幕間
1.
――いったいあれはなんの帰り道だったか。
ちょうど元服して一年あたり、少しばかり背伸びをしていたころのことだ。
城へ帰る道中にある小さな町だったと思う。
「だからよォ、おめえのお父は借金をしてたんだっての、わかるかァ?」
苛立ちのこもった声が大きく辺りに響き、織之助はさっとそちらに視線を向けた。
建ち並ぶ家屋の間の細路地で大柄な男が三人、何かを囲むように立っている。
よくよく窺うと隙間から見えたのは小さな子どもであった。
ぼろぼろの着物からのぞく骨のように細い手足には無数の傷。乾いた髪はくしゃくしゃに縮れている。
そんな細い体に相対するように目だけは大きく、妙に印象に残る顔立ちをした子どもだった。
「だから、なんだというのです」
まだすこし舌ったらずな声が震えそうになりながらも、気丈に男を睨んだ。
男たちに囲まれてなお、その瞳の鋭さは衰えることがない。まつげの縁にいっぱいの涙を浮かべて、けれどこぼさないよう必死に耐えている。
「うれるものはうりました」
「それじゃあ足りねえんだよ、なァ?」
男の一人が細い腕を乱暴に引っ張った――瞬間、織之助はとっさに足を踏み出していた。
「なにをしている」
「んだ、引っ込んでろ若造が!」
上背は織之助のほうがあるが、恰幅が違う。浅黒い腕は織之助より数段太い。
単純な力勝負では人数的にも不利である。
「その子どもをどうするつもりだ」
怯まず睨みをきかせると男の一人ががさつに笑った。
「売り飛ばすに決まってるだろう、金にするにはそれしかねえ」
その下品な笑い声に、腕を掴まれたままの子どもが唇を噛み締める。
堪えきれず溢れた一粒が地面に小さい染みを作った。
「そうか」
織之助は小さくつぶやき――、自らの腰に提げていた刀を差し出した。
「なんだァ?」
「これとその子どもとを、引き換えないか」
まんまるの瞳をさらにまるくして子どもが織之助を見た。
男たちも唖然として織之助を見ている。
「その刀にどれほどの価値があるってんだ、にいちゃんよ」
試すような視線を受けて、織之助は涼しい顔のまま「その刀は、
「城主様だァ? その証拠がどこに……」
「証拠など……、そんなことでこの機を逃して良いのか」
喉奥で笑って、織之助は再び強い瞳で男たちを見る。
「正秀様がまさか家臣になまくらを与えるわけがないだろう」
そのあまりに堂々としたさまに、男たちは怯んだように身を寄せ合った。
どうする、と口々に話しているのが聞こえてくる。
三人の視線が織之助に注がれた。どうやら本当に正秀の家臣かどうかを見ているらしい。
不躾な視線をものともせず織之助は件の子どもに目を向けた。
わけがわからない、というのが顔に全部出ていてなにやら面白かった。
やがて査定が終わったのか、男がひとり前に出てきた。
「いいだろう。その刀と交換してやる」
「ほらよっ」
小さな背中を思い切り突き飛ばして織之助の元に押しやると、別の男がひったくるように刀を奪う。
その態度にやや腹が立ったが――ここで喧嘩腰になってもしょうがない。
「命拾いしたな、坊主」
上等な代物が手に入って機嫌がいいのか、再び下品に笑いながら男たちは背を向けて織之助たちから遠ざかっていった。
その影が完全に見えなくなってから、織之助はしゃがんで子どもと視線を合わせる。
「大丈夫か」
「は、い……。あの、刀……」
ぎゅうっと自分の着物を掴んで窺うように丸い瞳が織之助を覗いた。
小さなその手をそっと包み込む。
「いい」
「でも、じょうしゅさまからもらったって……」
さきほど男たちと対峙していたときと打って変わって弱気な様子に、小さく笑いが漏れた。
こうしてみると年相応の子どもだ。
「あれは嘘だよ。さすがに主人からもらったものをあんな輩にはやれない」
「うそ……」
それを聞いていくらか安堵したらしい。
素直にほっと息を吐き出した。
「よく頑張ったな。立派だった」
「……たすけてくださり、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げられ――ふと思い当たる。
「それで、帰る場所はあるのか?」
売れるものは全部売ったと言っていた。
織之助が眉を寄せると、目の前の子はちょっと俯いて首を横に振った。
「母も、父も、死にました……。おうちも……」
大きな瞳にまたいっぱい涙を溜めて、それでもやはり溢さないように堪えている。
見たところ五、六歳くらいだろうか。まだ親に甘えたいだろうに、急に放り出され全て奪われても、泣くものかと耐える様子はなんとも……。
「ならちょうどいい」
「……え?」
織之助は努めて明るい声を出して、その大きな瞳を拭った。
「小姓を探していたんだ。いまはまだ小さいから無理だろうが、大きくなるまで面倒をみる。だから、そのときがきたら俺の小姓にならないか」
半分嘘で半分本気だった。
今はとても小姓など雇えるような扶持でないのは自分でもよくよくわかっている。それでも、なんとかこの子を救いたいと思った。
数年経ってから思えばなんとも青くさい正義感である。
けれどこのときは兎にも角にもこの子どもを置いていけないと胸中で焦っていたのだ。
「こしょう」
「そうだ。今はまだ次期当主正成様の
「もりやく?」
「んんっ……まあ、教育係的なものだよ。だからお前の面倒を見るくらい訳ない。」
つらつらと語ってから、相手が幼く意味がわかっていないことに気づき少々気恥ずかしくなる。
誤魔化すように咳払いをして、きょとんとしている子を見据えた。
「どうだ。男ならやって然るべきじゃないか」
真剣に見つめると、不安そうな顔が織之助を窺った。
「……おとこでないと、いけませんか?」
「え? まあ小姓は男だろうが……どうしてだ?」
訊いた織之助に子は大きく首を横に振り、「いいえ」とはっきりした声で言った。
「よろしくおねがいいたします、えっと……」
「ああ、橘織之助だ」
「たちばなおりのすけ、さま」
「お前の名は?」
小さい唇が繰り返して、それから少し言葉を探すように口籠らせた。
「すず……」
「すず?」
なにか決意したような瞳がまっすぐ織之助を刺した。
「鈴吉、ともうします」
――このとき女だと気づいてやれていれば、鈴はもう少し楽に生きられたのかもしれない。
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