2.
それから数年も経つと鈴吉はすっかり大きくなり、織之助の身の回りの世話はもちろん、剣術などにも精を出し立派な男子として成長を遂げていた。
それはいいのだが――、鈴吉は自分のことはなんでも自分ですると言って聞かず、織之助や橘家の人たちに一瞬も気を許さなかった。
有能な働きっぷりと、愛嬌のある顔立ちで屋敷でも城内でも可愛がられているものの、やはりどこか一線引いているのを織之助は感じ取っていた。
――極端に接触をこわがり、避ける。
その理由が明るみに出たのは、織之助が二十四、鈴が十四になった年のことである。
「お、鈴吉!」
「士郎さま」
書簡を織之助へ届ける途中の廊下で、織之助と同じ正成の傅役である新田士郎が鈴吉を呼び止めた。
慌てて廊下の端に退き、頭を下げると士郎は困ったように笑う。
「士郎でいいって。畏まられるの苦手だからさ、気軽に頼むよ」
「そう言われましても……」
今度は鈴吉が表情を困らせる番だった。
桐城は小さな城である。
城主・桐野正秀は家柄よりも本人の才能や人柄を尊重する人物で、織之助や士郎が年若くも正成の傅役に就いているのはそのおかげが大きい。
もともと織之助の父が正秀の傅役であったことも所以している。
さっぱりした気性の正秀は、家臣にはもちろん領民にも好かれる正しく良い城主であった。
そんな正秀の厚意で鈴吉も織之助の小姓として認められ、城内を出入りすることが許されている。
――閑話休題。
「にしても、鈴吉もう十四になったんだっけ?」
「はい」
ほうほうと楽しそうに頷く士郎に、鈴吉は首を小さく傾げた。
「いやあー、最初見たときぼろ布みたいだった鈴吉がなあ!」
「それは……」
織之助に連れられて桐城に来たとき、たまたま居合わせた士郎である。
目を細めて感慨深く鈴吉のことを上から下まで見た。
「相変わらず小さいし細っこいけど、べっぴんさんになっちまって」
「べっ!?」
思いがけない言葉に鈴吉が目を剥いた。
士郎は特段何も気にしていないようで相変わらず飄々としている。
「織之助が過保護になるわけだよなあ、まったく」
「……そんなことはないかと」
織之助はたしかに優しいがきちんと厳しい面もある。特に仕事に関しては叱られない日のほうが珍しい。
だから、そんな織之助と過保護の文字はどうしても鈴吉の中で結びつかなかった。
けれど士郎にはそう見えていないようだ。鈴吉の肩を軽く二、三度ほど叩いてからりと笑った。
触れられて――鈴吉がぎくりと顔を強張らせる。
「あるある。気をつけろよー、かわいくて若い男が好きなやつなんてごまんといるんだからさ」
「そうだな、まさに士郎のような男には気をつけるんだぞ鈴吉」
「そーそー。俺みたいな……って織之助⁉︎」
気配もなく背後から現れた織之助に、鈴吉は出しかけた悲鳴を飲み込んだ。
かたや士郎はしっかり驚いて、慌てて鈴吉の肩から手を離す。
鈴吉がそっと息を吐いたのは誰も気づかなかった。
「まったく、どこで道草を食っているのかと思えば」
「申し訳ありません……!」
すぐに頭を下げた鈴吉に、織之助は「いや」と短く切った。
「おおかた士郎が邪魔したんだろう」
「あっ、すーぐ俺のせいにする」
「普段の行いを見直せ」
「たまには息抜きして織之助以外のやつと会話しなきゃ、鈴吉がおもしろくない男になっちまうだろー」
「は?」
一触即発。
とはいえ、この言い合いのような応酬はもはや日常である。
鈴吉はいつもどおりの光景に苦笑いを浮かべた。
「正成様がお前のことを探していたぞ、さっさと行け」
「ったく、そうやってずっと眉間に皺を寄せてっから鈴吉が萎縮すんだろーが」
軽口に見えて核心を突いた士郎の言葉に息を呑んだのは、織之助も鈴吉も同じだった。
士郎は言うだけ言ってさっさとこの場を離れてしまい、二人の間になんとも気まずい空気が残る。
「……戻るぞ」
「……はい」
先に口を開いたのは織之助だったが、その声はやや硬い。
鈴吉もすぐさま頷いたものの、やはり少しばかりぎこちなくなった。
◇ ◇ ◇ ◇
事件が起きたのは、夕刻である。
思い返せば、その日は朝から体がだるかったような気がする。
鈴吉はなんだか重たい腰を持ち上げて織之助とともに正成を訪ねていた。
次期城主である正成はこのとき十九で、父親譲りのさっぱりとした気性に若さゆえの青さを携えた青年だった。
織之助や士郎を友人のように、ときに兄のように慕っている正成にとって鈴吉は弟のような存在である。
それゆえ、織之助に用があるときは決まって鈴吉も呼ばれていた。
「正成様、失礼致します」
「入れ」
正成の許可を得て、ゆっくり部屋に足を踏み入れるとそこには先客の姿があった。
「よっ」
「士郎さま」
「士郎でいいって言ってんのに強情だなー」
けらけらと笑う士郎を織之助が一睨みする。
鋭い視線を向けられて士郎は肩をすくめて口を閉じた。
「それで正成様。なにか御用が?」
織之助の質問に正成は鷹揚に頷き、ちらりと鈴吉を見た。
「近々合戦があるだろう」
「あるなあ」
応えたのは士郎だった。
なにやらにやにやとして鈴吉を窺っている。
その様子を不思議に思いつつ、鈴吉は正成を正視した。
「その戦を鈴吉の初陣としようと父に話した」
「えっ」
「はっ!?」
誰よりも大きい声を出したのは織之助である。
本人以上に驚いて腰を浮かせた。
「この、鈴吉を、ですか?」
「他に鈴吉がいるのか」
「おりませんが……。いや、いるのか?」
いつも冷静な織之助が珍しく頓珍漢なことを言っている。
どうやら士郎は先に話を聞いていたらしく、そんな織之助を見て腹を抱えていた。
「鈴吉、どうだ」
話を振られ――小さく唾を飲み込んだ。
「……いいのですか」
緊張か期待か、高鳴る心臓を耳に聞きながら鈴吉がゆっくりと確かめる。
正成は不敵な笑みを浮かべ、「ああ」と短く答えた。
「しかし鈴吉はまだ十四です」
「織之助、おまえは鈴吉の親か」
「親も同然にございます」
納得いかないとばかりに口を挟んだ織之助に正成が呆れて揶揄するも、織之助は一歩も引かなかった。
横で士郎が堪えきれずに頭を伏せた。その体が小刻みに震えているので、おそらく爆笑している。
「おまえの初陣はいつだった」
「……十四ですが」
「それなら同じだろう。なにがそんなに引っかかるんだ?」
正成が目を眇め、織之助はぐっと言葉を詰まらせた。
「次の戦を鈴吉の初陣とする。いいな」
「……はっ」
その隣で鈴吉は――自身の体に異常を感じていた。
眩暈がする。絞られたように下腹が痛い。冷や汗が絶えず背中を伝って、呼吸が浅く短くなっていく。
初めは初陣を任された緊張や高揚感からかと思っていたが、違う。
「……鈴吉?」
最初に気づいたのは織之助だった。
「どうした、大丈夫か?」
心配そうな顔が鈴吉を覗き、震える背中に触れた。
とっさに鈴吉はその手から逃げるように体を捻り、――体勢を崩してそのまま畳に倒れ込む。
痛む腹を霞む視界の中で押さえると、じわりとなにかが滲み出る気配がした。
「鈴吉」
「おい、平気か……」
正成と士郎も腰を上げて鈴吉の側に寄り――その朱を確認して足が止まる。
鈴吉は気を失ったのか呼吸に合わせて体を揺らすだけで反応がない。
「織之助」
「……はい」
「これは、どういうことだ」
正成の静かな声が四人だけの部屋に響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます