこ来いよー、鈴」

「急に馴れ馴れしいな、おまえは」


 織之助がすかさず鋭い視線を飛ばしたが、士郎は気にせず鈴の顔を覗き込む。


「そんなことないって。なー、鈴」

「やめろ触るな馬鹿がうつる」

「なんだと!」


 士郎を引っ剥がした織之助が鈴を庇うように間に割り込んだ。

 それを見て苦く笑ったのは正成である。


「……織之助の過保護が増したな」


 と、ここで鈴は一つ思い至った。


「あの、正成さま、私の初陣はどうなりますか」


 鈴吉の初陣が決まったのは女だと露見する前のことだ。

 ひっくり返されても文句を言えるような立場ではないが、確かめたい。


「戦場に行くつもりか」

「……はい」


 正成が神妙な顔で訊き、鈴も真剣に頷いた。

 言い争っていた織之助と士郎も黙って、ことの成り行きを見守っている。


「これまでどおり、と言うのがおまえの望みだったな」

「……もちろん無理にとは言いません」


 小姓として認めてもらえただけでも有り難い話なのだ。これ以上を望むのは図々しいにも程がある。

 けれど、できることなら。

 そんな鈴の気持ちを汲み取ってか、正成は小さく息を吐いて織之助を見た。


「織之助は反対だろう」

「そうですね」


 話を振られて、織之助はすぐさま肯定した。


「万が一捕縛などされれば、男装がばれないとも言い切れません」

「なるほど。織之助は鈴を守れる自信がないと」

「……そういうわけではありませんが」


 正成の試すような目に織之助が苦い顔になった。


「鈴吉はどう思っている?」


 そのまま正成は鈴に視線を滑らせる。

 ――もう隠し事は無しだ。

 鈴は決意を胸に顔を上げた。


「……ご迷惑をおかけするのは、いやです」


 正成が「ほう」と小さくこぼす。


「ですが、織之助さまのためならこの命を捨ててもいいと思っております」


 一呼吸おいて、鈴はまっすぐに織之助を見た。


「――それは、戦場にあっても同じ覚悟です」


 言い切った鈴に迷いはない。


「かっこいいなあ鈴吉。そこらへんの男より男だ!」


 手を叩いて褒めたのは士郎だったが、正成も楽しそうに唇の端を持ち上げた。


「よし。許可する。もともと俺も父もおまえの武術の腕は見込んでいるんだ、存分に発揮しろ」

「……! はい!」


 喜んで顔を明るくした鈴と対照的に、織之助はまだ渋い顔をしている。

 それに気づいて鈴がそっと織之助を窺うと、優しい印象を与える垂れ目が鋭く鈴に向けられた。


「おまえに命張ってもらうほど弱くない」


 低い声に鈴がはっと息を呑む。


「命は捨てるな。俺のためになりたいと言うなら、生きろ」


 それは、今までの中で一番優しい命令だった。

 じわりと目頭が熱くなって視界がぼやける。


「はい……!」


 声が震えそうになるのをなんとか堪えて返事をした鈴に、織之助は静かに目を細めた。

 ――あの日、私を拾ってくれたのがこの人でよかった。

 まさか拾われた先でこんなに大切にされるなんて思っていなかった。

 それもこんなたくさんの人に。

 

「なにからなにまで、ありがとうございます」


 改めて三人に頭を下げた鈴に最初に声をかけたのは織之助だった。


「体調は大丈夫か」

「はい。……あの、お見苦しいものを失礼いたしました」

「いや……」


 気まずい空気が漂い始めたのを、「よし!」と士郎が断ち切った。


「鈴、もう隠してることはないな?」

「は、はい! ないです!」

「じゃあ今日は早く寝ろ!」

「はい! ……え?」


 勢いのまま頷いて――、ん? と首を傾げる。


「よく寝て、よく寝て、明日からまたよろしく頼むな。鈴吉」


 にかりと歯を見せた士郎の横で織之助も、少し離れたところでは正成も優しい表情をしていた。


(ああ、本当に、私は恵まれすぎている)


「――はい!」


 鈴が城に来てから初めて、心から笑った瞬間だった。


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